祭りと言えば「夏」と思いがちだが、祭りとは何も納涼祭だけではない。
日本では一年中どこかしらで祭りをやっており、中には「奇祭」と呼ばれるユニークな祭りも多数存在する。
日本の奇祭と言えば宮古島の「パーントゥ」や、灘の「けんか祭り」などが有名だが、他にもたくさんの奇祭がある。
今回は、全国から厳選した10の奇祭を紹介したい。
青森県:恐山大祭
毎年7月20日~7月24日に、青森県下北半島の恐山で行われる恐山大祭は、「イタコの口寄せ」が体験できる祭りである。
「イタコ」とは簡単に言えば巫女やシャーマンのことで、「口寄せ」は死者の魂を自らの体に降ろし、生きている人に対して死者の言葉を伝えるというものだ。
恐山大祭は、イタコの口寄せを体験しようと全国から人が集まり、祭りの期間は朝から大行列ができるほどの人気ぶりである。
恐山は古くから死者への供養の場として知られており、下北地方では「死んだ人の魂は恐山に行く」と言い伝えられてきた。
恐山でイタコの口寄せが始まったのは、戦後のことである。
戦後の混乱期には、盲目あるいは弱視の女性が就職先としてイタコになるケースも多かった。
しかし徐々に社会が安定したことでイタコの後継者不足が問題となり、現在イタコは存続の危機に瀕している。
山形県:カセ鳥
毎年2月11日の建国記念日に行われるカセ鳥は、山形県上山市の上山城や街の要所で行われる民俗行事である。
頭から藁をかぶった「カセ鳥様」が火を囲んで踊り、見物人はカセ鳥に冷水をかけて、稼業の安定と火難除けを祈願する。
2月の山形県は想像するだけで凍えそうな寒さだが、カセ鳥役は藁の下にはサラシと薄いズボン以外何も身に着けておらず、行事の後半には身体が冷え切って手足の感覚がなくなるそうだ。
場合によっては藁にツララが出来ることもあるという。
カセ鳥の起源は江戸時代初期まで遡り、約350年もの歴史がある由緒正しい伝統行事である。
幕末になると次第に衰退し、明治時代には一度完全に廃れたが、1959年に上山市民がカセ鳥の資料を見つけて再現し、見事な復活を遂げたのである。
上山市民俗行事 加勢鳥
https://yamagatakanko.com/festivals/detail_3079.html
茨城県:悪態まつり
毎年12月20日に、茨城県笠間市の愛宕神社で行われる悪態まつりは、「参詣者が天狗に向かって悪態をつきまくる」という珍しい祭りである。
白装束を身に纏った13人の天狗が、愛宕山にある16カ所の祠にご利益のあるお供え物を置いてまわり、参詣者はそのお供え物を奪い合う。
天狗がすべてのお供え物を置き終わると境内に戻り、餅やお菓子がバラまかれる。
この一連の流れの間、参詣者はずっと天狗や神官に向かって「バカヤロウ!」「早く歩け!」など悪態をつきまくり、一年間で溜まった体の中の穢れを放出する。
起源は諸説あるが、愛宕神社では「江戸時代中期に、藩の役人が村人の不満を探るために始めた」と言い伝えられている。
なお、個人的な名称・名前を出しての誹謗中傷は禁止されている。
笠間市公式ホームページ – 悪態まつり
https://www.city.kasama.lg.jp/page/page000154.html
愛知県:どんき祭
毎年12月の第3日曜日に、愛知県豊川市の長松寺で行われるどんき祭は、白狐・赤天狗・青天狗が子供たちを追いかけまわす祭りである。
白狐・赤天狗・青天狗はそれぞれ撞木(しゅもく・鐘などを鳴らす棒)を持っており、先端についた紅ガラを子供たちに塗りたくって、無病息災を祈るそうだ。
当然、中には泣きじゃくる子供もいる。
全身に返り血を浴びたようにも見える狐や天狗が追いかけてくるのだから、冷静になって考えてみれば大人でも怖いだろう。
