日本各地には複数のサーカス団が存在するも、迫力のある大きなテントを構えた「サーカス」をあまり目にすることがなくなった。
アクロバティックな技で空を舞う空中ブランコに、人々の好奇心を揺さぶるパントマイム、動物たちが活躍する輪くぐりといった数々な演技で、観る人を圧倒させる「サーカス」が衰退しつつある日本。
日本では、労働基準法によって18歳未満の大道芸を活かした舞台活動を禁止しているため、芸の取得や後継者を教育する機会が少なく、「サーカス」の衰退を加速化させてしまっているとの見方もある。
そんな日本の「サーカス」事情に比べ、現在も日常的に「サーカス」の公演が行われ、多くの人々に愛されて続けているのが、ロシアの「サーカス」文化である。
ロシアの人々にとって、エンターテインメントの中心を担う存在の「サーカス」は憧れの的であり、サーカス団への志願者も多い。
次世代の演技者たちの育成が進んでいる点もロシアで「サーカス」が長く愛されている理由の一つである。
目次
猫を主役とした一風変わったロシアで大人気の「サーカス」とは?
世界初そして、世界に一つだけの『ククラチョフの猫劇場』という猫が主役の「サーカス」がロシアのモスクワで話題を集めている。
気まぐれで自由を好む性格の猫が、逆立ちや綱渡りを披露しながら、サーカス団員との掛け合いを器用にこなす姿が、猫好きには堪らない内容となっている。2000年には日本での初公演も行なっている。
ロシアを代表する『ボリショイサーカス』で長年、人気クラウン(ピエロ)を務めたユーリー・ククラチョフが独立後に創設した劇場である。現在は彼の息子が指揮を取り、次世代を担う若手のサーカス団員たちと共に猫劇場を盛り上げている。現役を引退後したユーリー・ククラチョフはロシアの国民芸術家や動物愛好家として度々、メディアに顔を出すという。
猫の性格や機嫌によっては、演技中に逃げ出てしまうことも多々あるが、共演するクラウン達の機転の利いた演技と話術のおかげで、観客の笑いの渦に包まれる微笑ましい場面へと変わる。
猫の習性を理解し、無理矢理ステージに呼び寄せることは一切しないことが、劇場側が徹底している猫への配慮なのだ。
変わりつつある人々の「サーカス」への期待
動物たちと人間の息のあったパフォーマンスこそが、「サーカス」の素晴らしさを表現する名場面ともいえるのだが、時代の変化で生じる娯楽の多様化や人々の価値観により、そのパフォーマンスの内容を制限されてしまうこともある。その原因は、人々の動物たちに対する心配の声にある。
時間を掛けて行う動物たちへの調教と、演技指導が『虐待に相当する行為である。』『動物たちが娯楽の犠牲にされている。』といった意見が多く挙がるようになったからだ。
日本では実際に「サーカス」会場前で、動物の出演自粛を求める活動が起こり、騒動となった過去もある。
動物たちの「サーカス」への出演を巡る問題は世界中の「サーカス」業界でも議論となり、日本同様に『動物たちのいないサーカスを求める!!』といった署名まで集まるほどの騒ぎとなった。この問題については、ロシアでも問題視されていた時期もあったが、動物虐待の事実はないことや、動物への配慮を示したサーカス運営側の声明文を提出したことで、未だ賛否両論はあるものの、動物との共演を取り入れた「サーカス」は継続して行われている。
高い技術と芸術性で世界中から支持を受けるカナダのサーカス団『シルク・ドゥ・ソレイユ』は、動物との共演は一切ないが演技者の優れた身体能力で魅せる演出が好評を得ている。かつて人々が求めていた興奮や笑いを重視した演出よりも、一つの芸術作品としての安心して鑑賞できる「サーカス」の構成が、好まれる傾向にあることが分かる。
芸術的表現が高く評価される時代の中で、多くの人々に「サーカス」を楽しんでもらうためには、『ククラチョフの猫劇場』のように動物の習性や性格を優先していることを舞台上で見せることが、重要になってくるのではないだろうか。
「サーカス」で幸せを届けてくれる、あの存在も時代の流れを意識している!?
「サーカス」に欠かせない存在といえば、おどけた表情で笑いを誘う『クラウン』だ。日本では『ピエロ』と呼ばれることが一般的だが、『ピエロ』とは、悲しみを表現する『クラウン』の一種に過ぎない。底抜けに明るい『クラウン』に比べ、悲しみを背負う『ピエロ』の顔には涙が描かれているため、『クラウン』と『ピエロ』を見分ける特徴でもある。
当初は人々に幸福と笑顔を届ける役割を果たす存在として親しまれていた『クラウン』だったが、白で覆われた印象的な顔が素顔が見えない不思議な存在で正体を隠すという意味合いと結びつけられ、映画などでは悪役で登場することが増えてしまった。
そんな映画の影響で恐怖心を煽るイメージが根付いてしまったことを意識したのか、顔全体を白く塗っていた『クラウン』のメイクは素肌を出す部分を増やし、親しみやすい笑顔を強調したものに年々変化している。
過剰なモラルへの執着に揺れる世界の「サーカス」業界
世界的にSNSが普及したことで人々のモラルに関する思考も過剰になってきている。当初は、顔の知らない相手から受ける不快な言葉から身を守ることを目的にモラル教育が見直されていたように思う。それはのちに、会話の中で起きる差別的発言にも焦点が当てられ、相手を傷つける度を過ぎた言葉の再認識を求められるようになった。
しかし、少しでも不快と感じる部分があるのであれば、それは相手がモラルに反しているという考え方だけが大きくなり、言葉以外の事柄に対しても『モラルの有無』で判断される動きが目立つ。去年できていたことが今年は禁止されているといった切り替えの速さには、何ともいえない『もどかしさ』を感じることがある。
今回の「サーカス」の例で挙げたように、人前に出る際の風貌や動物たちへの演技指導といった広範囲に渡るモラルの問題は、今も世界中で議論され続けているが解決の糸口は見えていない。不快と感じる対象の基準が、個人によって異なることから問題解決には多くの時間が必要な難題である。
ただ一つだけいえることは、全ての観客に笑いと幸せを提供することだけを想い「サーカス」に人生を捧げたパフォーマーたちが、いつどんな時でも多くの人々を歓迎できるよう、時代に合わせた舞台構成と練習に日々励んでいるということである。
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