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その塀の向こうは撮影禁止!旧飛田遊郭跡の歴史を探る「大門跡と嘆きの壁と慈母観音」【大阪市西成区】

再開発が行われた大阪市阿倍野区は、ビルが建ち並ぶきれいな街になりました。

しかし、その阿倍野区の再開発エリアのすぐ隣は、昔ながらの下町の雰囲気が残っています。

その一部は、かつて大正中期から昭和33年にかけて存在し、日本最大級の遊廓と言われていた旧飛田遊郭跡地があります。

画像:鯛よし百番※筆者撮影

(会席・鍋料理店の鯛よし百番の建物は昔の妓楼建築の面影を残す登録有形文化財)

1958年の売春防止法施行以降は、飛田新地となり、令和の現在も料亭の「料理提供」と仲居による「サービス」の営業が行われており、インバウンド利用者も増えています。

そんな旧飛田遊郭の名残を歩いてみました。なお、飛田新地エリア内の撮影は禁止されています。

旧飛田遊郭は大阪花街の中で最後に誕生

画像:旧飛田遊郭大門跡横にある説明板※筆者撮影

旧飛田遊郭の説明板がありました。

もともと存在していた難波遊郭(難波新地)が、1912(明治45)年の前年の火災によって廃止となり、その代替えとして選ばれたのが当時は原っぱ同然だった飛田でした。

大阪の花街は江戸時代に起源をもっており、最も古いのが1626年の難波遊郭です。

明治中期の大阪4大花街といえば、新町、堀江、南池、北新地とあります。旧飛田遊郭の前にできた遊郭は明治維新と同じ年、1868年の松島遊郭となっており、旧飛田遊郭は大阪の遊郭では最後に誕生しました。

旧飛田遊郭の歴史を今に伝える大門跡

画像:旧飛田遊郭大門跡※筆者撮影

説明板のすぐ横にあるのが旧飛田遊郭大門跡で、かつてのエリア内は壁に囲まれていて、門から出入りしていました。

エリア内の撮影は禁止されているので、内側から外側にカメラを向けて撮影しています。

画像:旧飛田遊郭大門※筆者撮影

(戦争でも焼失しなかった大門跡)

1918(大正7)年に旧飛田遊郭は開郭(かいかく:遊郭のオープン)しました。遊郭の広さは約2万坪です。

大門は当初から飛田の玄関口として機能しました。飛田遊郭は隆盛し、1933(昭和12)年には遊客数が松島遊郭を上回りました。

戦争で飛田も焼失した地域もあったものの、大門は奇跡的に焼失を逃れました。旧飛田遊郭が廃止になっても当時の面影を伝えるものとして、現在も保存されています。

目の前の建物が無くなって姿を現した通称「嘆きの壁」

画像:建物取り壊しで露わになった嘆きの壁 ※筆者撮影

これは大阪メトロ動物園前から南に続く商店街のうち、飛田本通り商店街沿いに現れた光景です。

建物が壊されて現れた壁は通称「嘆きの壁」と呼ばれています。

画像:嘆きの壁 ※筆者撮影

一般的な嘆きの壁はイスラエルのエルサレムにある、エルサレム神殿跡に残る外壁を指します。

そして旧飛田遊郭を囲む壁を誰かが「嘆きの壁」と呼び、その言葉が定着しました。

画像:嘆きの壁の一部を最大に拡大※筆者撮影

嘆きの壁があるのは、旧飛田遊郭のエリア内は遊女が逃げ出さないように高い塀で囲んでいたからです。

遊郭が廃止後も壁はそのまま残され、2024年に商店街の店舗の建物が取り壊されると、嘆きの壁が露わになったのです。

画像:拡大した嘆きの壁※筆者撮影

嘆きの壁を建てた人物は不明で、かつ建物と建物の間に設置されているため責任の所在があいまいとなっているとのこと。

倒壊の危険があるものの嘆きの壁を取り壊すのも容易ではないそうです。

画像:東側の壁と階段 ※筆者撮影

対照的に旧飛田遊郭の東側、再開発された阿倍野地区側の嘆きの壁はきれいな塀となっています。

画像:崖が壁の役目を果たしていた※筆者撮影

西側と違い東側は、もともと崖となっていて、自然の壁になっていました。

飛田新地料理組合の歴史と遊女たちを供養している慈母観音

画像:慰霊碑と慈母観音入口 ※筆者撮影

旧飛田遊郭の南東側、阪神高速の高架そばにあるのが慈母観音です。

すぐ横に説明板がありました。

それによれば、いろいろな事情で旧飛田遊郭で働いていた多くの遊女や男たち、遊郭の外に移住できずに亡くなった霊が安らかにとの願いで建てられたものです。

画像:慈母観音 ※筆者撮影

慈母観音は身内に看取られることなく亡くなられた遊女たちの霊を供養し、彼女たちの苦労を無駄にしてはいけないと、地域の人たちが遊女たちの霊を奉っていきたいとの思いから地元に建てられました。

飛田社会福祉協議会の名で、2008(平成20)年8月に建てられたとのこと。

画像:飛田新地溶離組合の歴史と慰霊碑。慈母 観音の由来の説明板※筆者撮影

説明板では旧飛田遊郭のその後についても書かれています。

飛田遊郭は戦争で大きな被害を受けたあと、赤線(あかせん:GHQの公娼廃止指令から売春防止法施行まで、実質的に売春が公認されていた場所)として復興が行われました。

昭和33年の「売春禁止法」施行により、飛田は大きな転機を迎えることとなります。そして新地組合長、協同組合理事長、帳場長の三者が話し合いを行った末、料理組合を新たに立ち上げ現在に至ると書いてありました。

このように、一大ターミナルの天王寺、その南西の歩いて行ける範囲に、大阪の近代史跡が今もそのまま残っています。

画像:阿倍野側に上がれる階段 ※筆者撮影

旧飛田遊郭跡地
住所:大阪市西成区山王
アクセス:南海新今宮駅、大阪メトロ動物園前駅、阪堺電車今池駅下車
参考文献:
・大阪府統計書
・金沢大学 笠井津加佐・笠井純一 著「明治後期における大阪花街の変貌と『春の踊』競演の出現」2017.9
・現地の説明板
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部

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奥河内から情報発信

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歴史・地域文筆家。国内外問わず歴史が好きなことから様々な時代の歴史の執筆を手掛け、楠木正成や五代友厚などを取り上げた小説の電子書籍を出版している。
2021年に大阪府河内長野市に移住。同年9月から2026年3月まで「奥河内から情報発信」という名でYahoo!ニュースエキスパート地域(河内長野市など)を担当。2026年1月からは自サイト「南河内ニュース」を立ち上げ、主に南河内地域の知られざる、また埋もれた歴史を自ら歩き回って掘り起こしを行いながら、歴史を知らない人でもわかりやすい文章の執筆に心がけている。
知る人ぞ知る南河内ゆかりの人物の歴史小説のコンテストにも何度か応募し最終審査近くまでの実績あり。

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