祭りの主役は子供であるが、気を抜いているとすぐさま狐や天狗に真っ赤に染められるため、大人であっても油断はできない。
どんき祭の起源は、江戸時代に始まった火防祭りの人寄せの余興だとされている。
奈良県:おんだ祭
毎年2月の第1日曜日に、奈良県高市郡の飛鳥坐神社で行われるおんだ祭は、子孫繁栄を祈願する性神事の中でも特に露骨な祭である。
太鼓の合図で諸々の行事が展開されるのだが、一番太鼓で開会式、二番太鼓で農耕行事、そしてクライマックスの三番太鼓で件の性神事が始まる。
三番太鼓を合図にお多福と天狗が登場し、夫婦愛和合の様を実演する「種つけ」という儀式を行う。
「種つけ」が終わると、二人は「ふくの紙」という紙で股間を拭き、ふくの紙を観衆にまき散らす。
「ふくの紙を手に入れた者は幸せ者」とされ、持ち帰ってその晩寝室で使用すると子宝に恵まれると言い伝えられている。
おんだ祭の起源は定かではないものの、古くから飛鳥の農民が慣例として年々行ってきたのだという。
天下の奇祭「おんだ祭」
http://asukaniimasujinja.jp/event/index.html
和歌山県:笑い祭
毎年10月中旬の日曜日に、和歌山県日高川町の丹生神社で行われる笑い祭は、地域全体が笑いの渦に包まれる愉快な祭りである。
祭りの序盤は、獅子舞などの出し物が行われるのだが、佳境に入ると白塗りの顔に赤い墨で「笑」と書いた「鈴振り」が登場する。
鈴振りでは、人が大勢集まるところで立ち止まっては鈴を振り、人々を笑わせながら町を練り歩く。
祭りが進むと鈴振りの白塗りは汗で流れていくのだが、より一層奇妙な風貌になることで、さらなる笑いを引き出すのだ。
「笑う門には福来る」と言うが、まさにことわざ通りであり、地域の住人たちがみな笑顔になる幸せな祭りである。
笑い祭の起源は、江戸時代に遡る。
丹生神社の神様「丹生都姫命(にうつひめのみこと)」が、出雲大社で開かれる神様の会合に出席する際、神社の気に服がひっかかって脱げてしまい、それを見た人が大笑いしたという伝説に基づいており、当初は「村人が神社の前でただ笑う」という行事だったようだ。
岡山県:護法祭
毎年8月14日深夜から15日未明に、岡山県久米郡の両山寺で行われる護法祭は、「ゴーサマ」が暗闇の中を駆け回り、心身不浄の者を捕まえるという少しホラーな祭りである。
ゴーサマとは神が憑依した護法実のことで、護法様が訛ったことによりゴーサマの呼び名で親しまれるようになった。
祭り当日深夜0時半ごろ、ほら貝と太鼓の音が激しく鳴り響くと「ゴーサマのお遊び」の始まりである。
地面のたいまつだけが境内を照らす中、護法善神の使いであるカラスの憑いたゴーサマが本堂から飛び出し、修験者の「ギャーテー、ギャーテー」の呪文とともに縦横無尽に駆け回る。
参詣者はゴーサマに捕まらないよう逃げ回るのだが、「捕まってしまった者は3年以内に不幸がある」と言われ、お祓いをして帰ることを推奨されている。
修験者の唱える般若心経が途絶えると、ゴーサマのお遊びは終了となる。
護法祭は鎌倉時代の1275年から山伏の行事として引き継がれ、2024年で第749回目を迎えた歴史ある祭りである。
岡山県:はだか祭
毎年2月の第3土曜日の夜に、岡山県の西大寺観音院で行われるはだか祭は、2本の宝木(しんぎ)をめぐって裸の男たちが争奪戦を繰り広げる祭りである。
22時に、西大寺本堂の御福窓から住職が2本の宝木を投下すると、祭典は開始する。
この宝木は「福を呼ぶ」といわれており、宝木を取った者はめでたく「福男」の称号を手に入れる。
冬の寒い時期に行われる行事であるが、約1万人の裸の男たちは身体から湯気が出るほど熱狂し、会場は凄まじい熱気だ。
はだか祭は衣服を脱いでまわし姿になった男性なら、誰でも参加することが出来る。(飲酒・入れ墨・座敷用の足袋以外の履物はNG)
