この作品は、ルイス・ウェインというイギリスの画家が描いた猫の絵だ。
ルイス・ウェインは1800年代後半から1900年代にかけてイギリスで人気を博した画家兼イラストレーターで、晩年は幻覚や幻聴などを症状とする統合失調症を患いながら、絵を描き続けた人物としても知られている。
ウェインが残した数百点に及ぶ作品たちの中でも、「万華鏡猫」とも称されるサイケデリックで奇妙な猫の絵は「精神病者が見ている世界を表現したものだ」と広く信じられているが、果たしてそれは真実なのだろうか。
今回は稀代の猫画家ルイス・ウェインの数奇な人生に触れていきたい。
ルイス・ウェインの生い立ち
ルイス・ウェインは1860年の8月5日に、イギリスのロンドン中心部にあるクラーケンウェル地区で生まれた。父のウィリアム・マシュー・ウェインは繊維商で、母のジュリー・フェリシー・ボワトゥーは刺繍デザイナーをしていたフランス系の女性だった。
ウェインは6人兄妹の長兄として生まれ、下にはキャロライン、ジョセフィーヌ、マリー、クレア、フェリシーという5人の妹がいた。
ウェインは出生時に口蓋裂を持っており、病弱で10歳になるまで学校に通えなかった。
10歳からの約2年間はオーチャード・ストリート財団学校に通っていたが、まともに登校せずロンドンの街をふらついたり、王立工科大学の講義を受けたり、田舎に出向いて昆虫採集などをして過ごしていたため、周囲からは「変わった人物」として認識されていたという。
13歳になる年から3年間、ウェインはカトリック系のセントジョゼフアカデミーに通い、その後はウエスト・ロンドン美術学校に入学し、卒業後は同校の補助教員として働き始める。
しかし1880年に父ウィリアムが死去してしまった。ウェインは20歳という若さで、一家の大黒柱として生活費を稼がなくてはならなくなったのだ。
転職とエミリーとの結婚
教師の安い給料だけでは家族を養っていけないと考えたウェインは、自身が描いた絵を出版社に売るようになり、その作品が掲載された雑誌の担当者からのオファーを受けて、フリーの職業画家へと転身する。
そこからウェインは雑誌や新聞の挿絵として、動物を擬人化した絵や風景画などを描いては売り、生計を立てていくこととなる。
初期は猫ではなく、得意としていた犬や家畜、建物の絵などを描いていた。
1884年1月30日、23歳になったウェインは、妹の家庭教師だった10歳年上の女性エミリー・リチャードソンと2人きりの結婚式を挙げ、夫妻はロンドン北部のハムステッドに1匹の子猫と共に住むようになる。
当時、妻が下働きかつ10歳も年上の女性というのは非常に異例かつスキャンダラスなことで、両家の家族は2人の結婚に猛反対したという。
画家としての成功とエミリーの死
不幸なことに、ウェインとの結婚から間もなくして、エミリーは乳癌を発症してしまう。
ウェインが猫の絵ばかりを描く画家となったのは、エミリーの病気と黒白の子猫“ピーター”の存在がきっかけだった。
当時の医療では乳癌を治すことはできず、エミリーは痛み止めで苦痛を紛らわせながらベッドに身を横たえ、ただ死を待つことしかできなかった。ウェインは病身の妻を慰めるために、妻が愛する子猫がまるで人間のような振る舞いをする絵を描いたのだ。
ウェインはピーターについて、「私の画家としての創造の源であり、後の仕事を決定づけた」と後に語っている。
エミリーはウェインが描いたピーターの絵に喜びつつ彼の才能に感銘を受け、ウェインがあくまでも私的に描いていたピーターの絵を、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースに売るように勧めた。
やがてピーターをモデルとしたウェインの絵は世間から広く注目され、イギリスの大手出版社であるマクミランパブリッシャーズからも児童書の挿絵の依頼が届くほどとなる。
1886年には『子猫たちのクリスマスパーティー』がイラストレイテッド・ロンドン・ニュースに掲載され、ウェインの猫画家としての地位は決定づけられたのだ。
しかし結婚から3年後の1887年1月に、エミリーは亡くなってしまう。
擬人化した猫を描く斬新な画家として順調にキャリアを築いていったウェインだったが、華やかな成功の裏では大切な人を失い、深い悲しみに打ちひしがれていたのだ。
描けども描けども楽にならない生活
最愛の妻で理解者でもあったエミリーを失ったウェインは、ピーターと共にウェストミンスター市に移り住む。
人付き合いが得意ではないウェインだったが、エミリーを失った寂しさを紛らわせるかのようにボヘミアンサークルに加入したり、動物に関するチャリティー活動に参加したりする傍らで、多くの作品を描いては売り続けた。
1890年には結婚を機に疎遠となっていた家族と和解し、ケント州に一家で引っ越して、様々なスポーツやガーデニングなどの趣味に興じた。
同時代の画家に比べて多数の作品を描き、生前から既に国民的人気を誇る画家でもあったウェインだが、彼は生涯貧困に苦しんだ芸術家でもある。
なぜなら彼には画家としての才能はあっても、商売人としてのセンスは皆無だったからだ。
