性器の完全移植手術にあたり5年以上の研究と準備
アフガニスタンの戦場で負傷した若い退役軍人に対し、2018年3月26日、アメリカのジョンズ・ホプキンス医科大学付属病院の医療チームは、世界初の(陰茎)と陰嚢の完全移植に成功した。
彼は、爆弾で吹き飛ばされて下半身、つまり脚と男性器を負傷。
14時間にわたる大手術は、9人の形成外科医と2人の泌尿器外科医からなる医療チームによって行われ、脳死状態のドナー(臓器提供者)から性器(陰茎)全体、陰嚢、腹壁の一部がレシピエント(移植希望者)の元兵士に移植された。
腹壁組織は、長さ25cm、幅28cm、重さ約2kgにもわたったという。
皮膚、筋肉、腱、神経、骨、血管の移植も含まれ、血管と神経は顕微鏡下で再接続された。
今回の手術を行った医療チームの泌尿器生殖器移植プログラムの臨床責任者であるリチャード・J・レデット博士によると、移植手術にあたって、実際に解剖用の人体を使って手術のテクニックを磨くなど、研究と準備に5年以上の月日が費やされたという。
男性としての生殖機能を失い、自殺を考えるも性器再建のアイデアを発案
完全移植手術実現への発端は、後にレシピエント(移植希望者)となった元兵士本人からのある発案であった。
彼は、爆弾で負傷した当時は意識が残っており、自分が絶望してゆくのを記憶している。
救護ヘリコプターに乗せられたところで記憶は途絶え、目を開けると、アメリカに戻り自分が生きていることに気づいたのだという。
同時に、膝から下の両足と男性器を失っている現実にも直面することになり、入院中、彼は希死念慮に取り憑かれた。
後に受けた新聞社のインタビューで、彼は当時のことをこのように振り返っている。
「僕はもう歩けなくなり、性的関係を持てなくなった。
通常の生活はもちろん、女性とのデートや結婚などもあきらめ、残りの人生は孤独に生きていくのだと絶望した。
自ら命を絶つことを考えていた時、ふと『自分は本当に性器のことで自殺してもいいのか?』と思い直した。
それから僕は生きることにフォーカスしたが、同時に男性としての自分を見つめることにも葛藤してきた。」
彼はその後、義足をつけ、歩行練習に励んで無事退院し、アパートでひとり暮らしを始めるまでに回復した。
しかし、他者との関係を築くのが困難になり、精神安定剤に頼り続けた。
男性としての自分のことについて、他者との関係構築について、セラピスト(精神療法士)のセッションを受けながら大学に通い、学士号を取得。
医学部への進学準備も始め、人生は前向きに進み始めた。
しかし、女性と親しくなる寸前で、男性器を負傷していることを打ち明けなければならないという思いに取り憑かれ、デートすることさえ考えられなくなり、再び孤独と絶望に陥ったという。
ある時、医学の勉強に取り組むうちに、「自分の上腕の皮膚を使って性器を作れるのではないか?」というアイデアを思いつく。
2012年、彼はジョンズ・ホプキンス医科大学付属病院の形成再建外科部の医師、リチャード・J・レデット博士を訪ね、自らの皮膚を用いた性器作成手術のアイデアを相談する。
レデット博士は、
「それよりも、ドナーによる移植手術で排尿は可能になる。
しかし、勃起機能を得るには、さらにインプラント(埋め込み)手術が必要だ。」
と、自分の皮膚による性器作成ではなく、ドナーによる臓器提供による移植手術と勃起機能構築のためのインプラント手術を提案した。
そして、そこにはさまざまな困難な課題が待っていることも提示した。
それでも彼は将来に希望を見出し、ドナーを待つことを覚悟する。
彼は、男性器の移植に備えて、あらゆる身体的診察と移植に関する説明を受けた。
移植手術のリスクや身体に拒絶反応が起きる可能性を受け入れられるかといった肉体的、心理的な懸念や、それに際し、家族や友人をはじめとする支援を仰ぐ必要もあった。
その一方で、ドナーの家族からも、とくに性器を移植することへの同意が必要であった。
ジョンズ・ホプキンス病院の形成再建外科の臨床研究マネジャー、カリサ・M・クーニー氏によると、ほとんどのドナーの家族は「男性器を負傷した元兵士のための移植である」という健全な目的を伝えると同意してくれるのだという。
こうして性器作成手術の提案から6年後の2018年3月26日、彼は世界初の性器(陰茎)と陰嚢の完全移植手術を受け、成功した。
陰囊も移植したが、ドナーの睾丸は倫理的な理由で取り除くことになった。
睾丸があれば、精子によって子どもができる可能性はあるが、その場合、遺伝子上の父親は、移植手術後には正式に死亡するドナーになってしまうからだ。
移植を受けた元兵士本人の生殖組織は破壊されていたため、生物学上の父親にはなれないのである。
彼は手術前、移植された男性器を自分の身体の一部として受け入れられるか不安になったが、手術から4週間が経ち無事に退院した際には、
「身体に移植された男性器を見たら、自分のモノだと実感できた。
すっかり元通りになったと感じている。」
と移植の喜びを語っている。
しかし、元通りになったのは泌尿器機能だけで、生殖機能はこれからの課題となっている。
形成外科部長のWPアンドリュー・リー医師も、
「私たち医療チームは、男性が移植のおかげで正常に近い泌尿器機能を取り戻せたことに喜びを感じている。
さらに、生殖機能を取り戻すことを期待している。
勃起するには補綴(ほてつ)インプラントの手術が必要となる。
今回の移植手術の目的は、主体性と男性らしさを回復することにある。
それは、排尿ができ性交もできるようになることを意味する。
彼が今後、自然な勃起やオーガズムという意味での性的機能を回復できると、私たちは期待している。」
と、次の課題へのチャレンジに突入したことを語っている。
移植手術を受けた元兵士の彼は、
「男性器の負傷は不名誉なことなので、報道する時は名前を伏せてほしい。
傷の内容も、家族と親しい友人、医師以外には明かしたくない。」
とプライバシーの配慮を求め、心の傷がまだ癒えていないことも強調している。
戦争で生殖器を失った兵士たちへの国による保障の必要性
アメリカ国防総省によると、イラクやアフガニスタンの戦場で生殖器を負傷した兵士は1,300人を超え、そのうち31%が性器にダメージを負っているという。
国防総省はこれまで、生殖器移植手術の研究費を負担してきたが、今回の男性の完全移植手術にかかった30万ドルから40万ドルの費用は、ジョンズ・ホプキンス医科大学付属病院が支払ったという。
しかし、そこには手術に携わった、形成再建外科医9人と泌尿器科医2人の人件費は含まれていない。
医師らは、将来こういったケースの移植手術について、アメリカ国防総省が費用を負担し、保険でも保障されることを望んでいる。
アメリカ初の性器移植は2016年3月、がんで性器を切除した男性に実施されたが、今回の完全移植手術は、性器全体と陰嚢を含めた世界で初めての手術となり、医学会と男性たちに大きな希望と勇気を与えることになった。
参考 : Doctors Perform World’s First Full Penis-and-Scrotum Transplant | LIVE SCIENCE
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