鎌倉殿の13人

実は「源氏の嫡流」じゃなかった源頼朝。それでも訴え続けた結果…【鎌倉殿の13人】

「わりといいやつだったな。やはり源氏の嫡流ともなると、言葉に重みがあるわい……」
※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第1回放送「大いなる小競り合い」より

これは北条時政(演:坂東彌十郎)が源頼朝(演:大泉洋)と初めて会った時の感想。皆さん、覚えていますか?(そもそも大河ドラマを観てない方もいるでしょうが……)

頼朝と言えば「源氏の嫡流」として知られていますが、果たして本当なんでしょうか。

結論から言えば、それは嘘。頼朝が勝手に言い出しただけで、頼朝が征夷大将軍として鎌倉幕府を開くという偉業を成し遂げたから、周りが信じてしまったのです。

伝 源頼朝公。武士の世は、彼の大法螺から始まったのかも知れない。

もちろん、頼朝が貴種の血統に属することは間違いないものの、それと嫡流とは話が別。そもそも頼朝以前には「源氏の嫡流」という概念が存在していませんでした。

ならば頼朝は何者で、なぜ源氏の嫡流などと言い出したのか……今回は頼朝の祖先である清和源氏の歴史を振り返っていこうと思います。

清和天皇から頼朝まで

一口に源氏(げんじ/みなもとうじ)と言っても、頼朝が属する清和源氏(清和天皇から枝分かれした末裔)だけでなく、嵯峨源氏・仁明源氏・文徳源氏・陽成源氏・宇多源氏……など様々です。この時点でもう既に「源氏の嫡流」という概念が怪しいものに。

源とは「源(ルーツ)が皇室である」ことを示した氏で、清和源氏は清和天皇(せいわてんのう。第56代)の第六皇子・貞純親王(さだずみしんのう)の子である経基王(つねもとおう。六孫王)が臣籍降下(皇室を離脱し、臣下の身分となる)したことに始まります。

清和源氏の祖・源経基。菊池容斎『前賢故実』より

源の氏(一族の名前)と朝臣(あそん)の姓(かばね。一族の称号)を給わり、源経基(みなもとの つねもと)と名乗るようになりました。

その子である源満仲(みつなか)には三人の息子がおり、それぞれ本拠地とした国名を冠して摂津源氏(源頼光流)・大和源氏(源頼親流)・河内源氏(源頼信流)と呼ばれます。

中でも河内源氏の家系は代々豪傑揃い。源頼信(よりのぶ)は平忠常の乱(長元4・1031年)、頼信の子・源頼義(よりよし)は前九年の役(永承6・1051年~康平5・1062年)、頼義の子・源義家(よしいえ)は後三年の役(永保3・1083年~寛治元・1087年)の鎮圧にそれぞれ大活躍したのでした。

奥州から坂東にかけて東国で多くの者たちを従えた結果、特に南坂東5ヶ国(相模・武蔵・安房・上総・下総)に勢力基盤を築き上げ、義家の時代に最盛期を迎えます。

八幡大菩薩の化身……八幡太郎とあだ名された義家の恐ろしさを伝える今様(いまよう。当時における現代風の歌、J-POPのはしり)がこちら。

源氏最強の武士として恐れられた八幡太郎・源義家。菊池容斎『前賢故実』より

♪鷲の棲む深山には 概(なべ)ての鳥は棲むものか
同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや……♪

※『梁塵秘抄』より

【意訳】ワシ(鷲)が棲息するような深い山に、普通の鳥は棲みつかない。同じ源氏と言っても、八幡太郎の恐ろしさは格別である。

ニュアンスとしては「同じ源氏でも、八幡太郎のヤバさはけた違い。他の源氏のようにナメてかかる(下手に近づく)と痛い目見るぞ!」とでも言ったところでしょうか。

ただし最強であることと棟梁であることは必ずしもイコールではなく、まして嫡流か否かという血統など、まったく関係ありません。

かくも恐れられた八幡太郎義家も大和源氏(摂津源氏からさらに分派した一族)の源国房(くにふさ。義家の又従兄弟)や、血肉を分けた同母弟の源義綱(よしつな)と抗争を繰り広げており、鶴の一声とはいかなかったようです。

