佐伯真一「『平家物語』と鎮魂」
青山学院大学教授で国文学者の佐伯真一は『いくさと物語の中世』汲古書院2015年8月に収録されている論文「『平家物語』と鎮魂」の中で、
「『平家物語』研究に「鎮魂」概念を導入したのは築土鈴寛であるというのは、衆目の一致するところだろう」と述べ、築土鈴寛の説を、
「慈円は、保元の乱以降の死者が怨霊となって国家に禍をなすことを防ごうとして、大懺法院を建立するなどの活動をした。『平家物語』はその慈円の傘下において、世の泰平を祈る怨霊回向(鎮魂)の物語として作られたのであり、もともと「道のちまたの鎮めと死者鎮魂を業とした盲僧」は、その能力を生かして『平家物語』を語った。
と要約している。
それから、佐伯氏は、築土鈴寛説に続く、様々な学者の研究成果をまとめている。ここではその詳細は割愛するが、「渥美かをる、福田晃、渡辺貞麿、生形貴重、小林美和、砂川博、兵藤裕己、五味文彦、武久堅、美濃部重克」らの説が紹介されている。
以上の先行研究を踏まえた上で佐伯氏は自身の論を展開する。
佐伯氏は「何をどう語れば鎮魂の物語といえるのか」という点に問題を設定し、「一つは死者の立場に立った語りの想定であり、もう一つは死者に対する生者の立場からの慰めである」という二つの方向から検証を行っている。
その上で前者の「死者の立場に立った語り」を「現存の「平家物語」に見出すのは困難」であるとし、後者の「死者に対する生者の立場からの慰め」という方向で論を進めていく。
だが、佐伯氏はここで「死霊への敬意や賛美、慰めなどの表現が『鎮魂』であると考えた場合、『平家物語』が平家鎮魂の書にふさわしいか」という問題を指摘する。
この点は武久堅「平家物語発生の時と場(その一)(その二)」において既に指摘されていることとしながら、「冒頭に「奢れる者、久しからず」の批判を置く『平家物語』は、ほんとうに平家を鎮魂する作品と言えるのか」という疑問に対して、佐伯氏は独自の見解を述べる。
佐伯真一氏はこのように述べる。
「悪霊に対して、まず言葉で立ち向かうという方法があり得ること、そして、その言葉には賛美によって敬して遠ざけるという態度以外に、説得あるいは叱責・威圧とでも呼び得る態度があり得ることに注意してきたいのである。
「強大な怨霊に対してはひたすら恐懼し、死者を誉め讃える言葉が連ねられるとしても、それは状況判断の結果であり、説得できそうな相手であれば説得し、威圧すればすみそうな相手であれば威圧する。鎮魂は、そのような、いわば怨霊との駆け引き、戦いという側面を持つのだと考えたい。
「言葉による鎮魂とは、怨霊を讃えるばかりではなく、説得するという要素をも含み得るものだったのではないか。そのように考えてくると、平家批判が「鎮魂」にふさわしくないとは必ずしも言えないように思われてくるのである。
その上で「平家に属した軍兵への鎮魂と清盛批判を両立させているかに見えるテキスト」として、山田氏の論文でも触れられていた建久八年十月四日「源親長敬白文」を引用した上で、こう述べている。
「この文では、亡くなった軍兵らが平家側で戦ったのは、清盛及びその後を継いだ「平家」「逆臣」によって戦いに駆り出され、語らわれたためなのだとして、鎮魂の対象である戦没者を責めることはしない。しかし、それは決して、平家軍の戦いの肯定ではない。その戦いは清盛等の意志に基づく悪事だったので、頼朝に討たれたのはしかたのないことだったのだと説いてもいるわけである。そしてそれをふまえた上で、「須混勝利於怨親、頒抜済於平等」と、怨親平等を祈願する。つまり平家を否定し、頼朝体制を肯定する論理を死者に受け入れさせる一方で、体制側も「以徳報怨」という態度で怨みの連鎖を断ち切ることにより、怨霊の発動を防ごうとしているのだろう。
ただし佐伯氏は「この敬白文と『平家物語』の間に実体的な関係を想定するつもりはないが、両者の間に共通する構造があるのではないかと考える」と述べており、頼朝が各地に八万四千塔を建てて怨親平等を祈願したことと、『平家物語』成立との直接的関連は考えていない。
まとめby 武蔵大納言
ここまで、井沢元彦氏の痛烈な学者批判を伴う著書に収録された「『平家物語』は平氏の怨霊を鎮魂するためにつくられたもの」という論を検証するために、まずは怨霊の歴史そのものを山田雄司氏の論文を通じて学び、その過程で「怨親平等」という重要なキーワードに出会った。
そして「平家物語」が成立したとされる時期が、ちょうどまさに「怨霊思想」と「怨親平等思想」のクロスする時代であるという問題に辿り着き、仮に「平家物語」の成立に慈円が関わったとしたならば、その際に「怨霊思想」「怨親平等思想」はどのような影響を及ぼしたのかという疑問につきあった。
そして、その考究を進めるために、築土鈴寛から佐伯真一に至る先学たちの研究を当たってみた。
