どうする家康

「バカな甥っ子」家康を思いやる水野信元(寺島進)。愛敬のある伯父のその後【どうする家康】

世渡り上手で戦国を生き抜く

水野信元 みずの・のぶもと
[寺島進 てらじますすむ]

織田家に味方する三河の国人領主。家康の母・於大の兄。乱世を渡り歩いた度胸とズルさの持ち主。時折、信長の代理と称して、家康のもとを訪れては物腰柔らかく脅しをかけ、ビビらせては楽しむ、愛敬のある伯父。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

記憶の限りだと第4回放送「清洲でどうする!」を最後に姿を見ない水野信元(演:寺島進)。このままもう退場(既に亡くなっている)かと思われる方も多いでしょうが、実はまだ生きています。

果たして劇中では出番があるのでしょうか。今回は『寛政重脩諸家譜』をひもといて、これまでのおさらいと、今後の人生を紹介。大河ドラマには出て来ないところで、けっこう色々と活躍していたようです。

水野信元の生涯・前編をおさらい

信元
初忠次 藤七郎 四郎右衛門 下野守 母は昌安が女。
父に継で小河、大高、半田、西川、刈屋、西尾等の城々をかねたもち、織田右府に属し、東海道の旗頭となり、諱字をあたへらる。永禄のはじめ、尾張国石瀬及び刈屋城外十八町といへるところにて、しばしば岡崎衆と相戦ひ、家臣等軍功あり。三年五月十九日今川義元尾張国桶狭間にをいて討死のとき、東照宮には義元をたすけて大高城を守らせたまひしかば、信元は右府に属すといへども、舅家の御よしみあれば、ひそかに浅井六之助道忠を使して、義元命を殞し、今川勢守るところの数城みな陥りて敗走す。たゞ大高城のみのこれり。尾張の多勢に囲まれざるうち、速に城を避て帰国あるべしと告たてまつりしに、其夜月出るを待て御馬を出され、道忠を嚮導となされしに、池鯉鮒を過らせたまふところ、刈屋の軍勢、今川の敗兵を討留むとす。なかにも家臣上田平六近正すゝみいで、道忠が前駆せしをみて、ことばをかはし、刈屋の兵を制し道忠とともに今村の郷までをくりたてまつりしかば、つゝがなく岡崎にかへらせたまふ。其後信元右府にいひけるは、東照宮はちなみありといへども、信元私なくしばしばこれとたゝかへり。今氏真と隙ありて、織田今川両家の敵をうく、しかれども武勇すぐれたれば和をこふ事あるまじ、はやく和議を結ばれば、国家の利ならむと。右府大によろこび滝川一益に命じて和をこはしむ。信元もまた使をまいらせ、西三河は代々の御料なれば、今右府と好を通じ舊領の地をおさめたまはゞ、祖先への孝なるべしと、すゝめたてまつる。これにより東照宮御許容ありて、右府も西三河の城々をみな岡崎にかへし、和議とゝのひしかば、東照宮尾張国清州にいたりたまふ。信元御先に候し、右府と会盟あるのとき、信元も血判を加へ、また小き紙に牛の字を書て三にきり、三人あひ共にこれを呑せたまふ。そののち一向乱のとき酒井雅楽頭正親をして、西尾城へ兵粮を納めしめられしとき、道路みな敵地なれば、西野に出て信元に援兵をこひしかば、弟忠重をしておもむかしめ、その身は鷲塚に屯し、賊兵と戦ひ六十餘人をうちとり、家臣上田平六近正、一揆の魁首鈴木彌兵衛某をうち、すなはち岡崎にまいりて得るところの首をたてまつりしかば、賞せられて茶地純子(緞子か)の御陣羽織をよび黄金一枚をたまふ。元亀元年姉川の役には、浅井が武将、礒野丹波守秀昌がまもれる近江国佐和山の城を攻落す。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第三百二十八 清和源氏(満政流)水野

水野信元は生年不詳、水野忠政(ただまさ)と松平昌安(まつだいら まさやす)女の間に生まれました。

「バカな甥っ子」家康を思いやる水野信元(寺島進)

信元の信は、信長より拝領(イメージ)

通称は藤七郎(とうしちろう)、受領名の下野守は自称です。元服してはじめは水野忠次(ただつぐ)と改名しましたが、やがて織田信長(演:岡田准一)に臣従して信の字を拝領。信元と改めます。