その後、義家が亡くなると一族間で内部抗争を繰り広げ、源為義(ためよし)・源義朝(よしとも)……と時代が下るにつれジリジリ弱体化していきました。

平清盛らに敗れ、逃げていく源義朝ら。『平治物語絵巻』より

一方、後白河法皇(演:西田敏行)の後ろ盾を得て勢力を伸ばしてきた平清盛(演:松平健)ら伊勢平氏に追い抜かれ、保元・平治の乱で完全に後塵を拝する……そんな少年期を生きた頼朝。

「ひとたび兵を挙げた以上、行きつく先は勝つか死ぬか……こうなれば、絶対に源氏の栄光を取り戻して見せる!」

自分にはその資格がある……そう信じて「累代の家人」たちを説得し、天運を信じて突き進むのみ。そんな思いが、頼朝をして「我こそが源氏の嫡流なり」と喧伝させたのかも知れませんね。

終わりに

【清和源氏略系図】

清和天皇-貞純親王-源経基-源満仲-源頼信-源頼義-源義家-(源義親?)-源為義-源義朝-源頼朝-源頼家・源実朝

果たして平家を打倒し、武士の世を切り拓いた頼朝。流人時代から吹き続けた(であろう)大法螺が、見事に結実したのでした。

頼朝が自称した「源氏の嫡流」は三代(源頼家源実朝)で絶えてしまったものの、「源氏の嫡流」という思想は武家の棟梁たる資格として認知され、徳川幕府が滅亡するまで数百年の永きにわたって受け継がれます。

「源氏の嫡流」として、御家人たちひいては後世の武士たちにも精神的に君臨し続けた頼朝。歌川芳員「鎌倉大評定」より

「我こそが源氏の嫡流・武家の棟梁たるに相応しき者なり」

たとえそれが事実でなくても源氏再興の志を貫き、天下草創の大業を成し遂げた頼朝の精神。それは嫡流であること以上に尊いものではないでしょうか。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. いざ上洛!承久の乱で「俺たちの北条泰時」と共に出陣した“俺たち”…
  2. 頼朝公のためならば…危険を恐れず千葉介常胤を味方につけた安達盛長…
  3. 兄嫁だって構わない!頼朝がゲットしそびれた第4の女?祥寿姫のエピ…
  4. 寛喜の飢饉とは 「鎌倉時代に人口の3割が亡くなった大飢饉」
  5. 腹減った!もう帰る!和田義盛、九州上陸を前に駄々をこねるの巻【鎌…
  6. 最期は後鳥羽上皇の怨霊に?三浦義村はその後どうなったのか【鎌倉殿…
  7. 暴君となったのは母のせい?第2代将軍・源頼家の苦悩と葛藤【鎌倉殿…
  8. 【鎌倉殿の13人 後伝】大庭景親(國村隼)の子孫は忍者になった!…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

中国の環境問題 「空気や食品はどれくらい汚染されているのか?」

中国の生活環境「中国」「環境」と聞くと、まず思いつくのは環境汚染ではないだろうか。汚…

オリンピックに懸けた日本人達 ~「マラソンの父」金栗四三の軌跡~

「金栗四三」不滅の記録~54年8か月6日5時間32分20秒3~「マラソンの父」と呼ばれる伝説…

前島密について調べてみた【日本郵便制度の創設者にして1円切手の肖像】

日本の郵便制度を創設前島密(まえじまひそか)は江戸時代末期から大正時代を生きた人物で、今…

【戦後最悪の爆破テロ】 連続企業爆破事件 「桐島聡らが所属した東アジア反日武装戦線とは」

1974年8月30日、名だたる大企業のビルやオフィスが集まる東京丸の内で、日本社会を震撼させ…

丹沢湖畔の学び舎、大好きだった 山北・三保小が146年の歴史に幕 神奈川

丹沢湖の湖畔に建ち、児童数の減少から今春で146年の歴史に幕を下ろす神奈川県の山北町立三保小学校(同…

アーカイブ

PAGE TOP