1945年3月、敗戦が迫るナチス・ドイツ。ナチスの親衛隊全国指導者「ハインリヒ・ヒムラー」は、奇妙な命令を下した。
連合国軍が到達する前に古い城を破壊するように命じたのだ。その城には、黒魔術や秘密兵器、オカルトなどに関連する不気味な噂が絶えない。
ヒムラーの城に隠された驚きの秘密とは?
ヒムラーの城
ドイツ・ヴェヴェルスブルグ城。この城は1945年4月、アメリカ軍に占領された。
しかし、アメリカ軍が到着したときには、すでに城は半壊状態であり、広間の床に奇妙な「黒い太陽」が描かれた丸い形の部屋があった。その下の霊廟では、死者に捧げる炎が焚かれていたという。
この城で何らかの儀式が行われていた痕跡があったのだ。親衛隊は城を爆破し、火を放ったが、爆薬が少なかったために城は生き残った。
当時のヒムラーは敗戦が間近だと知っていた。親衛隊全国指導者であり、大量虐殺の最高責任者であったヒムラー。
数百万人の罪なき人が殺害されたホロコーストを主導した人物である。敗戦ともなれば戦犯になるのは間違いなく、一刻も早く逃げるべきだったが、それよりも城の破壊を優先させたのだ。
黒い太陽が描かれた部屋はナチス親衛隊の高級幹部の間だった。ナチスが政権をとった1939年、ヒムラーはヴェヴェルスブルグ城を手に入れ、すぐに改築を行った。そのひとつがアメリカ軍により発見された黒い太陽である。
そして、この城では他にも何百個もの指輪が見付かった。「親衛隊名誉リング」や「髑髏リング」と呼ばれるものである。
リングと古代文字
銀のリングは、一定の基準を満たした親衛隊の隊員だけに贈られるものだった。
当時の受領書には「この指輪は総統への忠誠心の証であり、その命令には自らの死もいとわぬこと。脱退や戦死の場合はヴェヴェルスブルグ城、及び親衛隊長のもとへ指輪を返却せよ」と書かれている。
親衛隊全国指導者のヒムラーは、開戦前ヴェヴェルスブルグ城である計画を遂行していた。その秘密の鍵が名誉リングにあるようだが、ドイツでは親衛隊の指輪を集めることは犯罪となる。しかし、イギリスに残されていたリングを調べてみると、内側には持ち主の名前とヒムラーのサインが刻まれ、外側にはゲルマン人の古代文字であるルーン文字が刻まれていた。
ここで、手掛かりとなるヒムラーのことを調べてみよう。1923年、ミュンヘンで会社勤めをしていた23歳のヒムラーは、発足して間もない「国家社会主義ドイツ労働者党」、すなわちナチ党に入る。
1925年にはヒトラーの警護を目的に結成された親衛隊(SS)に入隊。ヒムラーはこの組織を単なる護衛ではなく、人種的に優れたエリート集団にしたいと語り、やがて指導者に抜擢された。
1933年、ヒトラーが首相に就任するとヒムラーも強大な権力を手にする。
そんなヒムラーはドイツ語とルーン文字で書かれた「9つの戒律」を残していた。差出人は、カール・マリア・ヴィリグート。親衛隊の高官であり、彼もまたヒムラーから名誉リングを授与されていた。
ヒムラーの野望
ルーン文字とはもともと記号として使われていたが、19世紀から20世紀にかけて未知なるパワーが宿っていると、オカルト信者たちが独自の解釈を加えるようになった。
ルーン文字は古代アーリア人の教えを伝える秘密の記号だというのだ。アーリア人が実在したのかどうか、現代の科学でも定かではない。しかし、1900年頃、アーリア人はゲルマン民族の祖先であり、多様な神を信仰し、自然と共に生きる民であったという説が流れた。
名誉リングには、ドイツ語で勝利を意味する単語の頭文字「S」が刻まれているが、前述のオカルト信者によれば「勝利と幸運を」という言葉が重要な意味を持つという。そして、名誉リングのデザインをしたのは、カール・マリア・ヴィリグートであった。ヴィリグートは、ナチ党が政権を握った1933年に入党。彼は原始ゲルマン人にもつながる秘密の王家の家系だと語っており、古代アーリア人の記憶に直接アクセスできるとも主張している。彼によれば、ゲルマン人はアーリア人の直系子孫だというのだ。
