芥川龍之介は、大正から昭和に活躍した日本を代表する小説家です。
「羅生門」や「蜘蛛の糸」など有名な代表作が多数あり、左手を顎に添えた、芸術家らしく繊細そうな表情の写真が記憶に刻まれている人も多いでしょう。
私小説・現代物・時代劇ほか、さまざまな作品を生み出し、日本文学においての「短編小説」というジャンルを確立させ、「夏目漱石の後継者」ともいわれていました。
頭脳明晰・緻密な天才などのイメージがある芥川龍之介ですが、実は、怪奇・ホラー・おばけなどの摩訶不思議な世界をこよなく愛し、本格的に怪奇小説を志向していた時期もあったとか。
35歳で亡くなる前には、幽霊ともドッペルゲンガー(もう一人の自分)とも思える存在を題材にした怖い作品も残しています。
目次
「おばけや怖い話」のまとめノートを作っていた
幼少期からなのか学生時代からなのかは定かではありませんが、実は芥川龍之介は「大のおばけ好き」だったそうです。
怪奇やホラーものに魅せられていたようで、友人や知人などに「怖い話はないか」と聞いて回ったり、図書館に怪談話の本を探しに行ったりなど、熱心に探求していました。
入手した怪奇話をまとめた『椒図志異(しゅくとしい/しょうずしい)』と名付けた、いわゆるまとめノートのようなものも現存しているそうです。
山田風太郎『叛旗兵』に『椒図志異』に触れた一文があります。
要約すると…
芥川龍之介は、おそらく高校から大学にかけての時期に古今怪奇なエピソードを写した『椒図志異』というノートを作った。
「椒図」は「黙するを好む龍」という意味で、「志異」は奇談集の意味がある。中国の有名な怪談衆『聊斎志異(りゅうさいしい)』が頭の中にあり、この名前を付けたのだろう。
という内容で、芥川龍之介が母親から聞いた話として「上杉家の当主が天守閣で何者かを見た話」などが綴られていたそうです。
柳田國男と泉鏡花との「おばけ好きの師弟関係」
遠野市に伝わる怖い話をまとめた『遠野物語』で知られる柳田國男の回顧録の中にも、「まだ若い頃、芥川龍之介が私の作品を読んでいた」というような記述が残されています。
芥川は柳田の作品に触発され、自身でも『河童』(昭和2年/1927)を書き、さらに怪奇・幻想的な作品で知られる泉鏡花とともに、柳田と「おばけ好きの師弟関係」を結んでいたようです。
『河童』は、人間社会を痛烈に批判・風刺した作品で、芥川の自殺の動機を考える上でも大切な作品のひとつといわれています。
「レインコートを着た幽霊」が登場する『歯車』
『河童』と同年に出した『歯車』(昭和2年/1927)も、晩年の代表作です。
あらすじは以下です。
主人公の僕(芥川自身と思われる)は、ホテルで行われる知人の結婚披露宴に向かう途中「レインコートを着た男の幽霊が出る」という話を聞いてしまう。
それ以来、汽車を待っているときも、友人と会話をしているときも、しばしば季節外れのレインコートを着た男に遭遇するようになり不気味に感じる。そして、なぜか視界に半透明の歯車が現れたのち、激しい頭痛に襲われてしまう。
ホテルの部屋に戻ると姉から電話があり「夫が轢死した。なぜか季節外れのレインコートを着てた」と聞く。
その後、主人公は半透明の歯車の幻影と頭痛に悩まされる…
この、はじまりの「レエン・コオト」の章だけでも、すいぶんと怖い話です。
最後の章では、そんな芥川の様子を見て心配した妻に「何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」といわれ、
〜それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?〜
という、読んでいるこちらも胸が締め付けられるような苦しげな言葉で締めくくられています。
『歯車』は、芥川龍之介が死に至るまでの苦悩ぶりが表現されていると、川端康成などが高い評価をしているそうです。
「レインコートの男は亡くなった兄の生き霊か幽霊だった」「芥川自身のドッペルゲンガーだった」「さまざまなことに苦悩していた時期だったので疲弊した上でみた幻想だった」など、人によって実に様々な解釈があります。
また、「透明な歯車・頭痛」という表現から、脳の視神経を司る中枢の血管が収縮して引き起こされる「閃輝性暗点」という症状で、脳に何かしらの異変が起きてドッペルゲンガーを見てしまったと勘違いしたのでは?という科学的な推察もあるようです。
警察署長に宛てた『二つの手紙』
ドッペルゲンガーが登場する『二つの手紙』(大正15年〜昭和元年/1926頃)は、警察署長に宛てた二通の手紙からなる作品です。
「警察署長閣下」で始まる手紙の冒頭では、「私は精神が異常ではない正気であることを信じてください」と訴えかけるところから始まります。
1つめの手紙の内容は
自分と妻の両方のドッペルゲンガーにときどき遭遇するようになった。世間では妻が浮気していると疑われているが、あれはドッペルゲンガーなので、妻は潔白だ。私たちを罵る人々を警察で取り締まって欲しい。
2つめの手紙の内容は
妻が失踪してしまった、自殺したかもしれない。警察はなにもしてくれなかったので私も仕事をやめて引っ越し、超常現象の研究家になる。警察署長閣下は冷笑するだろうが、超常現象をすべて否定するのはいかがなものか。あなたの知らないことはあるのだ。
本当に自分と妻のドッペルゲンガーに遭遇したのか、生き霊だったのか、精神的に追い詰められた狂気なのか、 などと想像が膨らむ怖い話となっています。
怖くて不思議ながらも小気味のよい『春の夜』
さらに『春の夜』(1926年/大正15年)という作品にも、幽霊だったのかドッペルゲンガーだったのかわからない不思議な存在が登場します。
あらすじは以下です。
僕が看護師のNさんに聞いた話。
Nさんが病弱な息子・清太郎の看護のために、ある家に看護師として派遣されていたときのこと。
氷を買いに夜道を歩いていたところ突然誰かに抱きつかれ、驚いて振り返ると清太郎にそっくりだった。「ねえさん、お金をおくれよ」と甘えるような声もそっくり。「清太郎さん!?」と驚きながらも、病床にある清太郎がそんなことをできるわけないと思いつつ、Nさんは逃げた。
家に戻り、ひょっとして清太郎は死んでいるでは? と不安にかられつつ病室にいくと清太郎は布団の中で眠っていた。
清太郎の生き霊なのかドッペルゲンガーなのか? はたまたそっくりなだけの近所の不良少年だったのか? 真相はわかりません。
主人公の僕は、Nさんに「あなた、清太郎っていう人が好きだったんでしょ?」という少々意地悪な質問をします。
〜「ええ、好きでございました。」
Nさんは僕の予想したよりも遥はるかにさっぱりと返事をした。〜
と終わるところが、怪奇な話なのに小気味のよさや不思議な余韻を残しています。
芥川龍之介の怪奇で不思議な作品は実体験なのか創作物なのか、どう解釈するかはその読み手次第なのでしょう。
教科書で知られている有名な作品とは一味も二味も異なる、怖いながらも「本当に怪奇な存在を実際に見ていたのでは?」と、その世界に魅了され、引き込まれるような芥川作品でした。
参考文献:
芥川龍之介「歯車」
芥川龍之介「二つの手紙」
芥川龍之介「春の夜」
山田風太郎 「叛旗兵」
芥川龍之介「二つの手紙」論 人文社会科学研究 第24号
芥川龍之介「春の夜」の一考察 大阪大学 Xianghua JIN
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