さて、まずは先にこちらを読んで欲しい。
「古代の地球は巨木世界だった確かな証拠【この地球に山は森はなかった】」
読んでもらったなら、話を先に進めよう。読んでいなかったとしても大丈夫。これから話すことは、上記の記事を読みたくなる内容だからだ。
山は存在しない
現在の我々が見ている山々は、太古に存在した巨木の切り株だったり、折れて朽ちてしまった根元のなれの果てだとういうことは以前にお話した。
巨木といっても数十m程度のものではなく高さが数km-数十kmもあるものだ。その証拠である「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」という垂直方向の割れ目が入った「岩」が表面を覆っている山もある。柱状節理は、六角形の柱の形をしており、それが幾本も束になって山を形成しているのだが、それはマグマの冷却面と垂直に発達するとされている。
マグマは高温であれば溶けて液状になり、冷えれば固体となる。誰もが知っている常識だが、では「なぜ六角形になるのか?」が説明できない。
この世界には雪の結晶だったり、蜂の巣だったり、植物の茎の内面だったりと、自然界に六角形は多く存在する。しかし、それらは最初から六角形であり、マグマが冷える過程で六角形になるというような「偶然としかいえない」プロセスは含まれていない。
ならば、柱状節理にも他の自然界に存在する六角形のように「最初からその形状であった」ということができる。つまり、必然的に六角形だったのだ、と。
蜂の巣のように正六角柱を隙間なく並べた構造を「ハニカム構造」というが、強度をあまり損なわずに必要な材料を減らすことができるのが特徴である。
これは、巨木が自重を支えながら、地表から水分を吸い上げるのにも適した構造なのだ。
岩や石の正体
※化石の森国立公園内の珪化木
長年、岩だと「思われていたもの」は、太古の巨木が朽ちて砕けて固まったものである。幸運にも、我々はその名残りを「山」と呼ばれる姿で目にすることが出来る。
「ならば化石などの痕跡があるはずだ」という批判もありそうだが、その答えも用意してきた。珪化木(けいかぼく)と呼ばれる植物の化石の一形態がある。
古代に何らかの原因で土砂等に埋もれた樹木が、膨大な年月をかけ地層からかかる圧力により、木の細胞組織の中に色々な化合物などが入り込むことによって樹木が原型を変えずに化石化したものだ。
保存状態が良いものは年輪や木の形まで保存される。
アメリカ・アリゾナ州にある化石の森国立公園(かせきのもりこくりつこうえん、Petrified Forest National Park)では、色彩豊かな珪化木がいくつも置かれていたり、「木の切り株のまま」化石となったものもある。
ここで「樹木の化石があるのなら、古代にも数mクラスの木は存在していたはずだ!」と言われる前に言っておこう。珪化木は「古代に」何らかの原因で土砂等に埋もれた樹木が化石化したものだ。
その古代ではすでに巨木が朽ち果てており、土砂に変質していたとすれば、現在発掘される珪化木の説明も出来る。
つまり、地質学者が唱える「定説」よりもさらに昔、もしくは「見る角度が違う」古代の話をしているということを忘れないで欲しい。
3.酸素濃度の変化
※巨大トンボ・メガネワラの想像図
ここでちょっと話を変えてみよう。
宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ(1984年)』では、「千年前の「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により、巨大産業文明は崩壊し、「腐海(ふかい)」と呼ばれる菌類の森に世界は覆われていた。生き残った人類は、腐海が放つ猛毒と、そこに棲む巨大な虫たちに脅かされていた(wikipedia)」とされているが、物語の中盤、腐海の底に落ちたナウシカと少年は、腐海が世界の汚染された大気を浄化する存在だということを知る。
この映画は多くの人が見たと思うが、疑問に思ったことはないだろうか?