馬鹿げた主張だが、当時のドイツは第一次世界大戦の敗戦で政治・経済の両面で低迷しており、ヴィリグートの語る「アーリア人の子孫であるゲルマン人は勝利を手にして再び豊かになる」という話に心を魅かれた。その一人がヒムラーである。「ヒムラーのラスプーチン」と呼ばれるヴィリグートは、ヴェヴェルスブルグ城から40kmほど離れたエクステルンシュタイネにある巨石群をアーリア人の聖地とした。ヒムラーはここを訪れ、古代アーリア人と精神的につながることを目指す。
なぜなら、この巨石群には古代に人が住んでいた跡があるのだ。
アーリア人の聖地
ヒムラーがここを訪れたのは1934年9月のことだった。
ゲルマン民族の遺跡をナチスのものとして所有することが、彼の思想と合致していたのである。ヒムラーはナチスの考古学者に依頼し、エクステルンシュタイネが古代ゲルマン人の遺跡であるという証拠を求めた。
実際にはそうした証拠は確認できなかったが、学者たちはヒムラーに彼が望んだ通りの報告をした。ナチスは歴史を無視してまでもこの地を古代ゲルマン民族の聖地としたかったようだ。事実、アーリア人の神殿として、エクステルンシュタイネでは大きな焚き火を前に、数百人という親衛隊員が集ったという。
ハイデルベルクにあるティングシュテッテには、古代ローマの闘技場のような石の階段が輪を描く場所がある。ここは1930年代はじめにナチスの政策の一環として作られた施設である。古代ゲルマン民族の会議に倣い、ナチスも集会を行える同様の施設を全国に作った。ここで集会を行い、プロバガンダとして利用したのだ。しかし、利用された期間は数年ほどである。第二次世界大戦が迫る中、ヒムラーも現実的な思想に立ち戻らなくてはならなくなったからである。
その後、ヴィリグートが精神病患者として入院していた過去が明らかになり、親衛隊を除隊することとなった。しかし、それは表向きで、ヒムラーはヴィリグートをかくまい、本心からオカルト的な思想を捨てたわけではない。では、ナチスにまつわるオカルト話はどこから広まったのだろうか?
それが、第二次世界大戦での敗北を認めない「ネオナチ」である。ヴェヴェルスブルグ城の床にある黒い太陽も、1990年代にネオナチが名付けたものだったのだ。この装飾は戦時中には名前が付いていなかったと判明したのである。
ヴェヴェルスブルグ城の目的
ネオナチのメンバーは黒い太陽を装飾品にして、大切に扱っているという。ネオナチはヒムラーと黒い太陽の関係を分かっていなかったと思われるが、現実的な理由で使い始めた。
現在、ドイツでは、公共の場で鉤十字の印を使用することは許されない。そこで、ヴェヴェルスブルグ城にあったこのマークが使われたのだ。
正体がわからないからこそ、人々はこのマークに魅かれたということだ。しかし、ヴェヴェルスブルグ城が親衛隊にとって特別な施設であったことは間違いない。ゲルマン民族は世界のどの民族より優れ、いずれ世界を支配し、この城を中心地とする考えが親衛隊のなかにはあった。そうした説を信じるグループのリーダーだったヒムラーは、アーサー王の物語や聖杯の話にも心酔した。そこで城に親衛隊の精鋭を集め、理想的な共同体の建設を進めたのである。
ヒムラーは優秀な学者などを集め、ルーン文字の研究なども行わせたが、すべては計画で終わることになる。ナチスドイツが第二次世界大戦で勝利した暁には、この城を拠点としたゲルマン民族の理想郷を作ろうとしたのだ。
事実、戦時中に計画されたものの中には、ヴェヴェルスブルグ城を改修し、城を中心として大幅な開拓を行い、大学も建設しようとしていたことが判明した。ヒムラーは、この城を中心にアーリア人の魂が集う拠点にすることこそ目的だったのだ。そこでは親衛隊の騎士団がルーン文字を読み、名誉リングを授け合い、古代ゲルマン民族の魂を現代に呼び起こすのである。
しかし、すべてはナチスドイツの敗戦と共に、歴史の闇へと葬られたのだった。
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