ルイ14世の出生の秘密
※ルイ14世 Louis XIV of France
ルイ14世は、1638年に先王ルイ13世と王妃アンヌ・ドートリッシュとの間に生まれました。夫妻の結婚23年後です。
アンヌはスペインのハプスブルク家の出身で、ルイ13世とは14歳どうしの政略結婚でしたが、何度かの流産を経て、夫婦間は険悪になり、長く子供が出来ない別居状態でありました。
ルイ13世には、ゲイ説もあります。無理もありません。成人後に愛人が一人もいないフランス国王なんておかしいです。
それで、ルイ14世が誕生したときは、ずっと別居していたのに、狩りに出た国王一行がたまたま嵐に合って王妃の住む宮殿に雨宿りに一泊し、その9か月後に生まれたということになっています。アンヌ王妃37歳の出産です。当時としてはものすごい高齢出産です。2年後に弟フィリップも生まれました。
ユスターシュ・ドゥージェの父、フランソワも、この一行の中にいました。そしてルイ14世出生に関わっており実父であろうと言われています。ユスターシュと違い、父フランソワと母マリ―は、ルイ13世、リシュリュー枢機卿、アンヌ王妃の信頼篤く、秘密を守る、共有できる存在で、しかもすでに9人も子供がいたというのが理由だろうと言われています。
これで、マリーへの巨額の年金、ユスターシュのおとがめなし、弟ルイの厚遇、カヴォワ家の兄弟たちとルイ14世の顔がそっくりなほど似ている、鉄仮面の獄中での好待遇などの色々な謎が解けるわけです。
ルイ14世の洗礼名は、ルイ・ディユドネ、神の賜物という意味ですが、父親のわからない子供に付けられる名前でもあったそうです。ちなみに、フランス王にルイという名前が多いのは、先祖のルイ9世が聖人になっているからでしょう。
フランスはカトリック教徒が多いです。カトリック教はキリスト教ですが、殉教したりして亡くなった人が守護聖人としてローマ法王庁から認定されているので、一般でもその聖人にちなんだ名前を付ける習慣があります。先祖に聖人がいれば尚更、それにちなんだ名前を付けるのではと思います。
ところで、ルイ13世にはガストンという弟がいました。オルレアン公です。ルイ13世は弟を嫌っていたので、弟が王位継承するよりは、アンヌ王妃が産んだ子供が自分の本当の子でなくても、継承する方がいいと考えたのでしょう。オルレアン公はリシュリュー枢機卿の敵でもあったので、リシュリュー枢機卿がルイ13世を説得したのかもしれません。もしオルレアン公が次の国王になれば、リシュリュー枢機卿がやって来たことがすべて水泡になってしまうと考えるのも当然です。彼らは、かなり切羽詰まった気持ちだったのではないでしょうか。
フィクションですが、去年NHKで放送された、BBC制作のドラマ「マスケッティアーズ」では、三銃士のアラミスがアンヌ王妃と不倫関係に陥り、ルイ13世の知らぬ間に関係をもって、王太子(ルイ14世)が生まれたという話になっていました。アラミスが健気に王太子(自分の息子)を守るために、養育係の女性ともいい仲になるというのもよくわかりませんでしたが・・・。
また、映画「仮面の男」では、ダルタニヤンがルイ14世の実父とされていました。しかし実際は、秘密の関係とは言え、ルイ13世や関係者の黙認なしで、王妃の私情だけの不倫関係は絶対無理だと思います。尚、「三銃士」のダルタニヤンは実在の人物で、三銃士もモデルがいるということです。
それにしても、相続にまつわるこういう話は他にもあるのでしょうか。
他の国のことではありますが、ロシアのエカテリーナ二世、ドイツの小国からロシアの皇太子妃になった人ですが、夫のピョートル皇太子は、残念ながら知能も遅れていて跡継ぎも望めない状態でした。エカテリーナ二世の自伝によれば、夫の叔母であるエリザヴェータ女帝の差し金で、半ば公然とした恋人セルゲイ・サルトゥイコフとの間に生まれたのが、息子のパーヴェル1世だったということです。よくあることではないでしょうが、絶対にないとは言えないことなんですね。
逆に考えると、こういうことがあるので、王妃は貴族らの立会いのもとに公開出産を余儀なくされたのかもしれませんが。
尚、ルイ13世とルイ14世が全く似ていないというのは、当時から囁かれていました。実の父がリシュリュー枢機卿だとか、マザラン枢機卿であるとかの噂もありましたが、リシュリュー枢機卿はともかく、マザランはその頃はまだイタリアにいたのでしたが。
太陽王の深層心理を探る
※ベルサイユ宮殿
ルイ14世といえば、「朕は国家なり」と言ったとか、贅を尽くしたベルサイユ宮殿を作り、スペイン継承戦争を起こしたり、数多くの寵妾を持った浪費家で、歴史家が正確に数えようとしてさじを投げたほどの数の庶子をもうけたなど、日本で言えば豊臣秀吉ばりに大きなことや戦争が大好きで自分を誇示したがるタイプのように思えます。
身長が160cm程度だったので、カツラをかぶったり、自分を大きく見せたがるところがありました。
ルイ14世は、生まれたときから将来を約束された王太子で、幼くしてフランス国王になりました。物心ついたときには望むものは何でも手に入れられた、それに自分が望んで国王になったわけではないので、ことさら居丈高に振る舞うことはないし、国王であるのは彼にとって自然なことだったはずです。それなのに、なにかすごく焦っているような、それ以上に認められたがっているような、満たされない、誇大妄想とか成り上がりのような自己愛性人格障害的雰囲気を感じてしまいます。
