もはや、日本だけでなく世界のソウルフードとなったカップラーメン。
近年、値上がりが激しいものの、そのお手軽さは多くの食品の中ではダントツと言えよう。
非常食として被災地へ送られるほど、ただのインスタント食材とは一線を画す。しかし、良く考えるとカップラーメンの歴史まで気にしたことはなかった。
カップラーメンはどのような経緯で生まれたのだろうか?
インスタントラーメンの誕生
カップラーメンを語る前に、少しインスタントラーメンの話をしよう。インスタントラーメンがなければ、カップラーメンも世に出ることはなかったのだがら当然である。
世界初のインスタントラーメンは日清食品の「チキンラーメン」、というのはよく知られているが、これは厳密には間違いだ。
日清食品によれば、「インスタントラーメンは1958年に同社創業者の台湾出身安藤百福(出生名:呉百福)が発明した」としている。
しかし、チキンラーメンの発売より3年前の1955年、松田産業(現おやつカンパニー)から「味付中華麺」というインスタントラーメンが発売されていた。
さらに遡ること2年、1953年にも村田製麺所(現都一株式会社)がインスタントラーメンを開発したいる。
では、なぜ「味付中華麺」が世界初と認識されなかったのか?
製法の違い
※中央にやや大きめの凹み(卵ポケット)がついたチキンラーメン。
安藤百福が発明した「瞬間油熱乾燥法を含むインスタントラーメンの基本的な製法」は1962年に「即席ラーメンの製造法」として特許登録されている。
この特許を基準とするなら「瞬間油熱乾燥法、またはフリーズドライによって製造された即席麺」=「インスタントラーメン」ということになり、「チキンラーメン」が世界初のインスタントラーメンということで間違いない。
ここで鍵となる「瞬間油熱乾燥法」だが、「麺を油で天ぷらの様に揚げる事によって、麺の水分が高温の油にはじき出され、乾燥した状態となることで長期保存を可能としている。さらに麺には水分の抜けた穴が残るため、お湯を注ぐと即座に食べる事ができる」というものである。
では、日清食品以外はどうだったのかというと、なんと「天日乾燥のような昔ながらの乾燥製法」で製造されていたのだ。つまり、蕎麦やそうめんなどの「乾麺」との差が曖昧だった。
そのため、商業的には振るわず、早々に市場から姿を消してしまった。
カップラーメンのヒント
ところで、一度市場から消えたインスタントラーメンの中で、姿を変えて爆発的な大ヒットになった商品がある。
松田産業が1955年に発売したインスタントラーメンは営業的には失敗し、1958年にはチキンラーメンが成功を収めた。しかし翌年、松田産業は、製造工程で発生する麺のかけらを従業員におやつとして配ったところ評判となり、インスタントラーメンをスナック菓子として商品化する。
現おやつカンパニーのベビースターラーメンである。ベビースターラーメンもインスタントラーメンの製造経験がなければ生まれていなかったのだ。
一方、チキンラーメンで成功した日清食品は、欧米にインスタントラーメンのセールスに行った際、ラーメン用のどんぶりが無かったため、紙コップにチキンラーメンを割り入れて湯を注ぎ、フォークで試食する姿がカップラーメンの発想に繋がったといわれている。
そのため、当初は間食としての普及を視野に入れて開発されており、カップヌードルが、通常の袋麺(約90?100g)よりも麺の容量が少ない(麺重量60?70g)のはその名残りである。
カップラーメンの誕生と普及
こうして1971年に誕生したカップラーメンだったが、すぐにヒットしたわけではない。
1972年2月のあさま山荘事件の際、機動隊員が寒さの中、カップラーメンを食べている姿がテレビでたびたび放映されたため、カップ麺が日本全国に知られて普及したきっかけだったとされている。
さらにヒットの理由は「斬新さ」だけではない。保温性が良く、手で持ったときに熱くないという理由から、容器を発泡スチロールにしたからだ。これも、日清食品が特許を申請した為に、後発メーカーは主に紙容器のものを作った。
日本で大ヒットとなったカップラーメンは、やがて世界に広がってゆく。しかし、ここで問題が生じる。
最近でこそ良く知られた話だが、海外では「(技術的にもマナー的にも)麺をすする」ことができる国や地域が限られていたのだ。そこで海外向けのカップラーメンは麺を短くカットし、フォークで食べられるように工夫した。
これにより、本当の意味でカップラーメンは世界で食べられるようになった。
現在のカップラーメンは日本国外での生産・販売も行われている。主な生産および消費地は東アジア地域であるが、北米大陸(特にメキシコ)でもヒスパニック系住民を中心に人気がある。
また、国外発のカップラーメンも多く、有名なところでは韓国の「辛ラーメン(シンラーメン)」は日本でもファンが多い。
最後に
インスタントラーメンからカップラーメンへ進化するきっかけが、海外への売り込みというのは意外だった。
しかしヒット商品というのは往々にして、ハプニングや困った経験から生まれることが多い。
ハプニングをチャンスに変えたことが、カップラーメン誕生の秘密であった。
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