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日本初の「歌う女優&美容整形女優」松井須磨子

日本で最初の歌う女優 松井須磨子

日本初の「歌う女優&美容整形女優」松井須磨子

※松井須磨子 wiki public domain

松井須磨子(まついすまこ : 1886~1912)とは、日本で最初の、“歌う”新劇女優である。

新劇とは、歌舞伎のように様式からなる演劇ではなく、いわゆる西洋演劇・当時の現代演劇のことで、この形式は現在上演されている演劇に受け継がれていると言っていいだろう。

この記事ではわずか32年という短い生涯を、舞台と恋への情熱に捧げつくした彼女について追っていきたいたいと思う。

整形してまで臨んだ舞台への道

日本初の「歌う女優&美容整形女優」松井須磨子

牡丹刷毛より(国立国会図書館デジタルコレクション保護期間満了)

本名は小林正子(この記事では彼女の呼称を須磨子で統一する)。
現在の長野県長野市に生まれ、生家は旧松代藩士であった。

一旦は養子に出たものの、再び実家に戻り、17歳で姉を頼って上京し、23歳の時に一度目の結婚をした。

が、身体が弱く病気がちだった須磨子を、舅は疎ましがり、わずか1年で離婚している。

実家の都合で養子に出されたり呼び戻されたり、さらには嫁ぎ先にも勝手な理由で離縁されたりと、須磨子は周りの人間に振り回される人生を送っていた。

こんな人生から脱却したいと強く願うようになり、この頃から女優の道を志すようになる。

俳優養成学校の面接を受けた際、「鼻が低く平坦な顔立ちのため、華やかさが欠ける」として入学拒否されるも、須磨子は諦めず、鼻に蠟を注入するという隆鼻手術を受け、女優への道を掴んだのだった。

須磨子の夢への貪欲さがわかるエピソードだが、いくら当時最新の技術とはいえ、鼻に蠟を入れるというのは少し怖いものである。

1908年には同郷で前沢誠助と結婚している(2度目の結婚

前沢誠助は結婚してすぐに東京俳優育成所の講師となった。しかしその後、須磨子は芸事で忙しく家事がおろそかになり1910年に離婚している。

坪内逍遥は劇作家としてだけではなく、小説家・詩人としても活躍した。

1909年には坪内逍遥率いる文芸協会演劇研究所の1期生となり、須磨子の女優人生がスタートする。

坪内は、シェイクスピアの戯曲を翻訳するなど、西洋演劇を日本の演劇界に取り入れようと積極的に活動をしていた。

島村抱月との激しい恋

日本初の「歌う女優&美容整形女優」松井須磨子

劇作家の島村抱月

1911年、ノルウェーの劇作家であるイプセンの『人形の家』の上演で、須磨子は主役のノラ役に抜擢されるとその演技が認められ、1913年には島村抱月(しまむらほうげつ)と芸術座を立ち上げることになった。

日本初の「歌う女優&美容整形女優」松井須磨子

※『人形の家』は、家庭に縛られている女性が自立する姿を描いた作品である

実は、この芸術座立ち上げには、島村抱月と須磨子との道ならぬ恋が関係していた。

当時、島村抱月には妻子がおり、2人は不倫関係にあった。そのことにより、須磨子は文芸協会を退会、抱月とともに新しい劇団を立ち上げたのである。

芸術座での須磨子の活躍はすさまじく、トルストイ原作『復活』では主役のカチューシャを演じ、劇中歌である『カチューシャの唄』は爆発的なヒットとなった。

須磨子は日本で初めて、歌を歌う女優としての地位を手に入れたのである

続く『その前夜』という作品の中では、再び劇中歌『ゴンドラの唄』を歌唱。

こちらも当時の流行歌となり、松井須磨子の名前は日本中に知れわたった。

抱月は、須磨子よりも15歳年上であったが、2人は年齢差など気にならないかのように、公私共にパートナーとして深くつながっていたと言う。

相次ぐ上演作品のヒットのおかげで、多くの収益を得た芸術座は、上野大正博覧会の演芸所を買い取った。

さらには牛込に「芸術倶楽部」を建立し、抱月と須磨子はそこで同棲状態になったのだと言う。

自分自身を燃やし尽くした愛

しかし、そんな2人を悲劇が襲う。

1918年、島村抱月は当時大流行していたスペイン風邪(インフルエンザ)に罹患、さらには肺炎を併発してしまい、急死した。47歳であった。

抱月の死に、須磨子は半狂乱になり、翌年1919年1月5日、芸術倶楽部の小道具部屋で首を吊って自殺した。後追い自殺である。

その日は芸術座の公演『カルメン』の上演中で、須磨子は情熱的に恋に生きる主人公・カルメンを演じていた。

須磨子が首を吊っていた場所には、抱月と須磨子の写真が並べて置かれており、花と線香が供えられていたという。

須磨子は、自分の存在はすべて、抱月の存在あってのことだと思っていたようだ。

抱月を愛する情熱の炎が、須磨子自身をも焼き尽くしてしまったのかもしれない。

世界に実力を認められた松井須磨子

この記事では、女優として、そしてひとりの女性として情熱的に、ただひたむきに生き続けた、松井須磨子の人生について調べてみた。

須磨子が女優になるため、鼻の中に流し込んだ蠟は比較的柔らかいものであり、体温の変動などによって簡単に溶けてしまい、鼻筋からずれてしまうことも多かったのだと言う。

島村抱月は、須磨子が手でゆがんだ鼻筋をおさえているのを見ると、「醜い」と揶揄したのだとか(ひどい男だ)。

それでも須磨子は抱月を愛し続け、整形後の後遺症に苦しみ続けながらも、女優として名演を続けた。
須磨子の実力は世界に認められ、ロシアなどの海外遠征も行っていた。

2度の離婚や美容整形、島村抱月とのスキャンダルなど、世間からは批判を浴びることも多かった須磨子であるが、自分が正しいと思った道を自ら勝ち取り、そして誰がなんど言おうとも自分の信じる道を進み続けた彼女の人生に、惜しみない称賛を送りたいと思う。

 

 

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アオノハナ

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歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

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