イベント

東京ディズニーリゾートはなぜあの立地なのか?【東京ディズニーランド】


「東京ディズニーリゾート」といえば、多くの人が一度は行ったことがあるテーマパーク界の東の横綱。
年間パスポートも好調で、年に100回以上行くマニアの人もいるとか。しかし、行ったことがあるからこそ疑問に思うこともあるだろう。
「なぜ、あんな立地なのか?」
東京駅から最寄の舞浜駅まで電車で最短13分。そう聞けば近く思えるが、問題はそのホームである。山手線などがあるJRや東京メトロの地上ホームから、舞浜行きの京葉線が出る地下ホームまでは約10分ほど歩かなくてはいけない。「一駅分はある」といわれる移動にうんざりした人も多いはずだ。車にしても、近いICは首都高湾岸線の浦安が公式な出口とされている。しかし、浦安の場合は一度高速で舞浜を通り越して、その先から一般道を戻らなくてはいけない。どちらにしても不便なモノだ。
もちろん、理由としてあれだけの土地を都心部に確保できないというのは誰もが思いつくだろうが、実はそれだけではない。今回、その意外な理由も含めて調べてみた。

「オリエンタルランドとはどんな会社?」

東京ディズニーリゾート(以下TDR)を運営するオリエンタルランドは、京成電鉄や三井不動産などが共同出資し「浦安の海を埋め立てて『何か』を作ろう」というかなり漠然とした理由で生まれた会社だった。つまりはTDRどころかテーマパークを運営するための会社ではない。それもそのはず、設立は1960年というから驚きである。その後、日本にディズニーランドを誘致するという案が具体化し、その運営を行うようにまでなったのだ。逆にイえば、いまTDRがある土地はテーマパークのために作られたのではなく、あの土地があったからテーマパークが作れたということになる。

「東京ディズニーランド開園当初は陸の孤島だった?!」

現在でも「陸の孤島」という表現がしっくりくる場所ではあるが、イクスピアリなどのショッピングモールや多くのホテルが立ち並んでいるため、舞浜はさまざまな施設で充実している。しかし、東京ディズニーランドオープン当初の舞浜はパーク以外は何もない状態だったのだ。さらに驚くべきことに京葉線さえも開通していなかった。湾岸線を使って車で行くしかなかったのだ。

「そんな場所にオープンさせるとは、いくらディズニーランドとはいっても無謀な」

という声が聞こえてきそうだが、これには理由、いや秘密があった。

「先見の明がパークを支え続けている」

いざパークを作ることが決定したとき、舞浜の埋立地の一部はオリエンタルランドの事業とは関係ない住宅地になるはずだった。しかし、最終的にはその土地もオリエンタルランドが県から払い下げを受けることになる。その広さは全体で380万平方メートル。現在の東京ディズニーランドの広さが51万平方メートル、東京ディズニーシーは49万平方メートル。つまり、両方のパークを合わせても総面積の1/3にもならない。なぜ、それほどの土地をオリエンタルランドは必要としたのか?

すぐに必要がなくても、将来的に必要になることを見据えて押さえた」というのが理由である。

パークの人気が高まれば複数の宿泊施設が必要になるはずだ。そうすれば商業施設も必要になる。さらには第二のパークを作ることだってあるかもしれない(後の東京ディズニーシー)。そうした判断があったから、舞浜に広大な土地を用意したのである。もちろん、その予測が的中したのは知っての通りだ。

「京葉線舞浜駅の誕生はオープンから5年後!?」

東京ディズニーランドの最寄り駅であるJR京葉線の舞浜駅が開業したのは1988年のこと。パークのオープンから5年が経っていた。それ以前から京葉線は千葉方面で開通していたが、将来的には東京駅まで乗り入れる計画があったのである。

オリエンタルランドはその点も承知していた。舞浜が選ばれた理由はそこにもあったのだ。

ちなみに、京葉線の東京駅のホームがなぜ地下深くの離れた場所に出来たのかも調べてみた。わかったのは「あのホームはもともと京葉線のために作られたものではなかった」という驚きの事実である。

ホームのひとつ上にあるコンコースが、普通のホームに比べてとても広いことに気づいた人はいるだろうか? それこそがその証拠だ。実はもともと東京駅と成田空港を結ぶ「成田新幹線」のホームとして建設されたのが今の京葉線地下ホームである。成田新幹線は一部を工事しただけで事情により計画が消えてしまったが、その一部を京葉線に利用することで東京への乗り入れを実現したのである。

東京ディズニーランド

まとめ

確かにTDRの立地は交通アクセスという面から考えても決して良いとはいえない。海風も強く、冬場は都心よりも冷えるし、夏場の暑さも厳しい。極端な話だが、パークだけを作るのであれば当時ならもう少し都心に近い場所もあっただろう。しかし、調べて分かったのは、パーク単体ではなく「リゾート」として完成させるためには、あの場所しかなかったということである。オリエンタルランドの先見の明には驚かされるばかりだった。

余談だが、実は東京ディズニーランドを日本に誘致する際、国内では別の会社がもうひとつの候補地をアメリカのディズニー社にプレゼンしていたという。しかし、その候補地は即座に却下された。理由は「パーク内から富士山が見えてしまうから」。やはり舞浜こそが一番良い立地なのだろう。

 

gunny

gunny

投稿者の記事一覧

gunny(ガニー)です。こちらでは主に歴史、軍事などについて調べています。その他、アニメ・ホビー・サブカルなど趣味だけなら幅広く活動中です。フリーでライティングを行っていますのでよろしくお願いします。
Twitter→@gunny_2017

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. アバター
    • 匿名
    • 2020年 2月 23日 11:48pm

    >確かにTDRの立地は交通アクセスという面から考えても決して良いとはいえない。

    まじで言ってんのか…
    世界中見渡してもこんな好立地のディズニーランドは存在しねえよ

    2
    1
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 日本の最南端は「沖縄」ではなく「東京」だった
  2. なぜ東京で阿波踊りを踊るのか?【阿波おどりの種類と日程】
  3. キリストは日本で死んでいた? 「不思議な伝承が残るキリスト、モー…
  4. 京野菜が美味しい理由は“夕立”だった?京都の夏行事「かぼちゃ供養…
  5. ディズニーパークの城のモデル「ノイシュヴァンシュタイン城」につい…
  6. 日本のオクトーバーフェストはなぜ10月以外にも開催されてるのか?…
  7. 端午の節句とその由来について調べてみた
  8. イタリアの離島 「サルデーニャ島」の魅力 【ジョジョ第5部の舞台…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

平安時代のゴシップガール・和泉式部と『和泉式部日記』

和泉式部とは和泉式部(いずみしきぶ・978年頃~?)は、平安時代の中期の歌人であり、優れた女…

最期まで呑気な藤原惟規(高杉真宙)僧侶も呆れた彼のコメント【光る君へ】

時は寛弘8年(1011年)、藤原惟規(のぶのり)は、越後守となった父・藤原為時に従い、越後国へやって…

『戦時下の元祖アイドル』戦争に行く若者たちを励まし続けた「明日待子」の生涯

戦時下の日本において、人々の心の支えとなり輝いていた元祖アイドルがいた。彼女の名は明日待子(…

江戸時代は超高級魚だった 「初鰹」

現代では高級魚といえばマグロですよね。お正月の初競りではおよそ3億円の値がついた、なんてニュース…

『死を運ぶ虫、神として祀られた虫』世界の伝承が語る“異形の虫”たち

地球上に棲む動物のうち、およそ7〜8割は、昆虫、クモ、エビ・カニなどを含む「節足動物」に分類される。…

アーカイブ

PAGE TOP