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「別班」の起源や活動内容とは 【日米の密約から生まれた組織だった】 ※VIVANT

日曜劇場「VIVANT」が盛り上がりを見せているなか、ドラマに登場する「別班」への関心も高まっています。

前回の記事では、金大中事件から「別班」の存在が明らかになるまでの経緯を説明しました。

「別班」の存在が知られるきっかけとなった金大中事件とは 【韓国大統領の拉致に加担?】
https://kusanomido.com/life/jiken/71098/

今回の後編では「別班」の起源や活動内容について詳しく見ていきたいと思います。

「別班」の起源

昭和20年8月、第二次世界大戦が終了。

旧日本軍の情報将校たちは、アメリカ進駐軍の情報部門との関係を築き始めます。

この中心には、元参謀本部2部長の元中将・有末精三がいました。

「別班」の起源や活動内容とは

画像 : 有末精三陸軍中将 public domain

彼はGHQの情報部「G-2」のチャールズ・ウィロビー准将と緊密に連携し、非公式の情報工作活動を展開。このグループは「有末機関」とも呼ばれ、多くの元情報将校が参加していました。主に反共工作を担当し、日本軍の再武装を目指して活動していました。

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。これを受けてGHQのダグラス・マッカーサー司令官は、日本に対し「警察予備隊」の設立を命令します。

警察予備隊は自衛隊の前身となる組織であり、その発足当初から情報部門の整備を進めていました。

「別班」の起源や活動内容とは

画像:警察予備隊の設立を指示したダグラス・マッカーサー public domain

当初から警察予備隊の構成メンバーは、旧日本軍出身者ではなく旧内務省出身者が主導したため、警察予備隊の情報部門には「有末機関」系の人脈はほとんど含まれていませんでした。

そのためアメリカ進駐軍は、日米の軍事情報部門の連携を強化する、新たな取り組みを開始します。

1952年から、警察士長や1等警察士といった中堅幕僚を在日米軍情報機関に出向させ、諜報活動の研修を受けさせるようになります。

この研修制度が「別班」の起源とされています。

警察予備隊が「保安隊」へ改編後も、この研修は継続され、日米の諜報活動における連携は日々強化されていきました。

日本とアメリカの密約

1954年、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結され、自衛隊が正式に発足します。

しかし公には知られていない秘密協定が、極東米軍司令官ジョン・ハル大将と吉田茂首相の間で結ばれていました。

「別班」の起源や活動内容とは

画像:日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結んだ吉田茂首相 public domain

協定の内容は「陸上自衛隊と在日米陸軍が非公式に合同で諜報活動を行う」ということでした。

この時期には旧日本軍の情報将校出身者が自衛隊に入り、情報部門の中枢を担うようになっていました。

とくに天野良英氏、広瀬栄一氏、田中光祐氏、藤原岩市氏などが情報部門の中心人物として活躍しています。

このなかでも広瀬氏は注目される人物で、彼は戦時中に北欧で諜報活動に従事し、終戦時には秘密諜報要員養成機関「陸軍中野学校」の学生・教官グループを束ねていました。

三島由紀夫とも関係があったそうです。

そしてMSA協定時の密約に基づき、1956年ごろから自衛官への研修が本格化します。

米軍側の受け入れ先は、陸軍第500情報旅団の分遣隊「FDD」で、その拠点はキャンプ・ドレイクでした。この研修コースは「MIST-FDD」と呼ばれ、陸自側は「武蔵」という暗号名を付けました。そのあと「武蔵」は65年に廃止され、それ以降は「特勤班」もしくは「別班」と呼ばれるようになります。

このような経緯から日米間の密約に基づき、非公開の合同工作機関として「別班」が設立されました。「別班」の活動は長いあいだ隠蔽されてきたのです。

「別班」の活動内容

長らく存在が秘密とされていた陸幕2部「別班」の実態が、元隊員の証言を通じて明らかになっています。

・合同司令部の設置と構成

「別班」のトップには、米軍FDDの指揮官と陸自の「別班」長が同格で構成する合同司令部が存在していました。この司令部の下には「工作本部」と日米それぞれの「工作支援部」が設置されていました。

工作本部には大体3つの工作班が存在し、各班には3~4人の工作員が配置されていました。全体として「別班」の人員は約20人程度でした。

・活動内容

「別班」の主な活動は外国情報の収集でした。海外を訪れる人々から情報を収集したり、外国で情報を集めるための依頼を行ったりしていました。収集された情報は、米軍と陸幕2部の両方に報告されていました。

各工作班は特定の調査担当エリアを持っていましたが、厳密なものではありませんでした。

「別班」の活動予算は、初期の米軍研修時代には米軍が約80%を負担していましたが、非公然機関として正式に発足した後は、日米が半額ずつを負担していたようです。

「別班」はCIAからの工作依頼も受けていました。これらの依頼は「内局調査課」を経由して別班に伝えられていました。「別班」はこれらの依頼を「特任工作」と呼んでいました。

内局調査課は防衛省にある内部部局の1つで、防衛政策局に属する部署のことです。

別班の変遷

1973年、拠点であったキャンプ朝霞が日本に返還されたため「別班」はキャンプ座間に移転しました。そのあと「別班」の活動は大幅に縮小され、東京・六本木の防衛庁に移動します。

それ以降「別班」の動向は詳しく分かっていません。

しかし同じ六本木の米軍赤坂プレスセンターには「別班」を育てた、500部隊のエージェントが入っています。

そこに現職の自衛官が出入りしていた形跡があり、500部隊の関連部署に再就職した「別班」OBもいるようです。

そのあと陸幕2部は「陸幕調査部」と名称を変え、現在はさらに「陸幕運用支援・情報部情報課」に改編されています。

しかし「別班」が廃止されたという情報は現在もありません。

参考文献:週刊朝日ムック(2010)『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』朝日新聞出版

 

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村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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