中国史

兵馬俑の頭部を盗んで死刑になった男 【闇市場で一億円ほどの価値】

兵馬俑

兵馬俑の頭部を盗んで死刑になった男

画像 : 兵馬俑 wiki c

1974年3月、中国西安の農民が井戸を掘ろうとしたことをきっかけに、地下に眠っていた兵馬俑(へいばよう)が長い眠りから覚めることとなった。

古代の秦王朝の始皇帝が現代に残したとても貴重な宝物であり、その一体一体が国宝級である。 兵馬俑は当然のことながら市場に出回ることはない。
発見から50年近く経った現在でも研究が進められている。

兵馬俑を見るためには博物館のチケットを買う必要があるのだが、繁忙期は90人民元必要である(日本円で1800円ほど)。

平均すると毎年1.5億人民元もの収入になっており(日本円で30億円ほど)すでに国家レベルの観光産業となっている。
兵馬俑には多額の保険がかけられており、一般人がそれを保証できるような額ではない。

しかしなんと、この国宝級の兵馬俑が裏市場で売買されたことがあるという。

一体誰が売り飛ばし、いくらぐらいになったのだろうか? その事件を見てみよう。

王更地という人物

兵馬俑の頭部を盗んで死刑になった男

画像 : 王更地

この人物は地元で、ちょっとしたワルだったという。
いつの頃からか一攫千金を夢見るようになったが、勉学に励むでもなく仕事に明け暮れるでもなく、なんとなくフラフラしていた。

そんなある日のこと、駅でご飯を食べていた時のことだ。彼は一人の人物と出会う。
最初はたわいもないお喋りをしていたが、その人物が彼に一攫千金の話を持ちかけてきたという。

その内容は、発掘進行中の兵馬俑の価値の高さであった。
一攫千金」と聞いて、王更地はその話に飛びついたのである。

王更地はすぐに行動を開始し、1987年2月17日の夜、兵馬俑博物館の壁をよじ登り始めた。当時はセキュリティもしっかりしていなかったことから、意外にすんなり侵入できた。

そこで目にしたのは、出土したばかりの沢山の兵馬俑だった。

兵馬俑の頭部を盗んで死刑になった男

画像 : 兵馬俑博物館 public domain

全身揃った兵馬俑を持ち出すことはできないため、王更地は一つの頭を持ち帰った。そして彼は意外にも見る目があったようで、将軍俑の頭を持ち帰ったのである。

当時、三箇所の兵馬俑坑が発掘中だったが、そこで発掘された多くは一般の兵隊で幾千体にものぼっていた。将軍俑はなんと6体しか出土していなかったのである。それにも関わらず、学識もないこの王更地という男は、見事に将軍俑の頭を盗んだのだ。

王更地は、話を持ちかけてきた男に将軍俑の頭を託した。そして2人は成功を祝った後、買い手を探すべく裏ルートで販売を始めたのだった。

このニュースが流れると、多くの人は逮捕するためではなく将軍俑の頭を購入したい一心で、王更地を探し始めたという。

そして幾週か時間が流れ、闇市場では200~500万人民元ほどの値もついたがトラブルなどもあり、結局30万人民元で売ることとなった。現在の日本円で言うと600万円程度だが、それでも当時の価値ではかなりの高額だったであろう。だが王更地は5万人民元しか手にしなかったという。それでも当時の価値ではかなりの額である。

その後この事件は、王更地と、彼に話を持ちかけた人物(※権学力という名前だった)の逮捕をもって幕を閉じた。

この2人はその後、どうなったのであろうか?

当時21歳だった王更地は死刑宣告を受けて命を落とし、権学力は無期懲役になったという。さらに買い求めたり、関わった人物たちも10年から15年の懲役を受けた。

王更地が手にした5万人民元も当然没収され、皮肉にも兵馬俑の頭と人間の頭を交換したような形となってしまったのである。

国宝一級の宝物を盗んだ罪は、かなり重かった。

人々の間では「盗みで死刑は、さすがに重すぎるのではないか」という意見も多かったという。

当時の資料には「今後、中国の歴史に金銭的価値を見出して盗みや破壊が起きることがないように予防した」といった旨の記述がある。つまり見せしめのために過剰に厳しくしたのではないか、と推測されている。

最後に

画像 : 銅馬車 (兵馬俑)wiki c

筆者は一度、兵馬俑博物館に出かけたことがあるのだが、正直セキュリティーは少し甘く感じた。
かなり間近で見ることができるので、手を伸ばせば触ることさえできそうだった。とはいえ不思議な無言の圧力が人々を制している印象だった。

兵馬俑は、単なる古代の遺産として片付けられないほどの価値を持っている。

中国を初めて統一した秦の言い伝えでしかなかった伝説が、歴史の事実として人類に知らしめられたのだ。

参考 : 兵馬俑一個值多少錢 黑市開了這個價

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