日本史上、臣下によって唯一暗殺された天皇として記録されている第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう)。
絶対的な権力を持つべき天皇が、なぜ臣下に暗殺されてしまったのだろうか。
その背後には、朝廷内で権力を求める蘇我馬子(そがのうまこ)の陰謀が大きく関わっていた。
今回は、崇峻天皇の即位から暗殺に至るまでの経緯を詳細に掘り下げることで、その真相に迫る。
崇峻天皇とは?
第32代崇峻天皇は、553年頃に第29代欽明天皇の第十二皇子として誕生した。
第30代敏達天皇、第31代用明天皇とは異母兄弟である。母は蘇我稲目の娘である蘇我小姉君であり、蘇我馬子の兄弟にあたる。
天皇即位前、崇峻天皇は柏瀬部皇子(はつせべのみこ)と呼ばれており、同母兄弟には、用明天皇の妃となった穴穂部間人皇女や穴穂部皇子がいた。
第31代用明天皇が崩御した際、蘇我馬子に敵対していた物部守屋(もののべのもりや)は、柏瀬部皇子の同母兄である穴穂部皇子(あなほべのみこ)を皇位継承候補として推挙しようとした。
穴穂部皇子と物部守屋は、先々代の第30代敏達天皇崩御時の皇位継承を巡るトラブル以来、距離を縮めていた。
天皇になりたい穴穂部皇子と、蘇我氏を排除したい物部氏の思惑が一致しての動きであった。
しかし、穴穂部皇子と物部守屋の動きはクーデターとして捉えられ、他の皇族と蘇我馬子はこれを阻止する行動をとった。
穴穂部皇子はすぐに捕らえられ、誅殺された。
これを知った物部守屋は自らの本拠地に逃げ帰り、戦いの準備を始めた。しかし、蘇我馬子率いる朝廷軍に敗れ、物部守屋は討たれた。
この内乱は「丁未の乱(ていびのらん)」と呼ばれ、これ以後、物部氏は衰退した。
古代日本で起こった「丁未の乱」とは 〜仏教を認めるかどうかで殺し合い
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その後、用明天皇の後継者として柏瀬部皇子が蘇我馬子に推挙され、第32代崇峻天皇として即位したのである。
なぜ崇峻天皇と蘇我馬子の関係が悪くなったのか?
崇峻天皇は592年に暗殺されたと伝えられている。
この暗殺を企てたのは叔父である蘇我馬子であり、実行犯は東漢駒(やまとのあやのこま)と記録されている。
「丁未の乱」で敵対していた物部守屋を排除した蘇我馬子は、自ら推挙して皇位に就けた甥の崇峻天皇は「自分の意のままになる」と考えていた。
しかし、崇峻天皇の政権が始まると、蘇我馬子の思惑とは裏腹に、天皇との間には次第に溝が生まれていった。
崇峻天皇はこれまでの天皇とは異なり、政治の拠点を山間部の倉梯(くらはし)に移したとされている。
この移転により、朝廷の合議に参加する資格を持つ豪族たち、敏達天皇の皇后であった前太后の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやめ)や大臣の蘇我馬子とも距離を取る形となった。
この結果、崇峻天皇はヤマト王権における支配者層全体の利害を調整することができず、対立が顕著化していった。
また、崇峻天皇と豪族たちとの対立要因として、仏教に対する姿勢の違いもあった。
仏教に寛容であった用明天皇とは異なり、崇峻天皇は仏教に対して慎重な立場を取っていた。
このため、丁未の乱で勝利した崇仏派を中心とした豪族たちとの関係は良くなかったと考えられている。
さらに、朝鮮半島政策においても対立が深まっていた。
崇峻天皇は591年に自ら発議して新羅に対する任那復興軍の派遣を決定したが、当時の中国では隋が統一を果たしており、国際情勢から見ても時代にそぐわない政策であった。
この政策に対する反対意見が強まり、天皇と豪族たちとの溝はさらに深まったのである。
暗殺の経緯
そのような状況の中、崇峻天皇の動向について蘇我馬子に密告が入る。
592年10月4日、崇峻天皇に猪が献上された。
崇峻天皇は、笄(こうがい)と呼ばれる小刀を使って猪の目を刺し、「いつの時か、この猪の首を断つように、私が嫌だと思う者を斬りたいものだ」と発言したとされる。
この発言を聞いた蘇我馬子は「天皇が自分を嫌っている」と確信し、暗殺を決意する。
そして、東国の調を進めるという名目で天皇を儀式に臨席させ、その席上で部下であった東漢駒(やまとのあやのこま)に天皇を暗殺させたのである。
崇峻天皇は崩御した当日に葬られたが、そんな事例は他になく、正式な陵地が存在しないことも異例である。
また、天皇が暗殺された異常事態にもかかわらず、朝廷内外で動揺が発生せず、蘇我馬子にもお咎めがなかったことから、崇峻天皇の暗殺は宮廷クーデターだった可能性が高いと考えられている。
崇峻天皇の死後
崇峻天皇の暗殺後、蘇我馬子はさらに権力を掌握する。
その後、崇峻天皇の異母姉であり、蘇我氏出身の豊御食炊屋姫が第33代推古天皇として即位することで、蘇我氏と皇室との対立を避け、融和を図ることとなる。
これにより、推古天皇、蘇我馬子、聖徳太子を中心とした新たな政権が発足し、飛鳥時代が幕を開けるのである。
参考文献
・いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編 東洋経済新報社
・ビジュアル百科写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史 西東社
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