イメルダ・マルコスは、フィリピンの元大統領フェルディナンド・マルコスの妻として知られる人物です。
現在の大統領ボンボン・マルコスの実母でもあります。今年で94歳になり、今も健在です(2023年7月現在)。
ですが彼女はかつて、独裁政権の中で国のお金を横領し、贅沢の限りを尽くした「悪女」と批判されました。
今回の記事では、イメルダ・マルコスの生命力あふれる人生を紹介したいと思います。
ミス・マニラからファーストレディへ
世界恐慌が起きた1929年、イメルダはフィリピンのマニラで生まれました。当時のフィリピンはアメリカの植民地でした。
彼女は貧しい家庭で育ちましたが美貌と歌唱力で注目され、1953年に「ミス・マニラ」に選ばれました。同年、彼女はフェルディナンド・マルコスと出会い、わずかな交際期間を経て結婚します。
1965年、夫のマルコスが大統領に当選。
イメルダはファーストレディとして、国内外で多くの公式行事に参加し、夫の政治に深く関わっていきます。
ピンチに乗じて独裁体制を築くマルコス
1969年に行われた大統領選挙でもマルコスは再選を果たしますが、フィリピンの国内情勢は混迷を極めます。
農村部では、毛沢東思想を掲げた共産党や武装組織が力を付けたためです。1970年になると「文化大革命」の影響を受けた学生運動も起こり、武装組織による爆弾テロも増加し、状況はさらに混沌を深めていきます。
1972年9月23日未明、マルコス大統領はフィリピン全土に「戒厳令」を発表し、議会の機能をストップします。 マルコスによる実質的な独裁体制です。
戒厳令に踏み切った理由として、マルコスは前日の22日に起きた、エンリレ国防長官の暗殺未遂事件をあげています。「共産主義勢力による犯行である」とマルコスは断定しましたが、現在ではマルコスによる自作自演の可能性が指摘されています。
完全な証拠はありませんが、マルコスが自身の権力を固めるために事件を偽装した、というのが一般的な見解です。
暴漢に襲撃されたイメルダ
マルコスが独裁体制を固めた時期、イメルダは政治的な影響力をさらに強くし、政府機関の役職や国家プロジェクトを担当しています。そのなかでも「美化運動」が有名です。「フィリピンの街並みを美化する」として、彼女はホームレスを街から追い出し、スラム街をなくすため人々を強制的に排除しました。
こうした美化運動を推進したせいなのか、戒厳令を敷いた同じ年(1972年)の12月、イメルダ自身も暗殺未遂を受けています。
美化運動のイベントに参加したイメルダは、刃物を持った暴漢に襲撃を受けたのです。この様子はテレビで生中継されていたので、暴漢が射殺されるシーンも放送されました。
何度も刺されたイメルダを見て、国民は彼女の死を覚悟しましたが、彼女はなんと生きていました。すさまじい生命力です。
ついに革命へ
マルコス大統領の独裁政治は、結果として20年ほど続きます。
イメルダ夫人の豪華な生活や浪費癖も明らかになり、支持率は下がり続け、国民は新しい指導者を求め始めました。
そして決定的な事件が起きます。1983年、次期大統領候補として国民から支持を集めていた、ベニグノ・アキノがフィリピンに帰国した際、空港で暗殺されたのです。
この暗殺事件に「イメルダが関与した」という疑惑が浮上し、マルコス夫妻は国民から大バッシングを受けます。マルコス政権はイメルダの関与を否定しましたが、意図的に隠蔽したという疑念は最後まで払拭できませんでした。
1986年2月に行われた大統領選挙では、現職のマルコスとコラソン・アキノの一騎打ちとなりました。コラソン・アキノは、暗殺されたベニグノ・アキノの妻になります。
民間の選挙監視団体や公式な投票立会人たちは、コラソン・アキノが約80万票の差をつけて当選したと主張。しかしマルコスが管轄する中央選挙管理委員会は、マルコスが160万票の差をつけて勝利したと発表しました。
マルコスによる明らかな開票操作(不正選挙)を受けて、ついに国民の堪忍袋の緒が切れます。
100万人規模の民衆デモが起き、マルコス夫妻が住むマラカニアン宮殿を連日取り囲みました。その後、フィリピン軍にも見放されたマルコス夫妻はアメリカに亡命したのです。
いわゆる「ピープルパワー革命」によって、約20年にわたる独裁政権は崩壊しました。
まさに「女帝」
1989年、夫のマルコスは死去しました。妻のイメルダは1991年、フィルピンへの帰国を果たしています。
1992年、イメルダは大統領選挙へ立候補しましたが落選。1995年には国会議員選挙へ立候補し、見事当選します。そして2019年まで議員を続けました。
2022年の大統領選挙において、ドゥテルテ大統領の後任として、息子のボンボン・マルコスが当選を果たします。
イメルダは現在も生存しており、今年(2023年)で94歳になります。
息子の大統領就任によって、イメルダはマルコス一族を復権させたのです。
いまだに強い影響力と生命力を兼ね備える彼女は、まさに「女帝」という表現が相応しい人物です。
参考文献:カルメン・ナバロ・ペドロサ(氷川野拓訳)『実録イメルダ・マルコス』めこん、1986年2月
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