前編に引き続き後編である。
100年にも及ぶ戦国時代の最終的覇者となった徳川家康と徳川家には、「名物」と言われる数々の名刀が集まったという。
その中には昨今の日本刀ブームの立役者「刀剣乱舞」で知られる名刀も多数存在し、刀剣女子たちの憧れの的となっている。
今回は、名刀の中でも最も有名な村正について解説する。
妖刀村正
妖刀・村正(ようとう・むらまさ)」は、徳川家に不幸をもたらした刀と言われている。
「村正」とは室町時代から江戸時代初期にかけて三重県桑名に存在した刀工集団の名称で、そこで製作された日本刀が「村正」と呼ばれ、実用性と切れ味に定評があった。
「妖刀・村正」と呼ばれるようになった理由はいくつかある。
① 切れ味が良すぎる
第一の理由としてその「切れ味」が挙げられる。
村正作の1振と正宗作の1振を川へ突き立ててみたところ、上流から流れてきた葉がまるで吸い込まれるように「村正」に近づき、刃に触れた瞬間に真っ二つに切れたという。
一方、「正宗」にはどんなに葉が流れて来ても決して近寄ることはなかったという逸話がある。
② 徳川縁者が多く斬られた
第二の理由として「徳川縁者を斬りまくった」ことが挙げられる。
〇家康の祖父・松平清康が殺害された時の刀
〇家康の父・広忠が岩松八弥に襲われた時の刀
〇家康の嫡男・信康が死罪になり介錯に使われた時の刀
〇家康の正室・築山殿を野中重政が斬った時の刀
〇関ヶ原の戦いの際に家康が怪我をした時の槍
〇大坂夏の陣で真田信繁(幸村)が徳川本陣を急襲した時に家康に投げつけた短刀
これらすべてが「村正」の刀と槍であった。
③ 反幕府にも使われた
第三の理由として「家康だけでなく幕府も呪う」が挙げられる。
〇由井小雪のクーデター計画が発覚した時に正雪が所持していた刀
〇幕末に西郷隆盛を始めとする倒幕派の志士たちの多くが佩刀していた刀
これらも「村正」の刀なのである。
④ 科学で測定できない
第四の理由として「数値化できない切れ味」が挙げられる。
金属工学の第一人者の学者が、戦前に刃物の切れ味を数値化する測定器を製造し、古今の名刀を持ち込んで測定すると測定器は概ね期待通りの数値を示した。
しかし、なぜか「村正」だけは測定する度に数値が揺れて測定ができなかったという。「村正」は持つ者の心の闇によって切れ味が変わるとされている。
⑤ 違う痛み
第五の理由として「他の刀とは違う痛み」が挙げられる。
研磨師曰く、「村正」を研いでいると裂手(刀身を握るための布)がザクザク切れてしまうという。
さらに研いでいる最中に他の刀だと切れて血が出てから気がつくが、「村正」の場合は「ピリッ」とした他にはない痛みが走るという。
おわりに
戦国一の刀剣愛好家と言われた織田信長、信長に負けない刀剣コレクターであった秀吉。
彼ら2人が手にした天下の名刀は、「本能寺の変」「大坂夏の陣」で多く消失したが、残った名刀の多くは徳川家康と徳川家の所有となった。
日本刀の中には「妖力を持つ、病を治す、魔を祓う」など神秘の力の逸話があり、今も人々を惹き付ける魅力となっている。
やば、知らなかったっす、ためになりました。
何すかこの前後編引き込まれました。