以上を踏まえて、私、武蔵大納言なりの見解をまとめてみよう。
冒頭に提示した「本当に『平家物語』は平家の怨霊を慰めるためにつくられたのか」という疑問に対して、答えるならばこうなるだろう。
『平家物語』は平家の怨霊を慰めるという側面は持つが、その言い方だけでは不充分であり、平家物語の本質を表現し切れてはいない。
実は私は以前から「平家物語=平家への鎮魂」という論に多少の疑問をもっていた。
例えば、平宗盛が源頼政の嫡男である仲綱の愛馬「木の下」を強引に奪った話(覚一本巻四『競』)などを、たとえ琵琶法師が語ったとしても、内容的に全く鎮魂になりはしないではないか、と思っていた。
だが、この点については佐伯氏の述べる「言葉による鎮魂とは、怨霊を讃えるばかりではなく、説得するという要素をも含み得る」という指摘を鑑みれば、充分に鎮魂に結びつくものであると解釈できる。
では「木曾最期」はどうだろう。義仲は同じ源氏である義経の軍勢に討たれるわけであり、ここには直接的には平家は関わっていない。
だから「木曾最期」を語ったところで、源氏への追悼にはなり得ても、平家への追悼にはなり得ないではないか。
私はこれまで、この疑問を「平家の怨霊を慰める」という発想ではどうにも解決できなかった。
だが、「怨親平等=敵も味方もともに平等であるという立場から、敵味方の幽魂を弔うこと」という思想を介してみれば、この疑問にも充分に解決がつくのだ。
今回の調査を経て、「平家物語」という作品を説明するに当たって、「平家の怨霊の鎮魂」という用語よりも「怨親平等」の方が、明らかに包摂性の高いことに気づかされることとなった。
「平家物語」の成立、成長、受容の場において、「怨霊思想」と「怨親平等思想」は対立するものではなく、包摂関係にあったと解釈するのが妥当だろう。
図にしてみるとわかりやすい。
さて、以上のことから「『平家物語』も、平氏の怨霊を鎮魂するためにつくられたもの」という井沢氏の論も完全な誤りとは言えないが、それが不充分な説明であることは否めないことは繰り返し強調しておきたい。
井沢元彦氏は「学校では教えてくれない日本史の授業」で、学校の教科書を批判しこう述べる。
「「知らない」人間が書いた「教科書」をいくら読んでも日本史はわかりません。この本でまず、本当の日本史の基礎知識を身につけてください。
もし井沢氏の本をきっかけに「教科書に書かれていない日本史の真実」ということに興味を持たれた方がおられたら、是非、図書館に行って、様々な立場の方の本を実際に読んでみてもらいたい。
そして興味のある範囲については、巻末の参考文献一覧から、先行研究を辿り、先学たちの書かれた学術論文や、引用された古典や史料の原典にも目を通してみて欲しい。
「教科書に書いてない真実」は案外そんなところに書いてあったりすることもあるのだ。
なお「平家物語」の成立論についても、先学による膨大な量の先行研究や著作が存在する。
また、「鎮魂」ということに限っても、「鎮魂」を権力者による「共同体の成員のストレス発散=ガス抜き」と捉える大津雄一「軍記と王権のイデオロギー」などは、井沢氏の著作を介して「教科書に書かれていない日本史の真実」に興味を持った者ならば読んでおくべき一冊であろう。
私は日本史英語外国語世界史は詳しくないけど平家物語枕草子源氏物語のこと勉強せずに世界史も森羅万象も理解することは難しいと思う。世界史森羅万象は日本語日本史を完璧に理解してこそ理解できるものです。平家物語は珍しい表現。
鎮魂歌のような意図は当然あったでしょうけどそれだけでない 現実とは違うんだよ って
ビートルズの歌にあった歌のテーマが平家物語の言いたかったことじゃないかと思うようになった。
なんでまた日本にしては珍しい平家物語という鎮魂歌難しい政治変化などが発表されたかは
壇之浦の戦いが終わって禅の文化教えが教養となり難しい南北朝時代が続いてまるで 祇園精舎の鐘の色の名文そのままの時代が江戸時代まで続いたようなものです。
ところで管理人さん お願いあるんですが大火の改新の前の天体変化が中国で昼間から金星が観察されたとしかマンガでしかのってないので日本は推古天皇の時からがオーロラを観測したしか載ってないのでもし大火の改新の前の日本での天体変化をご存知ならばネットにのせてください。
あとはいくら探しても戦国時代の地下施設がなかなか見つからないのです。単なる城の地下で貯蔵庫や台所の通路として使っていたとか逃亡するときに城下の地下トンネルから逃げたという逸話しかないのです。もし戦国時代の何らかの地下施設をご存知ならばそれも発表してほしいのです。
コメントありがとうございます。
「日本においての天体変化」「戦国時代の地下施設」
テーマとして候補に入れてみます。
ありがとうございますm(_ _)m