戦国時代

戦国武将たちが好んだ食事とは? 【信玄・謙信・信長が食べた戦国勝負飯】

戦国時代、合戦に明け暮れた全国の戦国武将たち。その中でも最強と謳われたのが「甲斐の虎・武田信玄」と「越後の龍・上杉謙信」である。

そしてもう一人挙げるとするならば、天下統一にあと一歩まで近づいた「戦国の覇王・織田信長」であろう。

腹が減っては戦は出来ぬ」という言葉は有名であるが、戦国最強の武将である信玄・謙信・信長が好んで食べた食事とはどのようなものだったのだろうか?

武田信玄の勝負飯

戦国武将たちが好んだ食事とは?

画像 : 武田信玄 wiki c

信玄が愛し好んだ食べ物は、現在山梨県の郷土料理になっている。

それは甲州名物の「アワビの煮貝」である。

海の無い甲斐国において信玄はアワビの栄養に目を付け、今川氏の領地である駿河湾からアワビを仕入れていたとされている。

だが、甲斐まで運ぶのに時間がかかるために食中毒の危険があった。
そこでアワビを醬油漬けにして長期保存が効くようにして甲斐まで運ばせたという。

他に信玄が陣中食としていたと言われているのが、山梨名物の「ほうとう」である。

うどんに近い「ほうとう」であるが、うどんと大きく違う点は、麺を作る時に塩を使わないことである。
海が無かった甲斐で塩を使わなくても作れるように考案されたのが「ほうとう」なのだ。

また、信玄は「味噌」も好きだった。

甲斐は余り米が取れなかったために、信玄は大豆の生産を奨励した。
塩が取れない甲斐で味噌を塩分としていので「ほうとう」には味噌が使われている

信玄は京都から様々な知識人を甲斐に招いて、おもてなしをしながら「アワビの煮貝」と「ほうとう」を招待客に賞味させていたという。

上杉謙信の勝負飯

戦国武将たちが好んだ食事とは?

画像 : 上杉謙信

酒が好きだった謙信は、塩と梅干しをつまみにして酒を飲んだという。

普段の食事は一汁一菜の質素な食事で、特に「梅干し」が好物であった。

普段は質素な食事だったが、戦の前に家臣たちに「かちどき飯」という料理を振る舞っていたという。これは山海の幸をたっぷりと使った豪華な料理であった。

「かちどき飯」は、刺身の醤油代わりに日本酒を梅干しで温めた「煎り酒」、枝豆をすり潰した「ずんだ」などが特徴的で、品数がたくさんあった。
京都で料理人に学ばせた料理の手法がたくさん入っている御膳であったという。

「かちどき飯」は、謙信の故郷、現在の新潟県上越市で今も郷土料理として食べられている。

織田信長の勝負飯

戦国武将たちが好んだ食事とは?

画像 : 織田信長 public domain

信長は豪華なものを食べていそうなイメージがあるが、実はとても質素な食事であり、玄米にお湯をかけただけの「湯漬け」が好物であった。

桶狭間の戦い」の前にも「湯漬け」を食べたという逸話が残っている。

また、味噌を焼いただけの「焼き味噌」も好物であった。
八丁味噌とゴマを焼いただけのものと、八丁味噌にすりおろしたショウガと刻んだネギを入れて焼いたシンプルなものを好み、それを「湯漬け」と一緒に食べたという。

一番の好物とされているのは「干し柿」である。
なんと戦功を挙げた家臣に「干し柿」を与えたという記録も残っている。

信長はとにかく甘いものが大好きで、宣教師からもらった「コンフェイト」という砂糖菓子をとても気に入ったという。
それが訛って「金平糖」になったとも言われ、外国から何度も取り寄せるほど好物だった。

また、同じく宣教師が持って来た航海用の保存食だった「ビスコート」という甘くて固いパンを気に入ったという。
今でいう「ビスケット」である。

日本で最初にパンを食べたのは信長だと言われている。

戦国武将たちが好んだ食事とは?

