ミリタリー

コスパには優れていたドイツのミサイル・V-1号

報復兵器第1号

V-1号

ハインケル He 111に吊り下げられたV-1

V-1(ブイワン・ドイツ語ファオ-アインス)号は、第二次世界大戦末期にドイツ空軍によって開発・実用化された兵器です。

推進機関にパルスジェットエンジンを採用したその兵器は、今日の巡航ミサイルの魁とも言うべき存在でした。

当時敗色が濃厚となっていたナチス・ドイツにおいて、ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相はこの兵器を「報復兵器第1号」と名付けてイギリスへの報復攻撃へのプロパガンタに大いに利用しました。

V-1号とはその頭文字を取った略号であり、正式な名称は「フィーゼラー Fi 103」でした。

配備の遅れ

V-1号は、その開発を担当したフィーゼラー社では1933年頃から開発の案を有していたと言われています。

しかし当時ドイツ空軍はこれに関心を持たず、イギリスとの航空戦「バトル・オブ・ブリテン」に勝利できなかったことから、1942年6月になってようやくその開発を依頼したとされています。

※牽引式発射装置上のV-2 wikiより

この背景には先のイギリスとの戦い以外にも、陸軍が開発中であったV-2号大陸間弾道弾の祖)に対抗する目的もあったと考えられてます。

V-1号は、同年の12月には航空機からの投下と、陸上からの試射実験の両方に成功し実用化が決定されました。

しかし実戦配備はV-2号が優先されたこともあり、1944年6月まで送れることになりました。

実戦での戦果

V-1号は、当初フランスのカレー地方において、カタパルト式の発射機からロンドンに向けた攻撃を行ったとされています。

ここでは1944年9月までで約8,500発のV-1号が発射され、目標のロンドンまで到達したものはこの内の約2,300発程度とされています。

この3割に満たない到達率を、当時の兵器の技術水準で考えた場合に高いとみるか、低いと見るかの判断は二分されますが、イギリスを屈服させるに足る効果を上げることは出来ませんでした。

同年9月以降に連合軍がカレー地方を制圧したため、V-1号の陸上発射は一旦不可能となり、航空機への搭載による攻撃に切り替えられましたが、ロンドンへの到達率はさらに低下したとされています。

1945年3月になると、オランダから飛行距離の延長が図られた改良型V-1号が発射されるようになりました。

ここでは全275発が発射され、内イギリスへと到達したのは125発であったとされています。しかし同月29日を最後にV-1の発射が行われることは以後はありませんでした。

コスパは優秀

V-1号は、凡そ時速600kmから650kmで飛来したため、戦闘機による迎撃が可能とされていました。

しかし戦闘機の機銃掃射でこれを撃墜するためには、爆発に巻き込まれないように距離を取って行う必要がありました。また落下する場所を変えさせるために、戦闘機の翼をV-1号に接触させる対処方も取られましたが、この場合でもいずれかには落下して爆発する危険性は残されていました。

※V-1に翼を当てるスピットファイア戦闘機(右)

これらのことからイギリス空軍では、爆撃機よりもコストが安い兵器と見做され、一定の評価を与えられたようです。

ドイツでも陸軍が実用化したV-2号と比べると、搭載可能な爆弾の量に比して、低コストで生産も容易であったとされています。

殊に製造コストにおいては、約10%と安価でありながら威力は遜色のないものであり、兵器としてのコストパフォーマンスには秀でたものであったと考えられています。

実際、大戦中の合計数でも約24200機のV-1が発射されたのに対し、V-2は約3500機に留まっています。加えて、与えた損害も、V-2よりも多かった事が戦後に判明しています。

今日への影響

V-1号は、第二次世界大戦において戦局に影響を与えるほどのインパクトはもたらしませんでしたが、その後の兵器としてのミサイル開発には大きな足跡を残した兵器となりました。

V-1号を皮切りに、兵器としての巡航ミサイルは1950年代に末期には約8000kmもの射程を誇るものとなり、更に1980年代に登場したトマホークなどの高性能な巡航ミサイルへと発展し、今もその進化を続けています。

 

swm459

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