レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ (1828~1910)は、帝政ロシア時代の小説家・思想家である。
ドストエフスキーやツルゲーネフと並び、19世紀のロシアを代表する文豪として知られている。
トルストイ作『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を知らない方でも、もしかしたら長い髭を蓄えた彼の写真に見覚えがあるかもしれない。
文学のみならず政治や社会に大きな影響を与え、非暴力主義者としての一面も持っていたトルストイ。
今回はそんな大文豪の生涯と、彼の遺した文学作品についてご紹介していきたいと思う。
トルストイの生涯
ロシア帝国で伯爵家の4男として生まれたトルストイは、由緒正しき貴族の血を引いていた。
だが彼の幼少期は複雑で、2歳の頃に母を亡くすと、9歳の時には父親の仕事の都合でモスクワへと引っ越した。
しかしまもなく父も亡くなり、その後は祖母、叔母、など後見人の元を転々と渡り歩いたが、いずれもまもなく死去。
最終的には遠縁の叔母へ引き取られるも、社交や遊興にふける日々を続けていた。
1847年には、農地を相続したことで農地の経営に乗り出すものの、挫折。
これらのこともあって3年間ほど放蕩生活を送っていたトルストイは、1850年、22歳の頃に小説の執筆を始めた。
24歳の頃から徐々に新進作家として注目されるも、1853年に起こったクリミア戦争では将校として従軍ことになる。
激戦の地に身を置くことで、やがて戦争のない平和の大切さを感じたトルストイだったが、この頃の経験が、後年の“非暴力主義”のきっかけになったのではないかといわれている。
『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など、歴史に残る多くの名作を生み出し続けたトルストイだが、『アンナ・カレーニナ』を書き終える頃から、“人生の無意味さ”を感じ始めるようになる。
この無気力状態は彼を苦しめ、次第にトルストイは自殺を考えるようになっていく。
しかし、精神的な苦しみを経験したのち、思想家としての活動を始めたトルストイは、政治批判や反政府運動を始め、ロシア帝国の民衆に大きな影響を与えた。
いかなる場合も暴力に頼らず、非暴力主義者としてのスタンスを貫いたという。
やがて1910年、鉄道で移動中に体調を崩したトルストイは、わずか1週間後に肺炎で命を落とした。82歳だった。
トルストイの葬儀には、1万人を超える参列者が訪れたという。
トルストイの代表作①『戦争と平和』
ここからは、トルストイが生み出した数多くの名作の中でも、特に有名な3つの作品についてご紹介したいと思う。
まずご紹介したいのは、トルストイが36歳の頃から執筆を始めた超長編小説、『戦争と平和』である。
19世紀前半、ナポレオン戦争中のロシアの貴族社会を描いた作品で、なんと500人を超えるキャラクターが登場する(正確には559人)。
相続により億万長者になった若者ピエールと、貴族社会の俗っぽさに嫌気がさし、軍隊へ志願したアンドレイ、そして愛情深いロシア女性の典型型として描かれている娘、ナターシャを中心に、数多くの人々の人生が綴られている。
世界的にも有名な文学作品のひとつに挙げられており、日本でも数多くの出版社から『戦争と平和』は販売されている。
最も有名なのは岩波文庫版で、全6巻にも渡る大作だ。
トルストイの作品に興味がおありなら、ぜひ読んでいただきたい作品である。
トルストイの代表作②『アンナ・カレーニナ』
『アンナ・カレーニナ』は、1873年、トルストイが45歳の頃から執筆した作品である。
1870年代のロシアを舞台に、美貌の夫人アンナ・カレーニナが、モスクワで出会った貴族将校のヴロンスキーと出会い、互いに惹かれあっていく。
夫も子もある身のアンナは苦しむものの、ついにその恋心を抑えきれず、ヴロンスキーとともに出奔することになる。
そんな2人を待ち受けていたのは、社交界からの厳しい批判の目で…。
この作品では、道ならぬ恋に身を焦がす、ひとりの女性の揺れる想いが、リアルで鋭敏な感性として描かれている。
トルストイの的確な描写や、人間の心理に対する深い洞察、そして素晴らしい表現力が高く評価され、雑誌へ発表された当初から多くの称賛を受けた。
日本でも、多くの文豪がこの『アンナ・カレーニナ』の影響を受けており、特に作家の志賀直哉は「近代小説の教科書」と称するほどである。
トルストイの代表作③『復活』
『復活』は、トルストイの晩年ともいえる、1899年に描かれた長編小説である。
若い貴族とかつての恋人であった女性の、“贖罪と魂の救済”をテーマに描かれたこの作品は、社会の偽善を告発するという裏テーマをはらんでいた。
まさに、この時期に社会活動家として行動していた、トルストイの思想を示す作品といえるのではないだろうか。
この『復活』は当時、日本でも大ヒットし、のちに女優の松井須磨子がヒロインのカチューシャ役を演じた舞台が大ヒットした。
さいごに
非暴力主義を貫き、博愛主義者として強く人々の心に残ったトルストイ。
日本では早くからその存在は受け入れられ、彼の多くの作品が愛読されている。
大正時代には白樺派と呼ばれる、思想主義・人道主義を掲げた文芸思潮のメンバーたちが、トルストイの作品に大きな影響を受けている。
その中には先述の志賀直哉、小説家の有島武郎、美術家の柳宗悦、画家の岸田劉生など、日本の近代文化の礎を作った人々が多く在籍していた。
つまり、トルストイの作品は彼の思想は、日本の近代文化の中に深く取り入れられ、それが後年の私たちの文化にも大きな影響を与えているのである。
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