しかし、約1万人の中でもみくちゃになって怪我人が出ることも少なくない。
参加するには万が一のために、氏名や住所、血液型などの個人情報を記入した名札を、まわしの腹部に入れることが条件となっている。
はだか祭の歴史は古く、室町時代後期に祈願された護符を争奪したのが起源とされている。
西大寺のはだか祭は、海外メディアにも「クレイジーな祭」として取り上げられた有名な奇祭である。
西大寺会陽(はだか祭り)
https://www.okayama-kanko.jp/event/12845
山口県:笑い講
毎年12月の第1日曜日に、山口県防府市の一部地域で行われる笑い講は、「講員」と呼ばれる男たちが一カ所に集まって互いに笑い合うという平和な神事である。
和歌山県の笑い祭とよく似た祭ではあるが、こちらはもう少し笑いにシビアである。
まず、講員の中から2人が神前に歩み出て、備え付けの大榊を2本、互いに手渡し合い、向かい合って大声で笑い合う。
笑うのは全部で3回あり、1回目は豊作を感謝し、2回目は来年の豊作を祈願し、3回目は無病息災を祈る。
ただし、笑い声が小さかったり真剣に笑っていない場合には、何度でもやり直しをさせられる。
判断するのは講員の長にあたる人物で、素晴らしい笑い合いができた場合には、金だらいで合格の合図を鳴らす。
この一連の流れは、その後、講員全員が笑い合いを行うまで続けられる。
地元の小俣八幡宮に残されている記述によれば、笑い講は鎌倉時代の1199年に始まったとされている。
笑い講 – たびたびほうふ – 山口県防府市
https://visit-hofu.jp/event/%e7%ac%91%e3%81%84%e8%ac%9b/
福岡県:玉取祭
毎年1月3日に、福岡県の筥崎宮で行われる玉取祭りは、締め込み姿の男たちが玉をめぐって争奪戦を繰り広げる祭りである。
玉洗い式にて祓い清められた陰陽2つの木玉のうち、陽の玉が競り子と呼ばれる男たちに手渡され、祭典開始となる。
この玉に触れると「悪事災難を逃れ、幸運を授かる」といわれており、競り子達は陽の玉をめぐり激しい争奪戦を繰り広げながら、本宮に向かって競り進む。
やがて楼門に待つ神職に手渡され、陰陽2つの玉が揃って神前に納まるとめでたく神事は終了。
陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、一年の吉凶を占うという側面もあり「陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁」と言われている。
玉取祭の起源は定かではないが、約500年前の室町時代に始まったとされ、昔から盛大かつ厳重に行われている神事だそうだ。
玉取祭|福岡の神社 筥崎宮【公式】
https://www.hakozakigu.or.jp/omatsuri/tamatorisai/
おわりに
今回は、10の様々な奇祭を紹介してみた。
それぞれ神への感謝の表し方に違いはあれど、「無病息災、五穀豊穣、子孫繁栄」など祈るものは似通っている。
これは古代から現代に至るまで、人間の営みというものが本質的には何も変わっていないことを示しているように思える。
健康であること、食べること、子孫を残すことは、いつの時代も人間にとって大切な事だったのだ。
皆さんは参加してみたい祭りがあっただろうか。
筆者は岡山はだか祭に是非参加したいのだが、あいにく女性であるため、来世の楽しみにとっておこうと思っている。
参考文献:
「日本の奇祭」合田一道
「本当に不思議な世界の風習」世界の文化研究会
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