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切り裂きジャックからの第1の犯行声明
1888年晩夏から初冬にかけてのロンドンで、「切り裂きジャック」と称する犯人による連続殺人事件が起きた。
約2ヶ月のあいだに、娼婦とみられる5人の女性たちが次々と凄惨な方法で殺害されたのだ。
世間が恐怖で震撼しているさなかの1888年9月27日、「切り裂きジャック」を名乗る犯行声明の手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エージェンシーに届く。
「Dear Boss」の書き出しで始まる犯行声明の宛先は、新聞社の編集長で、
「切り裂きジャックは娼婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない。犯行はまだ続く」
と予告する挑発的なものであった。
この犯行声明の手紙には、イースト・ロンドン郵便局発信で9月25日付の消印が押されていた。
編集長は当初、「便乗犯、愉快犯によるいたずら」として放置していたが、2日後、ロンドン警視庁本部のウィリアムスン巡査部長宛に転送する。
犯行声明の内容が、事件とあまりに関連が深いものと考えられたからである。
「親愛なるボスへ
俺は娼婦が大嫌いで、お縄になるまで切り裂くつもりだよ。
この前の殺しは大仕事だったぜ。
レディにゃ金切り声一つ上げさせなかったからな。
捕まえられるものならやってみな。俺はこの仕事に惚れ込んでいるのさ。
またやるぜ。
俺の面白い遊びを耳にするのも、もうじきだ。この前の仕事について書こうと、赤い血をジンジャー・ビールの瓶にとっておいたんだが、膠(にかわ)みたいにねばねばして使い物にならない。
赤インクも乙なもんだろう、ハッハッハ。お次はレディの耳を切り取って、警察の旦那方のお楽しみに送るからな。
この手紙をとっておいて、俺が次の仕事をしたら、世間に知らせてくれ。
俺のナイフはキレ味抜群でね、チャンスがあればすぐにでも取りかかりたいよ。あんたの親愛なる切り裂きジャック」
犯行声明と犯行予告を同時に行なったこのスタイルは、のちに史上初の「劇場型犯罪」と呼ばれるようになる。
犯行声明文からは、殺害により遺体の一部が持ち去られた様子がうかがえる。
実際に、殺害された女性たちの何人かは、子宮や腎臓などの臓器が摘出されていたのだ。
2人の被害女性の発見と、切り裂きジャック犯行声明との関連性
殺害された5人の女性たちは、鬼畜ともいえる残忍非道な方法で殺害されていた。
【1人目の被害者】
1888年8月31日 メアリー・アン・ニコルズ(42歳) 首の大動脈を切り裂かれ、腸が飛び出ていた
喉と耳から下が切り裂かれ、首の両側の大動脈も切断。
腹部を横切る傷跡からは腸が外に飛び出ており、性器まで傷つけられていた。
目撃者は発見されていない。
【2人目の被害者】
1888年9月8日 アーニー・チャップマン(47歳) 子宮と膀胱を犯人により持ち去られた
メアリーと同じように、喉を切り裂かれ、首をひと回りしていた。
子宮、膀胱が摘出され、持ち去られていた。
解剖では、首に巻いていたチーフで窒息させられたあと、喉を切られたと推測されている。
殺害現場の近くには16人の住人が裏庭のある家にいたとされるが、殺害推定時刻には誰も物音すら聞いていないという。
切り裂きジャックが新聞社に最初の犯行声明を送ったのは、メアリーとアーニー、2人の女性を殺害した後だったことがわかった。
そして、次に送られてきた犯行声明にはこう書かれていた。
「俺がボスに手の内を明かしたのは、かついでいたわけじゃないぜ。
明日になれば、小粋なジャック様の仕事ぶりがいやでも耳に入るさ。
今度は2人を殺った。
最初の女には、ちと騒がれて、思い通りにはいかなかった。
警察に送る耳を切る暇がなかったよ。
この仕事を終えるまで、前の手紙を取っておいてくれてありがとさん。切り裂きジャック」
実際にこの後の9月30日、2人の女性の遺体が発見された。
被害女性の遺体状況からわかる犯行声明の信憑性と伏線
【3人目の被害者】
1888年9月30日 エリザベス・ストライド(44歳) 左下の歯がなくなっていた
発見された時、両脚はまだ温かかった。
メアリーとアーニー同様、喉に裂傷があり、顎の左下の歯がすべてなくなっていた。
胃には一部消化された食べ物が残っており、チーズ、ジャガイモ、小麦粉か穀物であった。