画像 : 鮒寿司

そして、信長の人生を変えたと言われるグルメが「鮒寿司(ふなずし)」である。
鮒寿司は、信長の命を縮めた運命の食べ物だとも言われている。

本能寺の変が起きる1か月ほど前に、信長は徳川家康をもてなす饗応役に明智光秀を選んだ。

その時、光秀が出した「鮒寿司」が腐っていると信長が激怒し、光秀を殴りつけ、それを恨みに思った光秀が本能寺の変を起こしたという説もあるのだ。

他の戦国武将の勝負飯

豊臣秀吉は「割粥(わりがゆ)」という米臼でお米を砕いたおかゆが好物で、特に晩年は好んで食べていた。
他には根菜類も好物だったという。

秀吉の勝負飯は、米に麦を混ぜて炊いた麦飯に八丁味噌(豆味噌)を塗った「豆味噌の握り飯」だった。

徳川家康は「八丁味噌」を焼いたものをごはん(麦飯)にのせた「八丁味噌ごはん」を好んでいたという。

毛利元就は「」と「団子」が好みで、他に「白身魚」も好物であった。

伊達政宗は戦国大名きってのグルメであり、今でいう料理研究家として自ら台所に立って料理を作り、数多くの料理を研究したという。
有名な「ずんだ餅」は正宗が創作した料理で、今では仙台名物になっている。
正月料理の「伊達巻き」も政宗の好物だったことから、この名が付いたとも言われている。

真田幸村(信繁)は、お米と小麦粉を混ぜ、こねて丸くし、味噌をつけて焼いた長野の郷土料理「こねつけ餅」が好物であったとされている。

おわりに

戦国大名の好物や勝負飯は、以外にも質素なものが多いことが分かった。

総じてエネルギー源となる炭水化物の握り飯やごはん類が多かった、というのが良く分かる。

 

rapports

投稿者の記事一覧

草の実堂で最も古参のフリーライター。
日本史(主に戦国時代、江戸時代)専門。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 柿崎景家 ~常に先陣を切った最強の上杉四天王
  2. 関東管領上杉家について調べてみた【上杉謙信の誕生】
  3. 激突!三好長慶 vs 将軍・足利義輝の抗争 ~前編 【信長より先…
  4. 【真田氏2代の城】 上田城に行ってみた
  5. 「不死身の鬼美濃」の異名を取った強者・馬場信春
  6. 戦国一の怪力・真柄直隆【本多忠勝と一騎討ちした猛将】
  7. 【天才すぎて父に嫌われた】 若い頃の武田信玄
  8. 関ヶ原敗戦後も断絶を免れた毛利家、その鍵を握った『両川体制』とは…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『雷に7回打たれた男』ギネス記録保持者ロイ・サリヴァンの、まさかの最期とは?

かつてアメリカに、7度も雷に打たれながら生き延びて、「人間避雷針」と呼ばれた男がいたことをご存じだろ…

日本vsアイヌ…という単純な話ではない?「シャクシャインの戦い」について解説

現在の北海道が日本人による統治を迎えたのは日本の歴史の中で見れば比較的最近のことで、1885年(明治…

織田信長と足利義昭はなぜ決裂したのか「見捨てたのは信長ではなく義昭だった?」

1568(永禄11)年、織田信長に奉じられて上洛した足利義昭は、念願の征夷大将軍に就任した。…

NASAが警戒する危険な小惑星5選 「地球に衝突する可能性はどれくらいか?」

地球は過去に幾度となく、小惑星や隕石、彗星などに衝突され、生物絶滅の危機にさらされてきた。こ…

伊也姫とは 「よくも夫を!戦国時代、兄を殺そうとした仇討ちエピソードを紹介」

自由恋愛による結婚が市民権を得るようになったのは、日本の歴史から見ればつい最近、ここ数十年のことで、…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP