ミリタリー

スターリングラード攻防戦 【最大規模の市街地戦】

1941年6月、ナチス・ドイツはソ連侵攻作戦「バルバロッサ」を発動、「独ソ戦」の幕が切って落とされた。

緒戦でソ連軍主力を壊滅させたドイツ軍は、同年9月、首都モスクワを狙う「タイフーン作戦」を試みたが、厳冬と補給体制の不備、そして、ソ連軍の反撃によってモスクワ攻略には失敗した。

そのような状況下にあった1942年、ヒトラーと陸軍参謀本部によって、その年の夏季攻勢作戦「ブラウ(青)」が策定される。この作戦は、コーカサス地方へ進撃した部隊でバクー油田と石油の輸送路を奪取し、ソ連の経済と生産体制に打撃を与え、戦争の継続を困難にすることを目的としていたのである。

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ブラウ作戦発動!

作戦が開始された1942年6月、ドン河周辺のソ連軍を撃破して河を渡ったドイツ軍は、コーカサス地方へ侵攻するA軍集団とヴォルガ河沿いの街「スターリングラード」を占領して河川交通を遮断するB軍集団とに分かれて進軍した。

しかし、想定を超える残存ソ連兵の抵抗にあったA軍集団の侵攻は油田地帯に到達する前に頓挫してしまう。作戦の主目的が達成できないと知ったヒトラーは、もうひとつの目標達成に執着するようになる。

スターリングラード攻防戦
※草原を進撃するドイツ軍

それが、スターリングラードの攻略であった。

ソ連指導者の名を冠されたスターリングラード(現・ヴォルゴグラード)は、河川交通の要衝というだけでなく、兵器の生産工場や製鉄所が集まるソ連屈指の工業地帯である。ソ連軍の主力戦車「T-34」の主要生産拠点でもあり、この街の陥落は、ソ連軍の戦力低下に直結するものだった。

スターリングラード防衛戦

8月23日、ドイツ空軍機による猛爆撃によってスターリングラード攻略戦の火蓋が切られた。

爆撃に続き、陸軍B軍集団が進撃を始める。この攻撃でB軍集団の主軸となったのが、フリードリッヒ・パウルス上級大将が指揮する第6軍である。彼らはソ連軍の包囲網を突破してスターリングラードを包囲し、約一ヵ月後の9月13日には市内への突入に成功した。

これに対するワシーリー・チュイコフ中将指揮下のスターリングラード防衛軍(第62軍)は、空襲と砲撃により、なかば崩壊した建物を拠点として激しい抵抗を試みた。廃墟には狙撃兵が潜み、ドイツ兵の自由な行動を妨害し、制圧のために建物に侵入してきたドイツ兵には、ナイフやスコップで白兵戦を仕掛ける。


※廃墟で戦うソ連兵

こうしたソ連兵の執拗な抵抗により、市街地に突入した第6軍の進撃速度は鈍ってしまい、10月には市街地の大半を制圧したものの、完全制圧には至らなかった。

ウラヌス作戦で大反攻へ!

チェイコフらがそうした抵抗を続けていた時期、ソ連の最高指導者であるヨシフ・スターリンと、モスクワ防衛戦でドイツ軍を撃退したゲオルギー・ジューコフ上級大将らが、スターリングラードを包囲から解放すべく「ウラヌス作戦」を立案していた。

これは、第6軍の側面を守っているドイツの同盟軍であるルーマニア軍との戦線を突破し、逆に第6軍を包囲しようという作戦であった。
11月19日、100万の兵と900両の戦車を集めたソ連軍の反抗が開始され、まともな対戦車装備を持たないルーマニア軍の戦線を瞬く間に突破した。ソ連軍はそのままスターリングラードの西方に進出、市内にいた第6軍を中心とするドイツ軍将兵30万を包囲したのである。


※スターリングラードでのルーマニア兵

第6軍のパウルスはヒトラーに撤退許可を打診するが、ヒトラーの答えは「絶対死守」であった。第6軍救援のために派遣されたドン軍集団司令官のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥は、敵の包囲網の内外から同時に攻勢を仕掛け、包囲を破ろうとしたが、絶対死守という命令を守るパウルスは、この作戦を受け入れなかった。

凄惨なる決着

スターリングラードへはドイツ空軍輸送機による補給が続けられたが、ソ連空軍の妨害や悪天候により、第6軍が必要とする物資の数分の一しか空輸することができない。食料だけでなく弾薬もなくなれば戦闘継続は不可能となる。

一方で、反攻作戦に投入されたソ連軍歩兵も悲惨な状況であった。100万の兵に対し、銃が足りずに素手で最前線に送り込まれる兵もおり、敵の銃弾に倒れた友軍の銃を手にして戦いに挑むという有様だった。このような戦況において活躍したのが、映画「スターリングラード(2001年)」のモデルになったソ連軍の名狙撃手「ヴァシリ・ザイツェフ」である。

その後もソ連の攻撃により、ドイツ軍の占領下にあった市外近郊の飛行場もひとつ、またひとつと奪われてしまい、ついには空輸さえも困難になってゆく。食料と弾薬が底を尽いた1943年1月、パウルスはヒトラーの命令に反して降伏を決意した。


※占領した建物から旗を掲げるソ連兵

スターリングラードの戦いはドイツ軍の敗北で終わった。結果、ドイツ軍将兵30万のうち20万が死傷していた。残りの10万も捕虜となって収容所へ送られ、終戦後に帰国できたのはわずか6,000名だったといわれている。

最後に

この戦いは太平洋戦争におけるミッドウェー海戦と同じく第二次世界大戦のターニングポイントとなった。大勢の将兵と大量の兵器を失ったドイツに、もはや戦局を転換するだけの国力は残っていなかったのである。

関連記事:スターリングラード
【戦場の死神】伝説の5人の狙撃手たち
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関連記事:太平洋戦争
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