農業の始まり
どの国においても、農業は重要な位置を占める。
人類は元々狩猟採取を行なって生きていたが、農業は世界各地でそれぞれ別個に始まったと考えられている。
およそ紀元前9500年頃の新石器時代には、東部地中海沿岸地方においてデュラムコムギの始祖とされるエンマーコムギ、ヒトツブコムギをはじめ、オオムギ類、エンドウマメ類、レンズマメ、ヒヨコマメ、アマなど8種類の初期作物が収穫されていたことが知られている。
コメ類は、紀元前6200年頃までには中国で栽培が開始され、最古の収穫は紀元前5700年頃とされる。それに続いてリョクトウや大豆、小豆の栽培も開始された。
サトウキビや根菜類の栽培は紀元前7000年頃のニューギニア島で始まった。
メソアメリカでは紀元前4000年頃に、現在のトウモロコシの起源とされる野生種のテオシンテの栽培が始まった。
綿の栽培は、紀元前3600年頃までにペルーで始まったとされる。
古代の農業
現段階で見つかっている最古の農業の痕跡は、23,000年ほど前のものである。
他にもエジプトやインドで、それまでに野生に生えていた植物の種を植えて収穫をしたことを示す遺跡が見つかっている。
エジプトで小規模な農耕が始まったのは、紀元前7000年頃である。
アジアでは紀元前7000年頃に、インド亜大陸でもコムギやオオムギを栽培していたことがパキスタン地方のメヘルガルの考古発掘で明らかになっている。
同じ頃、東アジアで米の栽培が始まっている。中国南部では、湿地農業の発展と共に米の栽培が開始された。
中国北部では紀元前5500年までにはキビが栽培化され、黄河領域の主要作物になった。中国やインドネシアの農民はさらに、イモやリョクトウ、大豆、小豆と言った豆類を栽培するようになった。
これらは主に炭水化物であり、それを補うタンパク源として魚を大量に確保すべく魚網が発達することとなった。
農業と漁業の進歩により、これまでとは比べものにならないくらいの速度で人口が増加し始めたのである。
日本の農業
かつての日本の歴史の授業では、弥生時代から農耕文化が始まったというのが常識だった。
ところが近年の発掘調査により、縄文時代から原始的な農耕文化が始まっていたことがわかっている。
縄文時代は人々が生活する土地や環境に適した作物や家畜を育てる「適地適産」が基本だった。青森県の三内丸山遺跡の発掘調査では、クリの渋皮やゴボウ、マメ類といったいった植物が出土され、DNA分析により、これらが栽培植物であったことがわかっている。
弥生時代には水田稲作が定着する。
土地を切り開き、農地を耕すといった農耕段階に進んだが、このことが農耕に適した土地を奪い合う争いが起こる時代の始まりでもあった。
農業により安定した生活が送れるようになったことで、人口は増え、集落は大きくなっていった。
そして、その集団をまとめるリーダーが権力を持ち始めた。別の団体と戦いながら大きな集団を形成するようになるのである。
室町時代には治水技術や管理組織が発達し、寄合や村掟などが強固になった。農民の自治組織「惣」が発達し、力をつけ、一揆を起こすようになった。
戦国時代には戦国大名が自分の領土を拡大し、米の収穫量をあげるため、農業を奨励しつつも「惣」を解体して農民から武力を奪い、一部の農民を家臣にするなどして村を統治するようになった。
江戸時代になると、大名たちは自分の領地で新田を開発するようになった。
江戸時代は農具の改良や稲の品種改良といった農業の開発だけではなく、商品作物の生産が増加したことで強い生産力を持つ農家が現れた。商業や交通の発達により貨幣が重要な役割を持ったことで力のある商人が生まれたりと、農業のあり方が変わっていった時代だった。
明治時代から現代まで
明治時代になると税が米からお金に変わる。
明治時代には農産物の改良技術が進歩し、品種同士を掛け合わせて新しい品種を作り出すようになった。この時代に化学薬品を使った最初の除草が行われた。
大正時代は第一次世界大戦を背景に農業の機械化が一気に進んだ。これまで人力で動かしていた農業機械が電気や石油を使って動かせるようになった。
昭和に入ると戦争で食料不足となり、1942年に「食糧管理法」が制定されて米などの食糧は国家管理となった。
1955年以降は工業の発展により、米の収量水準が向上する。
その後、化学農薬の人体や土壌に与える影響が問題になったことから、1971年に「農業取締法」が改正された。
現代は農業人口の減少や食文化の変化などで、米の需要率が低下している。
だが、需要率の低下によって米の自給率はほぼ100%であること、栄養バランスの良い日本型の食生活が世界で注目を集めていること、2013年には「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことなどから、農作物の外国への輸出が増大している。
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