日本人は仏教思想から殺生を嫌い、肉食も忌避する傾向が見られました。
明治時代の文明開化によって様々な肉食文化が普及してからも、その種類は牛豚鶏など限られたものです。
そんな中、いわゆる「ゲテモノ食い」と呼ばれる人たちもおり、彼らはあまり人が食べない肉にも旺盛な好奇心を示していました。
今回は「岡ふぐ」と呼ばれた猫肉食の記録を紹介いたします。
※本記事は、戦後の極限状況下で語られた猫肉に関する随筆をもとにしています。苦手な方はご留意ください。
猫を食ったら十代祟られる?

画像 : イナゴすら満足にとれなかった頃のこと(イメージ)
時は昭和20年(1945年)、敗戦から間もない秋ごろのこと。
空襲で焼け出されてしまい、田んぼの蝗(イナゴ)すら満足にとれない老夫婦が、飢えに苦しんでおりました。
そんなある日、隣の村から老友がやって来て、こんなことを言い出します。
「何だ、お前は蝗なんて卑しい虫を食っているのか。それほど動物性タンパク質に飢えているなら、吾輩が素晴らしいご馳走を用意してやろう」
素晴らしいご馳走とは何かと問えば、猫肉とのこと。
それを聞いた老妻が、口をはさみます。
「何て恐ろしい。猫の肉なんて、おやめ下さい。猫は古くから殺した相手を七代祟ると言うじゃありませんか。ましてその肉を食べるなんて、十代も二十代も祟られかねませんよ」
すると、老友は笑って答えました。
「奥様、どうかご安心ください。政府は我々庶民が来年の春から夏にかけて多く餓死するであろうと言っています。死んでしまえば、殺して食われた猫がどれほど頑張ろうが、祟りようもありません」
ともあれ「背に腹は替えられぬ」ということで、猫でも鼠でも鼬(いたち)でも蜻蛉(トンボ)でも蝿でも、食えるものは食える内に食っておこうと言う話に落ち着きます。
「それじゃあ、猫を用意するので、2〜3日ばかりお待ちを」
ということで、老友は去って行きました。
食べてみると美味しかった

画像 : イメージ(写真は鶏胸肉です)
昔から猫のことを「おしやます」と言うそうですが、その語源について、詳しいことは分かりません。
ただ「おしやます」の吸い物は珍味中の珍味とされ、又の名を「岡ふぐ」とも言うそうです。
さて2〜3日後、老友が風呂敷包みを持って再訪しました。
風呂敷の包みをほどくと、竹の皮に白い半透明の肉が並んでいます。喩えるなら家鴨(あひる)の胸肉に近いでしょうか。
「君、これは本当に『おしやます』かい?鶏肉にしか見えないのだが……」
しかし老友は、これこそ猫肉だと言います。
「猫肉は犬肉のように赤黒く濁ってはいない。ご覧の通り、若鶏のように柔らかく白く透き通り、風味は喩えようもなく美味だ。まずは食べてみて、文句はそれから聞こうじゃないか」
まぁそこまで自信があるなら……と、食べてみたところ、確かに美味しい。
味は見た目どおり若鶏の肉に似ていますが、鰒(ふぐ。河豚)の刺身にも似たような味や食感でもあるそうです。
聞けば老友は猫肉を常食にしているそうで、曰く「精がついて血行を促進し、筋肉をつけるにもよい」とのこと。
言われてみれば若々しくも見えました。
猫を捕らえる方法は?

画像:歌川国芳「古幸猫のよふかい」public domain
これまで三十数頭の猫を捕らえて食ってきたという老友に、猫捕りの方法を聞いたところ、こんな具合だということです。
① 猫の通り道を見つける。
② 竹垣の割れ目に、針金で括り罠(くくりわな)を仕掛ける。
③ ついでに猫&飼い主向けの警告看板を立てておく。
警告看板には「猫族余が屋敷内へ入るべからず、もし侵したるときは、撲殺を蒙る虞おそれあるべし、世の飼主注意せよ」とのこと。猫が読める訳もないでしょうに……。
ちなみに括り罠とは、獲物が輪をくぐると輪が狭まって身体を拘束し、前に進むほど輪が身体に食い込んで絶命に至らしめるものです。
しばらく続けていると猟果が悪くなってしまったものの、マタタビの塩漬けを用意したところ、再び猟果が上がりました。
珍味「おしやます鍋」
そんな話をしていると、今度は「おしやます鍋」が振る舞われます。
『本草綱目』によると「猫肉はその味、甘酸にして無毒(脂の甘味と血の酸味で甘酸っぱく、毒はない)」とか「その味甘膩(かんじ。甘い旨味がある)なり」とあるが、調理法が書いてありません。
そこで最初はネギ・春菊・唐芋(サツマイモ)と一緒に味噌で煮込んだそうですが、これだと匂いがとれなかったそうです。
今度は工夫を凝らし、鍋に入れた猫肉を水から茹でて、匂い消しのために杉箸二本を入れて煮立てました。十分に煮上がったらザルにあけてよく水洗いします。
別の鍋に芋茎(ずいき。里芋の茎)とホウレン草を少々煮た澄まし汁を作っておき、茹でた猫肉を加えて再び火にかけ、沸騰させてから椀に盛ります。
そして橙酢で食べたところ、ひどく珍味であったとか。汁面にはきめ細やかな脂肪が浮き彩り、猫肉は柔らかく鮒(フナ)のような味わいでした。
更に噛みしめると羊肉に近く、濃膩(のうじ。濃厚)な風趣が感じられる美味しさです。
こりゃいい、さっそく今夜から猫捕りに励もうじゃないか……とのことでした。
終わりに
今回は「岡ふぐ」「おしやます」と呼ばれた猫肉について、佐藤垢石(さとう こうせき)の「岡ふぐ談」を紹介してきました。
敗戦後の混乱期とは言え、なかなか猫肉に手を出すのは憚られそうです。その後、彼は猫肉料理で飢えをしのいだのでしょうか。
現代の日本では猫肉を食べる習慣はなく、法律や倫理の面からも強く忌避されています。
また、かつては中国南部やベトナム、韓国、スイスの一部地域などで、猫肉が薬効や滋養強壮を目的として食される文化が存在していましたが、近年では動物福祉の意識の高まりとともに、そうした食習慣は各地で急速に廃れつつあります。
参考:
・佐藤垢石『たぬき汁』青空文庫
文 / 角田晶生(つのだ あきお)校正 / 草の実堂編集部
動物福祉…ねぇ…?単に欧米的価値観の強要かと。
殺す際に苦しめれば美味くなるとかの迷信でなければ別にいいと思うんだけど、牛豚鶏羊等との線引を合理的に説明してくれる人はいないかしら。
かわいーとかペットだからとかいう感情論はいらないです。
他に食べる物があるというのも、その順位付けの理由を説明出来ないなら要らないです。