日本でも大流行
近年、日本で「タピオカミルクティー」が大流行した。
タピオカミルクティーは台湾発祥のスイーツドリンクである。台湾にはとにかく沢山の飲料店がありタピオカミルクティーにも様々な種類がある。カスタマイズができ甘さや氷の量、トッピングなど自分の好みによって変えることができる。
タピオカの種類も様々である。細長い寒天のようなものや、小さなタピオカもある。
台湾ではタロイモスイーツも有名だが、タロイモの小さな団子が入ったものもある。
台湾では、極小サイズがタピオカで、一般サイズより少し大きめなのは「波霸」と呼ばれている。
この「波霸」は胸の大きい女性を表す形容詞だ。今や死語になっているかと思うが、いわゆる「ボイン」という意味で、ふくよかなタピオカというイメージである。
ベースになっているのも紅茶だけではない。烏龍茶や冬瓜茶などもある。
烏龍茶は紅茶ベースよりもすっきりとしてコクがある。
タピオカミルクティーは台湾人にもやはり愛されている。お年寄りから子供まで大好きだ。
タピオカミルクティーの蓋には「甘い飲み物は健康を害します。無糖を推奨します。」と書いてある。まるでタバコのパッケージのようだ。なぜなら飲料の飲み過ぎで糖尿病になる人が多いからである。ちなみに筆者はMサイズを買ってカロリーを抑えるようにしている。
このように一般庶民に愛される「タピオカミルクティー」であるが、実は「創始者は誰か?」ということで台湾で裁判が行われていたのだ。
誰がタピオカミルクティーの生みの親?
台湾には「春水堂」という有名な飲料店がある。この店の濃厚な黒糖を使ったタピオカミルクティーは、もはや飲み物ではなく立派なスイーツだ。
この春水堂の商品部だった林秀慧は、1987年3月に台中に飲料店を開店した。そして、たまたまの思いつきで粉圓(タピオカパール)とミルクティーを混ぜて、世界で一杯目のタピオカミルクティーが誕生したと主張する。
もう一店舗は「翰林茶館」というお店である。創始者の涂宗和は1986年に台南に飲料店を開店。街で粉圓(タピオカパール)を見かけ、急にひらめき、初めてタピオカミルクティーを開発したと主張する。
彼の話が真実なら、生みの親は翰林茶館ということになる。
そしてこの2店舗は裁判を始め、なんと10年も続いたのである。
創始者の看板を出せるかどうかは、やはりお店側にとっては大きな問題である。「元祖」という言葉は人の購買意欲を高める。
結論から言うと裁判所の判決は「和解」であった。
タピオカミルクティーは、台湾人はもとより世界中で親しまれる飲み物に成長した。独占販売されるべきものではなく、どの店も販売して良い。創始者は誰かということよりも新しい商品を開発することで、お客様を楽しませることが大切だという結論であった。
そして「これ以上創始者は誰かという問題で争う必要はない」と両店に言い渡したのである。
ネットでも多くの人がその判決に賛成している。創始者は誰かなど誰も気にしておらず、美味しいタピオカミルクティーを飲むことができればそれで良いという意見が多かったのである。
なんともホッコリさせられる判決と言えるのではないだろうか。
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