どうする家康

今川義元が討死!大高城に残る?それとも逃げる?松平元康の決断は【どうする家康】

「今川治部大輔(義元)様、討死された由にございまする!」

桶狭間で主君・今川義元(演:野村萬斎)を喪い、最前線の大高城に取り残されてしまった松平元康(演:松本潤)。

義元を討ち取った織田信長(演:岡田准一)がこちらを目指して進軍してくる……織田家の人質にとられていた少年時代のトラウマが蘇り、震えだします。

ここに残るか、それともすぐに城を出てどこかへ逃げるか……どうする元康。

難しい任務を果たした元康だったが……月岡芳年「尾州大高兵糧入図」

というのがNHK大河ドラマ「どうする家康」第1回放送「どうする桶狭間」のラストでした。

果たして史実の元康はどうしたのでしょうか。今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀』をひもといて、第2回放送「兎と狼」の予習をしていきましょう。

非常事態こそ慎重に。元康の冷静な判断

……義元あえなくうたれしかば。今川方大に狼狽し前後に度を失ひ逃かへる。   君はいさヽかもあはて給はず。水野信元より義元討れし事を告進らせて後。志づかに月出るを待て其城を出給ひ。三河の大樹寺まで引とり給ふ。岡崎城にありし今川方の城番等は。義元討死と聞て取ものもとりあへず逃去ければ。その儘城へ入せ給ふ。君八歳の御時より駿府に質とせられ。他の国にうき年月を送らせ給ひ。とし永禄三年五月二十三日。十七年を経て誠に御帰国おりしかば。国中士民悦ぶ事かぎりなし。(義元より兼て武田上野介。山田新右衛門等を岡崎の城代に置しが。今度尾州出軍に及びまた三浦飯尾岡部等をして岡崎を守らせけるに。義元討死を聞此軍みな逃去ければ。難なく御帰城ありしとなり。)……

※『東照宮御實紀』巻二「元康入岡崎城」

義元があえなく討たれてしまったので、今川方は大混乱に陥って駿府へと逃げ帰って行きました。

しかし元康は、叔父の水野信元(演:寺島進)より連絡を受けてもあわてることなく沈思黙考。

「総大将が討死して味方が総崩れなら、ここを守っても救援は来ない。何をぐずぐずしているの?逃げ遅れたら全滅だよ?」

そう思われる方がいるかも知れません。しかし水野信元は叔父とは言え織田方に寝返った人物。虚報の可能性も否定できないのです。

もし仮に義元が生きていた場合「アイツは虚報に踊らされて城を棄てた腰抜け」と烙印を捺されてしまうでしょう。恥を晒して生き延びるくらいなら、城を枕に討死した方が武士の名誉は守られます。

なので元康は物見を放って情報収集に努め、義元の討死を自ら確認した上で大高城から菩提寺である大樹寺へ移ったのでした。

大樹寺へ入った元康たち(イメージ)清親筆

「ここからなら松平家の本拠地・岡崎城が近いだろうに、何ですぐそっちへ行かないの?」

やはりそう思われる方もいるでしょうが、これも現場の状況をよく考えねばなりません。

当時、岡崎城には今川の城代として武田上野介(たけだ こうずけのすけ)・山田新右衛門元益(演:天野ひろゆき)がいました。桶狭間の決戦に及んで彼らが出撃し、代わりに三浦・飯尾・岡部らが詰めています。

もし不用意に岡崎城へ飛び込んで、彼らに襲われたらひとたまりもないのです。一方、大樹寺の住職である登譽天室(演:里見浩太朗)は信頼のおける人物。まして仏道に帰依した人物が懸賞金目当てに自分を売る(襲う)ことはないでしょう。

「申し上げます!岡崎の城はもぬけの殻にございます!」

物見の報告によれば、三浦・飯尾・岡部らは義元が討たれたと聞くや否や大混乱。取るものもとりあえず一路駿府へまっしぐらとの事でした。

「よし。いざ参らん、我らが城・岡崎へ!」

「「「おおぅ……っ!」」」

今川の人質として駿府へ送られ、歩んだ苦節十数年。いよいよ若君のご帰国に、三河家臣団・そして領民たちの喜ぶまいことか。

「我らの殿さまが、ついに三河に帰って来た!」

時に永禄3年(1560年)5月23日、17年ぶり(※)に岡崎城は松平家の手に取り戻されたのでした。

(※)『東照宮御実紀』の記述によりますが、永禄3年(1560年)から17年さかのぼると家康が生まれた天文11年(1543年)になってしまい、計算が合いません。でもまぁ、そこの所は多めに見てあげて下さいね。

終わりに

以上、『東照宮御実紀』より松平元康の岡崎凱旋エピソードを紹介してきました。

幼くして人質にされ、十数年の歳月を経て岡崎城へ返り咲いた竹千代(イメージ)

人質だった少年時代の苦難を共に乗り越えた三河家臣団との絆、からの岡崎凱旋。そのカタルシスは、徳川家康を語る上で長く歴史ファンから愛されてきたもの(これは個人の感想)です。

今回の「どうする家康」は尺の都合なのか、それらを諸々すっ飛ばしていて正直ちょっと寂しい(これも個人の感想)ですが、物語はまだ始まったばかり。

きっとこの寂しさを補って余りあるカタルシスが、きっと用意されているはずです。これからも楽しみに見守っていきましょう!

※参考文献:
菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書、2004年10月
成島司直ら編『徳川実紀 第一編』経済雑誌社、国立国会図書館デジタルコレクション

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 長男・信康の死から学んだ家康の子育て術 「子は若木のように育てよ…
  2. 徳川家康の人生最後の大問題とは「忠輝と政宗の謀反の噂」
  3. 間一髪!あやうく羽柴秀吉への養子≒人質に出されかけた松平定勝 【…
  4. 戦国最強・武田軍団を作った信玄の働き方改革 「最低な家臣たちの…
  5. 関ヶ原の戦い!本当の裏切り者は誰だったのか? 【毛利輝元、吉川広…
  6. 【どうする家康】 次に天下を狙うのは誰?秀吉が石田三成を挙げた理…
  7. 『吾妻鏡』の外にもたくさん!徳川家康の愛読書や尊敬する人たちを紹…
  8. 松平信康は切腹。殺された瀬名は怨霊に?『松平記』より築山殿事件を…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

水戸黄門は本当に全国を歩き回っていたのか? 「副将軍という役職はなかった」

水戸黄門 といえば時代劇でおなじみの人物で、知らない人のほうが少ないくらいです。テレ…

スエズ運河建設【日本では明治維新を迎えた頃の大事業】

元はフランスが主導スエズ運河 は日本では明治維新を迎えた直後の1869年11月に開通しま…

アトランティス人 はどういう特徴だったのか?【超古代文明】

アトランティスについての文献や情報は、多くの書物やネット上に掲載されている。古代ギリ…

三国志の『魏は青・呉は赤・蜀は緑』ってどこからきたの?

はじめに三国志が好きな人にとって、当たり前のように染みついてしまったのが、それぞれの国のイメ…

入内から一気に没落…東宮妃となった藤原原子(道隆女)の末路 【光る君へ】

藤原原子と書いてあったら、何と読みますか?ふじわらの「はらこ」?それとも「わらこ」?残念なが…

アーカイブ

PAGE TOP