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【RRR】 インド独立の英雄コムラム・ビーム 「その生涯をたどる」

インド映画の最高傑作、と筆者が勝手に推している『RRR』。

かつてイギリスの植民地支配に抵抗した二人の革命家が、もし若い時に出会っていたら……そんなifストーリーが、躍動感あふれるワイルドなタッチで描かれていました。

さて、今回は『RRR』主人公の一人であるコムラム・ビームについて紹介。実在の彼がどのような生涯をたどったのか、一緒に見ていきましょう。

土地を追われたゴンド族の青年

インド独立の英雄コムラム・ビーム

画像:英領インド帝国国旗(Wikipedia/Public Domain)

コムラム・ビーム(Komaram Bheem)は1901年10月22日、イギリス植民地下にあったインド帝国の属国ニザーム藩王国サンクパーリで誕生しました。

白人たちの迫害を逃れるため、ゴンド族の両親と共に森の奥深く住んでいたと言います。

満足な教育を受けずに育ったビームは森の中で自給自足の生活を送っていましたが、やがて地主や警察によって土地を奪われ、帰農を余儀なくされます。

森林からの資源採取は一切禁じられ、木を切った子供の指が切断されたり、冤罪をでっち上げられたりなど苦難の日々が続きました。

そんな中、ビームの父親も森林管理官によって殺されたのです。きっと、飢えに苦しむ家族のために密猟や密漁でもしたのでしょう。

父の死後、ビームら家族はサンクパーリからサーダプールに移住しました。

荒れ果てた不毛の地を何とか開拓、必死の思いで糊口をしのいでいましたが、ここでも搾取を受け続けることになります。

そんな中、ビームは1920年にニザーム藩王国の高官であったシッディケサーブを殺害してしまいました。

おおかた虐待に耐えかねて、あるいは同胞を救うためだったのかも知れません。

ビームは仲間のコンダルと共にチャンダ市へ逃亡し、反英・藩王国な出版業者のヴィトバに匿われます。

ヴィトバの元で働きながら、ビームとコンダルは初めて教育を受け、ヒンディー語やウルドゥー語を学びました。

しかしヴィトバが逮捕されるとビームは逃亡。コンダルはどうなったのか、ともあれアッサム州へ逃げ込んで紅茶畑の労働者として4年半ほど潜伏します。

しかし労働者仲間の信頼を得ていたのか、やがて組合運動にのめり込み、最前線で活躍するように。このころから、革命家としての頭角を現したのかも知れません。

が、潜伏中にもかかわらず、あまりに目立ってしまったために逮捕されてしまったのでした。

しかしビームは屈することなく、わずか4日でまんまと脱獄。母たちが移住していたバルハールシャーへ逃げ込みます。

逃亡生活を続ける中で、かつてゴンド族の首長としてイギリス王国と闘った英雄ラームジー・ゴンドを慕い、彼に続く民族闘争を決断したのでした。

ついに挙兵、ゲリラ闘争へ突入

インド独立の英雄コムラム・ビーム

画像:イギリスの植民地支配に叛旗を翻し、武力闘争を指揮したコムラム・ビームの像。Wikipedia(Praveen Kumar Myakala氏)

しかし今はまだ雌伏のとき。ビームはカカンハットへ移住し、デヴァダム村のラッチュ・パテルの下で働きます。

ここである土地訴訟に協力したビームは一躍有名になり、周囲の信望を獲得しました。

かつてアッサム州の紅茶畑で働いた経験が活きたということで、人生何がどう役立つか分からないものですね。

やがてソム・バイと結婚したビームはゴンド族の故地バーデジャハリに移住。奥地を開拓して生計を立てました。

しかし森林管理官はビームたちの家や畑が国有地であることを理由に、収穫物を収奪します。

このままでは飢え死にするしかありません。ビームは藩王国に生きる権利を求めましたが、当局は一切聞く耳を持たず、一切の要求を拒絶したのでした。

かくなる上は武力闘争を始めるより他に生きる道はありません。

ビームはインド共産党と手を組み、各地の族長たちを招集して議会を開きます。

そして自分たちの土地を守るため、イギリス王国とインド帝国、ニザーム藩王国に対してゲリラ戦の開始を議決したのでした。

「ゴンドの地に、ゴンド族によるゴンド族のために、ゴンド王国を樹立しよう!」

かくしてゴンド王国の樹立が宣言され、これが後にゴンドワナ自治の嚆矢となったのです。

果たしてゴンド王国の樹立決議後、1928年にビームたちはゴンド地方で挙兵しました。

バーデジャハリとジョデガートのザミーンダール(徴税局)を攻められたことにより、ニザーム藩王国はビームを叛乱の首謀者と認識。和平の条件を提示します。

「ゴンド族に土地を与えるゆえ、兵を引かれたし」

しかしビームは「我らが求めているのは民族の正義である。土地の所有・利用権など些末なことではない!」として要求を拒絶。

代わりに以下の要求を突きつけたのでした。

一、ゴンド族による自治権を承認せよ。

一、当該自治区域内から森林管理官とザミーンダールを退去させよ。

一、ニザーム藩王国によって囚われているすべてのゴンド族を釈放せよ。

気持ちは解りますが、ニザーム藩王国として呑める条件ではなく、交渉は決裂。

その後10年以上にわたりゲリラ闘争が繰り広げられたのでした。

「コムラム・ビーム万歳!」森じゅうに響く声

インド独立の英雄コムラム・ビーム

画像:ニザーム藩王国ウスマーン・アリー・ハーン(Wikipedia/Public Domain)

ジャル・ジャンガル・ザミーン(Jal, Jangal, Zameen/水・森・大地)

ゴンドの水と森と大地を、ゴンド族の手に取り戻す!

ジョデガートを本拠地として、ゲリラ闘争を繰り広げるビーム。300名ほどの兵士を率いて、各地で暴れ回りました。

鎮圧に手を焼いたニザーム藩王国では、ゴンド族のクルドゥ・パテルを買収。内部情報の引き出しに成功します。

そしてビームは1940年4月8日、アシファバードで現地の武装警官隊に殺害されたのでした。

この時、ビームが蘇生の呪文を修得している可能性を考えて、その遺体は燃やし尽くされたと言います。

現代からすれば迷信もよいところですが、人々は「ビームなら、そのくらいやりかねない」という畏れを抱いていたのかも知れません。

ビームと同志15名が殺されたその夜、森じゅうからこんな声が響きわたったそうです。

「コムラム・ビーム、アマル、ラへ。ビーム、ダダ、アマル、ラへ!(コムラム・ビーム、万歳!英雄ビーム、万歳!)」
(Komaram Bheem amar rahe, Bheem dada amar rahe!)

声の主は闘争の同志たちか、それともナートゥ(故郷・民族・誇り等の意)の精霊か。

ビームの殺害日時について、当局は1940年10月としていますが、ゴンド族の人々は4月8日を記念日にしているそうです。

たとえビームが倒れても、その志は同胞たちに受け継がれ、後に大東亜戦争を経てインドは独立を勝ち取ったのでした。

終わりに

画像:RRRのポスター、世界各地を熱狂の渦に巻き込んだ名作。

「サルサでもフラメンコでもない……”ナートゥ”をご存知か?」

キレッキレなオリジナルダンス「ナートゥ」で世界を魅了したインド映画「RRR」。

そこには民族の誇りが散りばめられ、悲しい闘いの歴史を偲ばせるのでした。

180分があっという間に過ぎ去るパワフルハイテンションエンターテインメント。まだ観ていない方は是非どうぞ!

 

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角田晶生(つのだ あきお)

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フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
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