ウェインは穏やかで争いごとが苦手な上に交渉事も苦手で騙されやすく、金銭感覚もズレていた。どんなに人気が出ても作品は安値で買い叩かれ、版権も取引相手任せにしてしまったため、後に出版された作品集の印税を受け取ることもできなかったのだ。
彼が自分の作品を安値で売り続けたのは、母と妹たちへの仕送りを止められなかったことも理由の1つだった。
ウェインは1907年にニューヨークに渡り、新聞社と契約して3年間に渡り創作活動を行った。しかしその間に母が死に、1910年に帰国してから3年後に、統合失調症を患って長く入院していた妹マリーを亡くす。
1914年には乗り合いバスの事故でウェイン自身が頭部に重傷を負って、一時昏睡状態となる。
回復はしたものの、1917年にはインフルエンザで妹キャロラインを亡くし、壊れ始めていたウェインの精神状態は悪化の一途をたどることとなった。
統合失調症と診断され入院
実はウェインのイギリスでの人気は、ニューヨークに渡航した頃を境に陰り始めていた。第一次世界大戦後は絵の仕事が大幅に減り、収入はどんどん乏しくなっていった。
貧困に苦悩する中で、次第に現実と幻想の境目がわからなくなり、妄想が止まず、話をしようとしても舌がもつれるようになる。穏やかな性格も一変してしまい、ウェインは妹たちを疑い敵視して暴力を振るうようになった。
そしてウェインの暴力と暴言に耐えられなくなった妹たちによって、1924年、スプリングフィールド精神病院の貧困者用病棟に収容されることとなる。
一時は環境の悪い隔離病棟に閉じ込められたウェインだったが、その後、彼を支持した有力者たちの働きかけにより王立ベスレム病院へ移され、やがて最後の9年間を過ごすナプスバリー病院に転院となる。
ナプスバリー病院には患者たちのために快適な庭が用意されていて、そこにはウェインが愛した猫が数匹飼育されていた。ウェインは王立ベスレム病院とナプスバリー病院で過ごす日々の中で本来の優しい性格を徐々に取り戻し、入院中も思いつくままに猫をモチーフにした絵を描いていたという。
そして1939年7月4日、稀代の猫画家ルイス・ウェインは、78歳でその波乱万丈な生涯に幕を閉じたのだ。
ウェインの絵と精神病の関係
かつては国民的画家だったウェインが入院中に描いた作品は、精神病研究に携わる医療者にとって貴重な資料として扱われた。
ウェインが晩年に描いたとされるサイケデリックで奇抜な猫の絵は精神病理学の教科書にも取り上げられて、画風の変化が精神状態の悪化を示す事例として広く知られるようになった。
制作された時系列順かのように並べられるウェインの作品たちだが、実はどれも制作日がはっきりしていない。ウェインには自分の作品に制作日を記入する習慣がなかったのだ。
ウェインは作品を創作するにあたって、実験的な試みを多く取り入れる画家でもあった。そもそも彼の代名詞である擬人化した猫の絵も、元々は彼の実験的試みにより発明されたものだ。
原色を多用し幾何学的に描かれた猫の絵も、彼が錯乱して猫を描いたわけではなく、「芸術的な試みによって描かれたものではないか」と考える説も出てきている。なぜならウェインは万華鏡猫を描いていた同時期に、健常時と同じ画風の猫の絵も描いていたからだ。
ウェインの作品が精神状態の悪化により変遷を遂げたという説を否定した研究者は、ウェインの一連の作品の時系列は恣意的に作り出されたものであると主張し、精神病理学で取り上げられたウェインの作品を「精神病院のアートにおけるモナリザ」と称している。
ウェインが文化に与えた影響
ウェインが伝統や慣習にとらわれず自身の感性に従って描いた多くの猫の絵は、近代芸術のみならず近代文化にも多大なる影響を与えた。
たとえばイギリスにおいては「猫をペットとして飼う習慣」にすら、ウェインの影響があったという。
19世紀のイギリスでは猫は日陰者扱いで、ネズミを捕る不衛生な動物として認識されていた。しかしウェインが絵の中で猫に人格を与えたことに加え、猫の権利を回復するチャリティー活動に尽力したことにより、人々が抱く猫への軽蔑感が払拭され、ペットとして愛する文化が定着したと言われている。
また夏目漱石が書いた『吾輩は猫である』に登場する「舶来の猫が四、五疋(ひき)ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている絵葉書」は、ウェインの作品を元に作られた絵葉書と考えられている。
彼の数奇な人生は、2021年に映画化され『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』という邦題がつけられた。
妻と猫を心から愛し、家族のために精神を擦り減らしてまでも働き続けたルイス・ウェイン。
今は天国で愛するエミリーやピーターと共に、安らかに暮らしていることを願う。
参考文献
南條竹則 (著)『吾輩は猫画家である ルイス・ウェイン伝 』
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