大阪杯(4歳以上オープン 国際・指定 定量 2000m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で毎年4月に施行する重賞競走(GⅠ)である。2017年(平成29年)にGIIから昇格したばかりでGⅠレースとしては新しい。
この大阪杯について創設からの歴史をひもといてみる。
なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。
大阪盃
大阪杯の前身は「阪神特別」という重賞競走である。1956年(昭和31年)に4歳以上のハンデキャップ戦、芝2000mで創設され第1回競走が行なわれた。
しかし翌年創設された「大阪盃」に引き継がれて廃止になった。1回限りの阪神特別の優勝馬はトキノオー(牡4歳)である。
大阪盃は4歳以上のハンデキャップ戦、芝1800mで3月に創設された。4月末から5月頭に行なわれる春の天皇賞(芝3200m)の前哨戦に位置づけられた。
創設当時の正賞は大阪新聞社賞である。
第1回の優勝馬はホマレイチ(牡4歳)だった。
大阪杯で初めて勝った牝馬は1962年(昭和37年)(第6回)の優勝馬スギヒメ(牝4歳)である。この勝利をもって引退した。この年、正賞が産経新聞社賞に変更された。
《シラオキ系》
第1回大阪盃の優勝馬ホマレイチの半姉(母が同じで父が違うきょうだい)のシラオキは、子孫が大活躍したため「シラオキ系」と呼ばれる一大牝系の祖となった。子孫にダービー馬のウォッカ(牝)、天皇賞春秋を連覇したスペシャルウィーク(牡)、菊花賞の優勝馬マチカネフクキタル(牡)などがいる。
また大阪杯の1961年(昭和36年)(第5回)の優勝馬コダマ(牡4歳)は子、1982年(昭和57年)(第26回)の優勝馬サンエイソロン(牡4歳)は4代孫である。
サンケイ大阪盃・サンケイ大阪杯
名称が1964年(昭和39年)(第8回)に「サンケイ大阪盃」、1969年(昭和44年)(第13回)に「サンケイ大阪杯」と変更された。
距離も変更され、1965年(昭和40年)(第9回)に1850m、1966年(昭和41年)(第10回)から1971年(昭和46年)(第15回)まで1900mで実施された。1972年(昭和47年)(第16回)以降、現在まで2000mである。
1973年(昭和48年)(第17回)負担重量がハンデキャップから別定に変更された。
1984年(昭和59年)(第28回)グレード制施行によりGIIに格付けされた。合わせて混合競走に指定され外国産馬も出走できるようになった。
《ステートジャガー》
南関東公営競馬に所属していたステートジャガー(牡)は1985年(昭和60年)、4歳になってから中央競馬に移籍した。
移籍2戦目の第29回サンケイ大阪杯では、三冠馬ミスターシービーとの叩き合いを制して見事優勝している。次に春の天皇賞を回避して臨んだ宝塚記念では、4着に敗れた。
宝塚記念後のドーピング検査で尿から禁止薬物のカフェインが検出された。カフェインが摂取された経緯は解明されず、栗東から美浦へ転厩、故障を発症してそのまま引退した。
ほんの僅かしかいない産駒のなかから1994年(平成6年)にメルシーステージ(牡)が3歳の春に重賞を連勝して活躍、「行方知れずの父親を探し出した孝行息子」と呼ばれた。
彼の活躍のおかげで、乗馬になっていたステートジャガーは種牡馬に復帰した。しかし1997年(平成9年)以降再度行方不明になっている。
産経大阪杯
1989年(平成元年)(第33回)名称が「産経大阪杯」に変更された。
1991年(平成3年)(第35回)は阪神競馬場が改修工事中のため、また1995年(平成7年)(第39回)は阪神競馬場が阪神淡路大震災による被害のため、いずれも京都競馬場の2000mで実施された。
1995年(平成7年)(第39回)指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が2頭まで出走可能となる。
2001年(平成13年)(第45回)馬齢表示の変更に伴い出走資格が4歳以上になった。
2003年(平成15年)(第47回)国際競走に変更され外国馬が4頭まで出走可能になり、2005年(平成17年)(第49回)には8頭に拡大された。
2014年(平成26年)から優勝馬に天皇賞春の優先出走権が付与されることになった。
GⅠ 大阪杯
2017年(平成29年)(第61回)GⅠに昇格した。正賞は日本馬主協会連合会会長賞になり、産経新聞社賞は9月のセントウルステークスの正賞に変更された。
GⅠに昇格して、優勝馬に9月にアイルランドのレパーズタウン競馬場で行われるアイリッシュチャンピオンステークス(GⅠ・芝2000m)への優先出走権が付与されることになった。合わせて大阪杯・天皇賞春・宝塚記念の3つのレースに同一年で全て優勝すると、褒賞金が贈られることになった。
GⅠに昇格して初めての2017年(平成29年)第61回大阪杯の優勝馬はキタサンブラック(牡5歳)である。続く天皇賞春で優勝したが宝塚記念では9着に終わり、褒賞金は得られなかった。
2000m前後の距離を得意とする馬は、大阪杯で上位に入線しても3200mの天皇賞春には進まないケースが多い。
また3月から4月はドバイやオーストラリア、香港、2020年(令和2年)に新設されたサウジアラビアなど海外の大きなレースも多く、そちらを選ぶ有力馬も多い。
大阪杯の次に天皇賞春に出走したのは2019年現在キタサンブラック1頭だけで、春の古馬中長距離路線を整備した狙い通りにはいっていないようである。
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