永禄3年(1560年)に今川義元(演:野村萬斎)が桶狭間で討たれると、大高城で孤立無援に陥った「バカな甥っ子」松平元康(演:松本潤。徳川家康)を逃がす手配をつけてやりました。

※第1回放送「どうする桶狭間」以前~放送第3回「三河平定戦」時点

ただし信長への忠義もあるため元康としばしば交戦。やがて信長は滝川一益(たきがわ かずます)を使者に元康と和睦。信元は両雄の仲立ちを務めます。

清洲で盟約を交わした信長と家康。書状には信元も血判を加え、後に「牛(牛王宝印)」と書いた紙を三つに裂いてこれを呑み、末永い絆を誓ったのでした。

※第4回放送「清洲でどうする!」時点

後に三河一向一揆に際しては家康に援軍を出し、60名以上の賊兵を討ち取り、家臣の上田平六近正(うえだ へいろくちかまさ)が一揆の首魁・鈴木彌兵衛(すずき やへゑ)を討ち取る大手柄を立てます。

※第8回放送「三河一揆でどうする!」~第9回放送「守るべきもの」時点

また元亀元年(1570年)の姉川合戦では磯野丹波守秀昌(いその たんばのかみひでまさ。浅井の武将)が守備していた佐和山城を攻略。浅井長政(演:大貫勇輔)を追い詰める上で大きく貢献しました。

※第15回放送「姉川でどうする!」時点

佐久間信盛の讒言で失脚、非業の最期

信元を讒訴した佐久間信盛。「長篠合戦図屏風(成瀬家本)」より

……三年三方原合戦のときも、援兵として浜松にいたる。天正二年一向の門徒蜂起せしとき、織田信雄が手に属して、長島篠橋の砦をせむ。三年佐久間信盛が讒にあひて、右府の憤をかうぶり、岡崎にのがる。右府使して信元を殺さむと乞れしかば、東照宮にもやむことを得たまはず、信元を喩され三河国大樹寺にをらしめ、十二月二十七日石川数正、平岩親吉がために害せらる。大英鑑光信元院と號す。刈屋の楞厳寺に葬る。室は松平内膳正信定が女。

※『寛政重脩諸家譜』巻第三百二十八 清和源氏(満政流)水野

初登場時から実にチンピラっぽい雰囲気で、どこか小者感が否めなかった信元。しかし家康や信長にとっては決して小さくない存在であったことが、その活躍から分かりますね。

その後も信元は、元亀3年(1572年)に家康が武田信玄(演:阿部寛)と対決した三方ヶ原合戦にも援軍として浜松へ駆けつけました。

天正2年(1574年)の長島一向一揆では織田信雄(のぶかつ。信長次男)の配下として長島篠橋の砦を攻めるなど、変わらず武功を重ねます。

しかし天正3年(1575年)に佐久間信盛(演:立川談春)が「水野が武田勝頼(演:眞栄田郷敦)と内通している」等と密告したことにより、信長の不興を買ってしまいました(『松平記』による)。

無実の罪で殺されてはかなわん、と「バカな甥っ子」家康の下へ逃げ込んだ信元。しかし家康も信長の圧力には抗しえず、天正3年(1576年)12月27日に信元を暗殺します。

手を下したのは石川数正(演:松重豊)と平岩親吉(演:岡部大)。『松平記』では切腹とあるので、両名は検屍に立ち会ったのでしょう。

戒名は大英鑑光信元院(だいえいかんこうしんげんいん)。遺骸は楞厳寺(りょうごんじ。愛知県刈谷市)に葬られました。

終わりに

「バカな甥っ子」家康を思いやる水野信元(寺島進)

「チッ、しくじったぜ。お前ェは上手くやれよ。甥っ子ォ……」家康に討たれてしまった信元(イメージ)

かくして歴史の舞台から退場していった信元。ちなみに久松長家(演:リリー・フランキー。久松俊勝)は家康の態度に腹を立て、出奔したと言います。

信元の遺領はしばらく佐久間信盛に預けられていたものの、後に佐久間が追放され、信元が冤罪とされると末弟の水野忠重(ただしげ)に返還されました。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では水野信元の最期がどう描かれるのか、今後の展開に注目ですね!

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第二輯』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 大石泰史 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』戎光祥出版、2019年5月
  • 戦国史研究会 編『論集 戦国大名今川氏』岩田書院、2020年3月
角田晶生(つのだ あきお)

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