音楽&芸術

【3回見たら死ぬ絵】 終焉の画家・ベクシンスキーの芸術遍歴 〜「音楽、映画、建築、写真、彫刻」

ポーランドの芸術家・ズジスワフ・ベクシンスキー(1929~2005)は、「終焉の画家」「滅びの画家」と呼ばれている。

これは、ベクシンスキーが不気味な幻想絵画で有名になったためだ。

終焉の画家・ベクシンスキーの芸術遍歴

画像:無題の絵画(1978)by Zdzislaw Beksinski/CC BY-SA 3.0

とはいえ、ベクシンスキーは最初から幻想絵画を描いていたわけではない。絵以外の創作も行っていたし、自分のフィールドではない芸術分野にも多大な関心を抱いていた。有名になったあとも、その態度は変わらなかった。

ベクシンスキーはどんな芸術と関わり、どんなアクションを起こしたのか? 一つ一つ見ていこう。

音楽

ベクシンスキーは音楽に深い愛情を寄せていた。絵を描く時は必ず音楽をかけ、1日10時間以上も音楽を聴いていたそうだ。

若い頃はジャズやロックにも没頭したが、生涯を通して愛したのはクラシック音楽で、特に19世紀後半から20世紀初頭の作品を好んでいた。
お気に入りの作曲家として、リヒャルト・ワーグナー(ドイツ)、カロル・シマノフスキ(ポーランド)、アレクサンドル・スクリャービン(ロシア)などを挙げている。

[スクリャービン作「ピアノソナタ第9番『黒ミサ』」の動画]

ベクシンスキーは音楽に対して、絵画と同等もしくはそれ以上の情熱を注いでいたが、自身で作品を発表したことは一度もなかった。

音楽家になる可能性がゼロだったわけではない。例えば、ベクシンスキーは子供の頃にピアノを習っている。だが、銃弾の暴発に巻きこまれて指を損傷したため、レッスンをやめた。

別の機会には、当時の録音技術である「磁気テープ」を使って、電子音楽の作曲を試みたこともある。ベクシンスキーは自宅内にスタジオを作ろうとしたが、電子工学の知識がなかったために計画は頓挫。結局、作曲は断念した。

映画

ベクシンスキーは若い頃、映画監督に憧れていた。映画学校の映画監督学科を受験しようと、本気で考えていたほどだ。

だが、安定した職を望む父親はベクシンスキーの進路に反対。代わりに、建築家になるように勧めた。
ベクシンスキーはこの提案を「就職したら映画学校に通う資金を出してもらう」という条件で受け入れる。

しかし、この約束が果たされることはなかった。ベクシンスキーが職に就いたあと、父親が亡くなってしまったのだ。

映画学校に行く目途が立たなくなり、その頃にはベクシンスキー自身も映画への情熱を失っていたこともあって、彼の学生時代の夢は幻と消えた。

建築

父親の勧めで建築家の道に進んだベクシンスキーは、クラクフ工科大学建築学部を卒業後、建築会社に入社する。

作業現場の現場監督に任命されるが、ベクシンスキーはこの仕事が嫌いだったらしい。彼が携わっていたのは「実用的な」建築であり、「芸術的な」建築ではなかったから、性分に合わなかったのだろう。当時の彼の楽しみは、終業後に宿泊施設でデッサンを描くことだった。

数年後、ベクシンスキーは会社を辞めて、故郷に戻っている。絵画の中では建造物を多く描いたベクシンスキーだが、建築作品は手がけていない。

写真

終焉の画家・ベクシンスキーの芸術遍歴

画像:セルフ・ポートレート(1956-1957)by Zdzislaw Beksinski

映画監督の夢を諦めたベクシンスキーが、近縁ジャンルとして注目したのが「写真」だった。

優れた写真を撮るための修練を重ね、1954年にプロデビューを果たす。ベクシンスキーの芸術家としてのキャリアはここから始まった。

デビュー後は、個展を開いたり、ポーランド芸術写真家連盟の展覧会に参加するなど積極的に活動。批評家や他分野のクリエイターにも高く評価され、ベクシンスキーの名は芸術界に広まった。

50年代末期にはフォトモンタージュ(複数の写真を切り貼りして作ったもの)の制作も行ったが、1960年以後は写真からしばらく距離を置いた。

絵画に関心が移ったため、とされている。

彫刻

画像:頭部彫刻(1960)by Zdzislaw Beksinski/CC BY-SA 3.0

1950年代後半から1960年代前半にかけて、ベクシンスキーは彫刻を作っている。

前衛的な傾向が強く、緑青で加工した石膏や金属板などを素材に、抽象的な造形物を多数生み出した。

ドローイング/デッサン

画像:無題のドローイング(1966)by Zdzislaw Beksinski/CC BY-SA 3.0

ベクシンスキーは晩年までドローイング/デッサンを描き続けたが、作風や扱いは時期によって大きく異なる。

抽象画を描いたり(1950年代後半)、SM的なテーマを多用したり(1964~1968)、制作にコピー機を使ったり(1990年代)と、実に多様である。

ドローイング/デッサンが絵画の下書きとして位置づけられ、作品がほとんど発表されなかったこともあった(1970年代後半)。

ベクシンスキーの芸術観の変遷が伺えて、非常に興味深い。

絵画

1950年代後半、ポーランドの画家たちの間では「表現主義」という芸術思想が流行していた。ベクシンスキーもそれに追随し、絵を描き始めた一人だった。

しかし後年、ベクシンスキーは初期の絵画を「先人の亜流にすぎない」という理由で燃やしてしまったため、当時の作品は現存していない。

その後は彫刻やドローイング/デッサン同様、抽象的な作品を作っていたが、1968年頃に転機が訪れる。

油彩画の制作を本格的に始め、作品から抽象性を排除。ベクシンスキーが世界的な知名度を得るきっかけとなる「幻想絵画」が誕生した。以後は、絵画制作が活動の中心となった。

その作風は、一見不気味で荒廃的なものが多く、中には「三回見たら死ぬ」と噂された絵画もある。

 

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死や絶望の中に美しさや壮大さなどを感じさせる独特の世界観は、世界中から多くの支持者を得た。

画像 : Untitled painting by Zdzislaw Beksinski 1984 wiki c

画像 : Painting entitled: Król i królowa (King and Queen), wiki c

なお、ベクシンスキーは工科大学出身であるため、芸術学校には通っていない。

絵画の技術は全て独学で身につけたものである。

コンピューターアート

ベクシンスキーの芸術遍歴

画像:無題のフォトモンタージュ(2000-2005)by Zdzislaw Beksinski/CC BY-SA 3.0

1990年代後半からは、パソコンを購入してコンピューターアートにも取り組んでいる。

1960年以来遠ざかっていた写真制作は、「画像編集ソフトAdobe Photoshopを用いたCGフォトモンタージュ」という形で復活を遂げた。

最晩年には、鉛筆で書いたデッサンをパソコンで加工して印刷するなど、独自のアプローチも試みた。

ベクシンスキーは、最後まで変化し続けたのだ。

※参考文献
ズジスワフ・ベクシンスキほか(2010)『ベクシンスキ作品集成Ⅰ』株式会社エディシオン・トレヴィル
ズジスワフ・ベクシンスキほか(2010)『ベクシンスキ作品集成Ⅱ』株式会社エディシオン・トレヴィル
ズジスワフ・ベクシンスキほか(2010)『ベクシンスキ作品集成Ⅲ』株式会社エディシオン・トレヴィル

 

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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