世界初の新造航空母艦
「鳳翔(ほうしょう)」は大日本帝国海軍に属した軍艦で、設計の段階から航空母艦として建造され完成した世界で初の艦でした。
航空母艦を始めて就役させたイギリス海軍がこの「鳳翔」の約1年前に航空母艦「ハ—ミーズ」を起工しており、本来であればこちらが世界初の称号を得る予定てした。
しかし第一次世界大戦の主要参戦国であったイギリスは、その戦争への投入を目指して「ハ—ミーズ」を建造していたこともあり、戦争の終結を受けて完成を急ぐ必要がなくなったことから、「鳳翔」が
その座を得ることになったという経緯がありました。
イギリスの技術協力
「鳳翔」は1922年12月27日に完成しましたが、この当時の日本の技術水準はまだ低く、当時世界一の海軍国であり且つ、日英同盟を結んでいたイギリスからの協力・支援を受けてのことでした。
このあたり、立ち位置の違いはありますが、旧ソ連の未完成艦であった空母を譲り受け「遼寧」として就役させた現在の中国海軍にも通じるものを感じさせられます。
「鳳翔」においては、航空母艦の要と言えるデッキ建造に関わる技術的供与や、航空母艦への艦載機の着艦の技術の搭乗員への指導を含め、イギリスからの協力を得ながら進められました。
鳳翔のスペック
「鳳翔」はその設計時には、また艦載機が軽量の布を使用した複葉機であったことから、第二次世界大戦開始時には既に主力となっていた金属製で大型化・重量を増した艦載機と異なり、発艦にそこまでの飛行甲板の長さ・距離を必要としない時代に設計された航空母艦でした。
従って後の航空母艦と比べると非常に小型な軍艦でした。第二次世界大戦時にも使用はされましたが、最終時点でのスペックでも以下の通りです。
・全長 :179.5m
・全幅 :18.90m
・排水量:10,797t
・搭載機:19機
これは例えばミッドウェー海戦に参加した主力航空母艦・赤城であれば全長が260.67m、排水量が41,300トン、搭載機が66機など、その小ささがよくわかります。
カタパルトの有無
「鳳翔」は第二次世界大戦時にはすでに旧式艦ではありましたが、複葉機で発着艦が可能な九六式艦上攻撃機を艦載機として、一時は対潜哨戒の任にあたりました。
しかし、ここで日本の当時の技術の壁が寧ろ「鳳翔」を戦後まで残すことになったと言えました。
イギリスやアメリカでは、短い歩行甲板からでも艦載機を発艦させることが出来るカタパルト(射出機)を実用化していました。
これにより、小型で飛行甲板が短い艦からも、艦載機を発艦させることができ、殊にアメリカは、このカタパルトを装備した小型の護衛空母を多数建造し、イギリスへ供給し大西洋においてはドイツの潜水艦Uボートの対潜哨戒任務に従事させるとともに、太平洋においても正規空母を補完する貴重な航空戦力として運用し、航空兵力でも日本を圧倒しました。
鳳翔の最期
「鳳翔」は就役後、第一次上海事変や日中戦争に出撃しました。また太平洋戦争では、ミッドウェー海戦に戦艦部隊と随行しましたが、敵を干戈を交える事はありませんでした。
以後は訓練用の航空母艦として用いられ、更に燃料の不足が顕著になった戦争終盤には、呉軍港において防空用の砲台として運用されると、そのまま無事に戦争期間を終えました。
「鳳翔」は戦後には飛行甲板を撤去し、復員のための輸送船として再利用され、昭和22年(1947)に解体されてその使命を終えることになりました。
復員船としての「鳳翔」は、日本と南方を9度往復して、復員兵約4万人と民間人と帰還させる役割を果たしました。
ヴァリャーグを「譲り受け」ただって?www
興味深い。中国ではああいう行為を譲り受けると表現するのか。