世界の陸地の多くが腐海に覆われていたのなら酸素濃度は低かったのではないかと。アニメだから関係ない?フィクションだから細かいことは気にするな?確かに、そのことを本気で問い詰めるほど大人げないことはしない。
しかし、ここにあるヒントが隠されていることを言いたかっただけだ。
生物は酸素濃度により生態系が変化する。例えば、約3億年前、現代のカモメほどの大きさの肉食トンボが地上を我がもの顔で空を飛び回っていた。トンボをはじめ、この時代の昆虫がどうしてこのように巨大化したのかは長い間謎とされてきた。現在主流の説では、古代の昆虫は当時の地球大気の酸素濃度が高かったおかげで巨大化したとされている。つまり、時代によって酸素濃度は変化してきたのだ。
3億5900万年前から2億9900万年前まで続いた石炭紀には、大気中の酸素濃度が、現在の1.5倍近い30%ほどに達していたという。
もし、この時代にも巨木が存在していたなら、この問題も解決することになる。
ジオ
最近よく耳にする「ジオ(geo)」という単語。これはwikipediaでも、『(geo, γῆ) ギリシア語で土地、地理、地球などを表す言葉。ゲオとも表記される。』としか記されていない。他のソースでも『複合語の形で用い、地球、土地、地下、の意を表す。「ジオグラフィー(地理学)」「ジオロジー(地質学)」』といった説明くらいだ。
なんとも曖昧な言葉である。
しかし、この言葉が単体で使われる頻度は高く、「大地の公園」の意味でジオパークなどという言葉も生まれている。ジオといわれれば「ああ、大地とか地球とかそんな意味だろう」と思えるくらいに浸透してしまった。
科学者はデータを元に研究を進めるが、データにない不明な領域については明言できない。それは当然のことだ。だから、ジオなどという曖昧な表現で事実を隠す。
科学の進歩により、古代の巨木の存在が判明したとしてもデータがないから「ジオの観点からすれば有り得ない」とでも言っておけばいいわけだ。そもそも、ジオという定義が不明瞭なのだから、不明瞭な観点から見れば巨木の存在は肯定も否定もしていない、ということになる。いかにも科学者が使いそうなロジックである。
このように、真相を隠すことで定説が覆されることを防いでいる。
巨木はどこに消えた?
さて、それほどの巨木が「なぜ消えたのか?」「どこに消えたのか?」
その答えを知るものはいない。
なぜなら、その瞬間を目撃した人間などいないからである。しかし、その名残りである切り株は山として、朽ちた幹は岩として我々の目にも見えるのだ。そして、なぜ消えたのかについてはヒントがある。
例えば大陸移動説。大陸は、何枚かの固い岩盤(「プレート」と呼ぶ)で構成されており、このプレートが、海溝に沈み込む事による重みが移動する主な力になり、対流するマントルに乗って互いに動いていると説明される。古代には幾度かこの運動により、大陸が集まって超大陸を形成したり、離れたりを繰り返している。そのたびに地上の環境は変化し、時には水分のない荒涼とした大地が広がっていた時代もあった。それも何千万年、何億年という単位での話だ。
いくら巨木とはいえ、水分が無ければいずれは朽ち果てる。
また、カンブキア初期に起きた「カンブリア大爆発」のように、偶然か、自然選択では説明できない何らかのメカニズムが存在したとされる現象も古代には起こっている。我々がまだ知らない存在が干渉した可能性は否定できない。
先ほど山だと思われていたものが「切り株」だったと書いたが、切り株とは「人工的に伐採した跡」のことである。つまり、メサ(テーブル状の台地)も、ある存在が切った巨木の切り株だということなのだ。
最後に
『科学が進歩すればするほど魔法との境界は曖昧になる』という言葉を聞いたことはあるだろうか?
つまり、現在の科学では「魔法世界の話」「フィクションのような話」とされている巨木の存在も、やがて科学の進歩により解き明かされるだろう。
しかし、それまではそのことを知る一部の人々は口を閉ざしている。「常識」という足枷に捕われて。
(大陸移動説については「古代の超大陸について調べてみた【 パンゲア大陸 】」を参照)
上空に、非常に濃い水蒸気の層があったのでは。
有害な紫外線を遮断し、両極とも常春の過ごしやすい環境で温度変化も少なく、気圧も高く、酸素濃度も高く大型の生物が生きていける状態だったと。
それが、隕石によるものなのか水蒸気層が壊れ、大雨となって大洪水となり、現在の環境に近い状態になったという考えが。
虹も、その前は現象としてなかったため、聖書に洪水後に発生と書かれてあります。