4歳で国王に即位後、摂政の母アンヌ皇太后とその愛人、秘密結婚をしたと言われる宰相マザランが政治を取り仕切っていましたが、ルイ14世は内気でおとなしい性格だったといいます。が、22歳のとき、宰相マザランが亡くなった後、突如、権力志向をあらわに出して別人のように尊大になったということです。
なにがあったのでしょうか?マザランに親政をすすめられたと書いたものもありますが、そんなもんじゃないでしょう。このときに出生の秘密を知ったのかもしれません。ルイ14世は、父13世については全く語らず、聞きたがりもしなかったという話です。
ちょっと話がそれますが、若い時からがむしゃらに働いて成功して大金持ちになったが、どんなに成功してお金持ちになっても満足できなかった人が退行催眠術を受けた話があります。それによると、この人が生まれたとき、産科医が、「この子は未熟児だからどうせすぐ死ぬ、大した人間にはならない」と言ったことが、ちゃんと赤ちゃんのその人に聞こえていて、いくつになっても深層心理に働きかけていたのでした。それで、どんなに成功しても、自分の人生に満足できなかったということが判明したということなんですね。
国王といえども、出生に秘密を抱えた人は同じような強迫観念にさいなまれているのかもしれません。
※ピョートル一世
大帝といわれたロシアのピョートル1世も2mの大男で、両親は不和、父アレクセイとは全く似ていませんでした。
※アレクセイ (モスクワ大公)
アンリ・トロワイヤ著「大帝ピョートル」によりますと、ピョートルが生まれたとき、父アレクセイは他の子が虚弱だったのに比べて、「生まれた子が初めて頑丈な肉体に恵まれていたので、ことのほか喜んだ」ということです。
しかし、宮中の口さがない連中は、年老いて病気がちの皇帝と健康な子供を比べて疑問に思わない人はいなかったらしくて、本当の父親の名前を詮索していたということです。大柄の総主教ニコンだろうか、側近の精力的なチーホン・ストレーシェフだろうか、と言われていたそうです。
ずっと後になってからですが、ピョートル大帝は、酒の席でチーホン・ストレーシェフをつかまえて、「お前か、俺の父親は?」と唐突に聞いたそうです。
ストレーシェフは「何と言って答えていいかわかりません。私一人ではなかったので(皇后であるピョートルの母ナターリアには他にも相手がいたので)」と答えた。
するとピョートルは、その場にいた父アレクセイ皇帝の庶子、ムーシン・プーシキン伯爵を指さして、「あの男はとにかく、私の父の息子であることを知っているが、私は自分が誰の子かということさえよく知らないんだ」と言い、両手で顔を覆って泣きながらその場を去った。
というエピソードが載っていました。
「一生の間、疑惑に悩み続けていた彼は、みずから父親と自任している人物(皇帝アレクセイ)については、その可能性さえ認めていなかった」という締めは、こういう立場に生まれた人の苦悩がよく表れているのではないでしょうか。
ルイ14世の心理状態まで考えると、フランス国王という最高の地位で完璧な血筋を誇るはずなのに、実際は私生児であったという秘密は耐え難いことなのでしょう。秘密を守る人には口止め料として莫大なお金を費やしたし、カヴォワ家の人たちも国王の信頼にこたえ、忠誠心を持って秘密を守り、厚遇されました。が、秘密を暴露しそうになった「鉄仮面」の存在がいかに恐ろしかったか、いっそのこと殺してしまえばよかったのにと言われるかもしれません。実の兄弟でも殺しあう王族なんて不思議じゃないですからね。
でも、ルイ14世は、ユスターシュが他の人と話すとか逃亡すればすぐ殺せと命令しつつ、自分のポケットマネーで3重扉の特別な官房を作って閉じ込めるかと思えば、やはり自分が莫大な費用を出して囚人とは思えない好待遇で紳士として扱い、常に気にして報告を待っていたということですから、ユスターシュについて、警戒は怠らないものの、幼い頃の思い出もあり、幼馴染み、異母兄弟としての気持ちのつながりもあったのかもしれません。
複雑な心境が、「鉄仮面」の待遇に如実に表れているのではないでしょうか。
「鉄仮面」も、最初に逮捕されたとき、「陛下は私の死をお望みか」と聞き、そうではないとわかると、逃亡を図ることもなく諦めて監獄でおとなしく過ごしたのでした。VIP待遇のおかげかもしれませんが、わりとおとなしい放蕩息子だったか、あるいはルイ14世の心境を察したのかもしれないですね。
鉄仮面はルイ14世の異母兄ユスターシュ・ドゥージェ説は、かなり辻褄も合い、納得のいく推理ではないでしょうか。
ただ、この本を読んでいてひとつ引っかかったことがあります。
アルプスのピネラル要塞の同じ監獄にいた二コラ・フーケは、前述のようにユスターシュともルイ14世とも幼馴染です。すでにユスターシュとは知り合いだったし、大蔵大臣として秘密も知っていたので隠す必要はなかったのです。が、このフーケはおそらく毒殺されたということでした。この毒殺にユスターシュがかかわっていたのでしょうか。これもまた謎ではあります。
ルイ14世と13世の違いは「フランスの歴史を作った女たち3巻」の24章「ルイ14世の父親はだれ?」でも詳しく書かれています。
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にゃるほど
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