2024年オリンピックにわいた花の都パリ。大都市の華やかさの影には、常にその治安を守るための力と組織が必要とされてきました。
その中枢ともいえるパリ警視庁は、パリ中心部を流れるセーヌ川の中州、シテ島に位置しています。
このパリ警察は、ナポレオン一世によって本格的に組織されましたが、その草創期には、ある一人の犯罪者が深く関与していました。
彼の名はウージェーヌ・フランソワ・ヴィドック。
かつて音に聞こえた犯罪者が、19世紀前半に脅威の逮捕数を誇ったパリ近代警察の礎を作ったのです。
札付き犯罪者の過去
ウージェーヌ・フランソワ・ヴィドックは、1775年に北フランスの都市アラスで、パン屋の息子として生まれました。
ヴィドックは体格にも恵まれ、15歳頃までは何不自由のない生活を送っていました。
しかし彼はある時、アメリカに渡ることを目論み2千フランをくすねて家出をします。しかし途中で悪党に金を奪われて渡米をあえなく頓挫、そこからペテン師の手伝いなどをするようになります。
次に軍隊に入隊してみたものの脱走し、その後は放浪と逮捕、脱獄を繰り返しました。
ヴィドックは密輸や窃盗にも手を染め、ある時には欠席裁判で死刑判決を受けるまでに至りました。
何とか刑の執行は免れましたが、ヴィドックはすっかり裏社会に通じた常習犯罪者となっていたのです。
しかし、三十歳を迎える頃になると、警察から逃げ回る生活に嫌気が差し、彼は犯罪から足を洗うことを決意します。
それまでの女性遍歴にも終止符を打ち、最愛の女性アネットと共にパリで生地屋を開き、商売を始めたのです。
しかし、裏社会との縁を切ることは容易ではなく、顔見知りの小悪党が店に現れ、ゆすりたかりや、貸した馬車を犯罪に使うなど、彼の平穏は長く続きませんでした。
「悪魔」と呼ばれた刑事との駆け引き
この状況を打開するため、ヴィドックはある大胆な賭けに出ます。
彼が賭けの相手としたのは、シテ島警視庁の保安部長であるジャック・アンリでした。
アンリはその辣腕ぶりから、犯罪者たちに「悪魔」と恐れられていた名刑事でした。
ヴィドックは、自分の名を伏せたままアンリと面会し「自分を見逃してくれるならば、犯罪者逮捕に役立つ情報を数多く提供できる」と提案しました。
しかし、もしアンリがこの取引を受け入れなかった場合、ヴィドックには逮捕されるだけでなく、一生をかけても償えないほどの厳しい刑罰が待ち構えていたのです。
アンリは、この取引には応じませんでした。しかしヴィドックを逮捕することもしませんでした。アンリは、犯罪者に対する鋭い嗅覚を持っており、ここでヴィドックを敢えて泳がせることにしたのです。
その後、1809年にヴィドックはついに身元を突き止められ、警察に逮捕されてしまいます。打つ手が尽きたかのように思われたヴィドックは、そこで再びアンリに捜査協力を申し出たのです。
牢獄で命がけの情報収集
アンリがヴィドックの犯罪歴を確認したところ、度重なる犯罪を犯していたものの、強盗殺人の経験はありませんでした。
そこでアンリは、ヴィドックに牢獄内で犯罪に関する情報を収集させることにしました。
ヴィドックは、犯罪者の間では古参としてよく知られており、その上、聞き上手でもあったため、囚人たちは彼を信頼し、様々な情報を提供しました。しかし、この任務は非常に危険であり、もしその真意が囚人たちに知られれば、その場で命を奪われる可能性すらありました。
命がけでヴィドックが収集した情報は非常に正確で、犯人逮捕に大きな成果をもたらします。
その結果、ヴィドックは21か月後に釈放され、過去の犯罪歴も清算されることとなったのです。
元犯罪者が特捜班を組織
こうして、見事に過去の清算に成功したヴィドックでしたが、彼はただの情報屋にはとどまりませんでした。
彼の卓越した捜査能力は警視庁にも認められ、ヴィドックは自らの提案で「特捜班」を組織することになったのです。
かつての犯罪者仲間も引き込み、多い時には40名ほどの部下を率いました。
この特捜班の活躍は目覚ましいものでした。
一晩で38人もの犯罪者を逮捕するという偉業を成し遂げたり、長年にわたりパリ警察を悩ませていた大泥棒フォサールを逮捕するなど、「ヴィドックがパリ中の悪党を一掃した」という評判が立つほどでした。
これは第一に、特捜班によって組織的に捜査が行われるようになったこと、そしてヴィドック自身の記憶力の良さや、捜査の際の変装の巧みさなどが大きく寄与していました。
決裂からの復帰
目覚ましい成果をあげたヴィドックでしたが、彼を登用したジャン・アンリが退職し、後任となったマルク・デュプシとは反りが合いませんでした。
デュプシとは何度も衝突し、1827年にヴィドックは辞表を叩きつける形で警察を去ります。
ところが、その翌年から犯罪が大幅に増加したのです。
1831年、結局ヴィドックは、新たに警視総監となったジスケにより、保安部長として再び警視庁に呼び戻されました。
復帰後のヴィドックは、その手腕をいかんなく発揮し、暴動の鎮静化や難事件の解決など、再び成果を挙げました。しかし、あまりに目立つ存在であることから、敵対心を抱く者も少なくありませんでした。
最終的にヴィドックは一年足らずで辞任を余儀なくされましたが、その後も世界初となる「私立探偵事務所」を開設し、古巣の警察に睨まれ続けながらも、私的警察のような立場を保ち続けました。
文豪たちに与えた影響
1857年、病により自宅で息を引き取ったヴィドックでしたが、その波乱万丈の人生は創作者たちの想像力をかき立てました。
バルザックやヴィクトル・ユーゴーなどの名だたる文豪たちが、彼に影響された作品を世に送り出すこととなります。
かの『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンは、ヴィドックから着想を得たと言われています。
ヴィドックの伝説は、パリ警視庁の歴史の中でも特筆すべき存在としてこれからも語り継がれることでしょう。
参考文献:『ヨーロッパ三都物語 ローマ・パリ・ウィーン歴史秘話』新人物往来社
文 / 草の実堂編集部
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