1941年6月、バルバロッサ作戦を発動したドイツ軍がソ連へ侵攻したことにより、独ソ戦が開始された。
バルバロッサ作戦とは、ドイツによるソ連への奇襲作戦のことだった。ドイツ軍の侵攻は奇襲となり、前線やその後方にいたソ連軍を殲滅することに成功する。
ドイツ軍の誤算
【※バルバロッサ作戦の計画。黒がドイツ軍、白がソ連軍】
初期の作戦を成功させたドイツ軍は、ハインツ・グデーリアン上級大将やヘルマン・ホト上級大将ら前線司令部は首都モスクワへの進撃を進言したが、あくまでもソ連軍の殲滅を優先するドイツ陸軍総司令部はこれを受け入れなかった。そればかりか、グデーリアンの第2装甲集団は南方軍集団支援のために、キエフへ向かうよう命じられてしまう。
その頃、農作物と鉱物資源の宝庫であるウクライナへ進撃した南方ソ連の軍集団は、抵抗に苦戦していたのである。独ソ戦の開戦以前、ヒトラーや陸軍総司令部は、前線の野戦軍を殲滅すればソ連は降伏するだろうと判断していた。
しかし、その予想は裏切られ、各戦線でのソ連軍の抵抗は強固だったのである。
タイフーン作戦
【※ハインツ・グデーリアン上級大将】
そこで前線司令官たちの進言通り、首都モスクワを占領することでソ連の体制を崩壊させるという新たな作戦案が浮上した。これがモスクワ攻略を目指す「タイフーン作戦」の始まりである。
1941年9月、南方軍集団と共にキエフ近郊でソ連軍に大打撃を与えたハインツ・グデーリアン率いる第2装甲集団は、ブリャンスク方面からモスクワを目指すため、北東へ向けて進撃を開始した。時を同じくしてホト率いる第3装甲集団、エーリヒ・ヘープナー上級大将率いる第4装甲集団もモスクワ西方に位置するヴャジマ方面へと進撃を開始する。これら装甲集団は各所でソ連軍を包囲殲滅しつつ、モスクワへの進撃を続けた。
ドイツ軍の主力戦車は、Ⅱ号、Ⅲ号、Ⅳ号戦車だったが、75mm短砲身砲を搭載したⅣ号戦車は歩兵支援が主な任務だった。
補給線の限界
【※モスクワから前線に移動中の新規部隊】
この時期、モスクワでは政府機関や工場などがウラル方面へと疎開しつつあったが、ソ連指導者「ヨシフ・スターリン」はモスクワ死守を決断していた。彼は、レニングラード戦線でドイツ軍を撃退したゲオルギー・ジューコフ上級大将を首都防衛に任にあてると同時に市民の戦意高揚のために赤の広場で軍事パレードを実施する。
このパフォーマンスは効果絶大で、義勇兵の募集には大勢の人が集まり、10万を超える工場労働者が民兵訓練に参加したのである。
その頃、ドイツ軍進撃の先鋒である各装甲部隊は、その勢いを失いつつあった。10月になると天候が悪化して雨が降り始め、未舗装のソ連の道路は泥沼と化していたのだ。11月になると天候は回復し、再び進撃速度も増していたが、その反面、進撃すればそれだけ補給線が長くなり、それは限界に達しようとしていた。
モスクワ西方では、第4装甲軍(1941年10月に装甲集団から改称)の先遣隊がクレムリン宮殿の尖塔を眺めることができるモスクワ市まで8kmの地点に達していた。だが、ドイツ軍の進撃もそこまでに終わる。例年よりも早くに到来した冬が彼らを苦しめ始めていたのだ。
反攻の狼煙
【※ソ連軍の主力となったT-26軽戦車】
気温は零下20°、ときには零下40°まで下がった。オイルが凍りついたことでドイツ軍の戦車や火器類も使用不能となる。
ドイツ軍の冬季用装備は、輸送用列車の不足が原因で後方に留め置かれたままになっていた。そのため、凍傷によって手足の指を失う兵士が続出する事態となったが、補給線が延びきっていたことで医療品も届かない。何より戦闘に必要な燃料弾薬が致命的に不足していたのだ。
一方のソ連は、この時期、着々と反撃の準備を整えていた。
ジューコフは日本との戦争に備えて満州に配置していた精鋭部隊を引き抜き、モスクワ正面に配置し直したのである。それを可能にしたのは、ドイツの同盟国である日本に潜入していたスパイ、リヒャルト・ゾルゲがもたらした「日本の対ソ参戦はない」とする情報だった。
ドイツ軍の撤退
【※ドイツ軍の主力戦車、Ⅲ号戦車(指揮車)】
12月5日、装備を整えたジューコフのソ連軍は各所で大反攻作戦を開始した。
この攻勢を前にドイツ軍は守勢に追い込まれ、包囲される危機に陥る。グデーリアンたちは攻勢の限界、と撤退の許可を訴えたが、ブラウヒッチュ元帥ら総司令部はそれを認めなかった。前線の司令官たちは部隊が包囲殲滅されることを避けようと、総司令部の命令に反して独断での撤退を開始する。これにより、タイフーン作戦は失敗に終わったのだ。
許可なく撤退を開始したグデーリアンら、ドイツの快進撃を支えてきた前線司令官たちは、やがてヒトラーの怒りに触れ解任されてしまう。
最後に
モスクワを目指したこの作戦の失敗により、対ソ連戦の早期終結の機会は完全に失われた。
これ以後、ドイツ軍は資源に余裕のない状態のまま、年を経るごとに量的、質的な改善を重ねるソ連軍を相手に、長期持久戦を戦わねばならなくなるのだ。
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