唯一、目撃者の証言があがった。
【4人目の被害者】
1888年9月30日 キャサリン・エドウッズ(43歳)左の腎臓と子宮を持ち去られた
エリザベスの遺体発見から45分後に発見され、遺体はまだ温かく、死後硬直は起きていなかった。
右耳の一部は切り取られ、左の腎臓と子宮を持ち去られていた。
腸の大部分が引き出され、肩の上に置かれていた。
解剖の結果、失血による即死で、死後に遺体が切り刻まれたと診断された。
左の腎臓が的確に摘出されていたため、犯人は医学的専門知識がある者ではないかと推測された。
さらに切り裂きジャックから届いた犯行声明には、このように書かれていた。
「地獄よりラスクさんへ
ある女から切り取った腎臓の半片を送るぜ。
あんたのためにとっておいたやつだ。
残りの半片はフライにして俺が喰ってしまったよ。
かなり味がよかったぜ。
もうすぐそいつを切り取った血まみれのナイフを送るぜ。
できるものなら捕まえてごらん。ラスクさんよ」
ラスクとは、ホワイトチャペル自警団委員会会長のジョージ・エイキン・ラスクという人物のことであった。
この犯行声明文は、警察が掴んでいた状況証拠とメディアでされていた報道とをつなげる、決定的な証拠となった。
同封された箱の中に「腎臓」と称する肉片が入れられていたのだ。
はじめ、ラスクはこれを犬の肉片だとして、いたずらと判断した。
しかし、念のためロンドン病院の解剖博物館館長トマス・オープンショー博士のもとに持ち込んだところ、その肉片は、ジン浸りのアルコール中毒者の腎臓で、ブライト病という当時多かった腎臓病にもかかっているとの見解であった。
オープンショー博士はさらに、この腎臓は45歳くらいの女性のもので、摘出されてから3週間は経過していおり、ワイン漬けにして保存されていたという見解が大々的に報道された。
その腎臓は、4人目の被害者であるキャサリン・エドウッズの持ち去られた腎臓の長さと一致していた。
警察による犯人捜査が急がれるなか、その半月後、もっとも凄惨な殺され方をした5人目の女性の遺体が発見された。
【5人目の被害者】
1888年11月9日 メアリー・ジェイン・ケリー(25歳) 皮膚や臓器を含めほぼ完全にバラバラにされた
4人の被害女性たちと唯一異なったのが、遺体が発見されたのがメアリー本人の自室だったという点である。
犯人は人目を気にする必要がなかったせいか、メアリーの遺体を弄ぶかのようにバラバラにした。
これまでの被害者同様、喉と腹部を切り裂くだけでなく、顔立ちまでもわからなくなるほど切り刻んだ。
心臓や乳房をはじめ、臓器はほとんどが摘出され、遺体の周りやテーブルに点在させた。
切り裂きジャックは異常なまでのラッキーマンという皮肉
物的証拠と時間経過による状況証拠のもと、犯行声明文の送り主が「切り裂きジャック」本人であるという確証が高まった。
筆跡鑑定から現在でいうプロファイリングを行い、警察当局をはじめメディア、病院までもが犯人の輪郭を描き出すことに一丸となり、犯人追跡の熱が高まった。
しかし、犯人がその肉片を封筒に入れる現場を取り押さえたわけではない警察当局としては、やはり憶測の域を出ることはできなかった。
切り裂きジャックが他の者に肉片を渡して手紙を書かせ、その人物がジャックの仲間だったという可能性もあり、複数犯の犯行との推測もなされたのだ。
警察は、フリーメイソンや王室関係者(王室ならば権威を守るために隠蔽工作する可能性も高いとして)にまで捜査の手を伸ばすという、綱渡りのような捜査も行った。
最近の「切り裂きジャック」を扱う映画などでは、これらに創作の手を加え、王室侍医のウィリアム・ガルや当時のヴィクトリア女王の孫にあたるアルバート・ヴィクター(クラレンス公)を真犯人として見立てるものもあるほどだ。
5人の被害者たちが殺害された状況を鑑みると、余程の奇跡が起こらない限り、犯行は不可能に近いと予測された。
3人目の被害者、エリザベス・ストライドの殺害時には目撃者がいたという説も飛び交う中、結局犯人は捕まることなく現在も事件の真相は迷宮入りとなっている。
切り裂きジャックによる娼婦連続殺人事件は、偶然が偶然を呼び、すべてが犯人の思うがままに運んでしまった悲劇のケースだったといえるだろう。
真犯人にとっては、奇跡というよりラッキーが重なって捕まらなかったといったほうが正確かもしれない。
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