三国志という言葉は、中国の歴史に興味がない人でも、一度は聞いたことがあるだろう。
特に日本ではゲームやアニメ、マンガなど三国志を取り扱った作品が非常に多く、コアなファンも沢山存在する。
更に、コーエーテクモゲームズ(旧光栄)が発売している歴史趣味シミュレーションゲームの「三国志」シリーズは、日本の企業がリリースしているゲームの最長寿作品でもあったり、日本における三国志の人気は日本の「戦国時代」並に高いのである。
その三国志について書いてみたいと思う。
三国志とは中国の後漢末から三国時代にかけて、たくさんの英雄が覇を競っていた時代の興亡史である。
※三国時代・要図(262年)[出典:wikipediaより]
三国志には主に二つの作品がある。
史書である「三国志正史」と歴史小説である「三国志演義」である。さて、この二つの書物について見ていきたい。
三国志 正史
中国西晋の時代の官僚・陳寿(ちんじゅ)によって編纂された歴史書である。
「三国志」は三国の内の魏を正統として扱い、蜀や呉の歴史は、あくまで「魏書」の仲で語られていた。しかし陳寿は三国を対等に扱い、「魏書」「呉書」「蜀書」と分けて扱った。
しかし、この正史はただでさえ戦乱期で史料が乏しいのに、信憑性の高い史料のみを編纂したため、記述が簡潔すぎるとの指摘もあった。
そこで歴史家である裴松之(はいしょうし)が、宋の第三代皇帝である文帝の命を受けて、様々な逸話や噂話を集めて、「三国志」の注釈として挿入したのである。
さて実は陳寿には非難が多い。
陳寿は元々蜀の劉禅(劉備の息子)に仕える官吏であった。
しかし諸葛亮に父が処刑(処刑された理由は不明)された。
さらに自分自身が諸葛亮の子・諸葛瞻(しょかつせん)に疎まれた事を恨み、諸葛亮の伝記で「臨機応変の軍略は、彼は苦手だった」
また、瞻を「名声だけの人物であった」などと書いたと言われている。
※諸葛亮 [出典:wikipediaより]
それに魏の文官であった丁儀(ていぎ)の子孫に原稿料を要求したが断られたので、丁儀の伝記を書かなかったこともあったとか。
しかし、陳寿は諸葛亮の政治の手腕を非常に高く評価していた。しかし、その子の瞻の事は肯定的な評価はしていなかった。
また丁儀の件に関しては、曹操の息子曹丕によって丁一族の男子が滅ぼされてしまったため疑わしい。
陳寿は評価が別れる人物であるが、文才の方は確かであった。
それは彼の書いた三国志正史が基となり、三国志を一躍有名にした時代小説「三国志演義」が書かれたことからも伺える。
三国志 演義
正史三国志を基にして、明の作家・羅貫中(らかんちゅう)によって書かれた時代小説。多くの人の三国志のイメージは、この「演義」から来ている。
この演義に直接的な影響を与えたのが、元の時代に成立した「三国志平話」である。人物ごとにバラバラで繋がりのなかった逸話群が、この「平話」が初めて後漢末から三国の興亡までを一連のストーリーとしてまとめ上げられていた。
さてこの演義であるが、奸雄「曹操」と仁徳の人「劉備」の対立軸をメインに話が展開する。
※曹操 [出典:wikipediaより]
正史が魏を表向きとはいえ正統と扱ったのに対し、演義では蜀を正統として扱っていて、判官贔屓や儒教的な脚色によって、このような構造になった。
しかし善人・劉備と悪人・曹操と言う一方的な物語ではないのも特徴だ。
例えば劉備が益州の長官「劉璋」を騙して同州を攻め取るエピソードなど、善人劉備の印象に反する出来事も盛り込まれている。
※劉備 [出典:wikipediaより]
また、読まれ方が普通の小説としてだけではなく、兵法書としても読まれていたという。
中国明末の農民反乱の主導者「李自成」や、清の時代に太平天国の乱を起こした「洪秀全」らは実際に兵法の参考にしたという。
※洪秀全 [出典:wikipediaより]
日本での三国志ブーム
日本で三国志のブームを巻き起こしたのは、吉川英治氏の「三国志」であろう。
※吉川英治 [出典:wikipediaより]
吉川氏は、独自解釈を基に大胆に演義を改編して、「吉川三国志」とも言うべき新しい三国志観を作り上げた。
例えば演義の世界では奸絶(悪者の極み)の曹操ではあるが、吉川氏は単なる敵役ではなく、魅力のある人物として描いた。
吉川氏自身、篇外余録(吉川氏自身による、作品の解説)で「曹操は詩人、(諸葛亮)孔明は文豪」と評している。
日本で曹操の人気が高いのは、吉川氏の作品の影響が非常に大きいと言える。
さて、吉川三国志のもう一つの多くの特徴が「ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英雄の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない」という篇外余録の言葉通り、五丈原にて諸葛亮が没する所で物語が終わる点であろう。
「漢王朝を乗っ取った曹操」と「漢王朝の復興を望む劉備」の対立ではなく「曹操と諸葛亮の二大英雄の戦い」と言う吉川氏の主張には最初は驚く人もいただろう。しかし最近では、この主張は受け入れられてきている。
吉川三国志の影響はかなり大きく、たくさんの作家が三国志の小説を書いたのだが多くが本作を意識したものとなっている。
中国文学者の中には日本人向けにアレンジされた本作に眉をしかめる人もいたが、その影響力は認められている。
吉川三国志は「日本版三国志演義である」と評する評論家もいるほどである。
魅力的な英雄がたくさん登場し、戦記物の魅力あふれる三国志。
そのスケールは日本の戦国時代の比ではなく、登場する鬼謀神算の見事さは流石は孫子を生んだ国。
一騎打ちの駆け引きの迫力は、多くの戦記物を愛する人の心をつかんで離さない。
三国志とは、魅力にあふれた小説なのである。
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