神話、伝説

「虫歯は“神が許した虫”だった?」知られざる古代の虫歯伝説

画像 : 18世紀頃に描かれた虫歯のイラスト public domain

虫歯は人類にとって、最も身近な病気の一つである。

現代日本において、歯科医院の数は約68000件ほどもあるといわれており、我々はコンビニを利用する感覚で手軽に歯医者に掛かることができる。

だが、古代において虫歯はほぼ不治の病であり、罹患したが最後、抜歯する以外に治療の術はなく、放置すれば命に関わることさえある恐ろしい疾患であった。

それゆえ虫歯は、時に人知を超えた存在として語られ、世界各地でさまざまな伝説が生まれていった。

今回は、そういった虫歯にまつわる物語について、いくつか紹介したい。

古代メソポタミア文明の虫歯伝説

画像 : ナイフを持っている太陽神シャマシュ。肩から水を流している水神エア public domain

紀元前7世紀頃のメソポタミア文明において、虫歯は文字通り「」が引き起こす病気だと考えられていた。

当時の粘土板には、虫歯にまつわる興味深い神話が記されている。

(意訳・要約)

メソポタミア神話の最高神アヌは、最初に天空を創造した。
天空は大地を、大地は川を、川は運河を、そして運河は沼を生み出した。

その沼から、やがて「虫」が生まれた。だがその虫は、どこか悲しげな様子であった。

虫は、太陽神シャマシュと水神エアの前に現れ、涙ながらに訴えた。
「神よ、私に食べ物と飲み物を与えてください!」

シャマシュとエアは「では、熟したイチジクとアンズを授けよう」と答える。
だが虫は「そんなものはいらぬ」と駄々をこねた。

「私を沼から引き上げ、人間の歯と歯茎の間に住まわせよ。
歯の血と歯茎の根こそ、私にふさわしい食べ物だ」などと口走った。

シャマシュとエアはこの願いを容認し、それ以来、人間は虫歯に苦しむようになった。

なぜこの虫は、わざわざ人間の歯に住みたがり、神々はそれを許したのだろうか。

その理不尽さは、神話とはいえ理解しがたいものがある。

聖アポロニア

画像 : 『聖アポロニア』フランシスコ・デ・スルバラン作 public domain

聖アポロニア(?~249年)という、キリスト教の聖人をご存知だろうか。

彼女の生涯は、イタリアの作家ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃~1298年)の著作『黄金伝説』に詳しい。

ローマ帝国皇帝デキウス(201~251年)は、キリスト教への激しい迫害を行った人物として知られている。
デキウスは250年に帝国全土の住民に対し、ローマ土着の神々を信仰することを強制する勅令を下した。

当時、帝国の支配下にあったエジプトのアレクサンドリアには多数のキリスト教徒が暮らしており、アポロニアもその一人であったとされる。

勅令後、アレクサンドリアのキリスト教徒は次々と捕縛され、改宗を行わない者は拷問・処刑の憂き目にあった。
アポロニアもこれに巻き込まれ、歯を全て引き抜かれるという、むごたらしい仕打ちを受けた。

暴徒たちは彼女へ「信仰を捨てなければ、火あぶりにしてやる」と脅した。

しかし、敬虔なアポロニアは信仰を貫き通すため、自ら火の中に飛び込み、壮絶な最期を遂げたと伝えられている。

歯を全て破壊されたという伝承から、アポロニアは「歯にまつわる守護者」として敬われるようになった。

毎年2月9日は「アポロニアの祝日」と定められ、歯痛に悩む者たちが祈りを捧げるという。

アンデルセンの童話

画像 : アンデルセン童話集より「歯痛おばさん」挿絵 ハンス・テグナー作 public domain

デンマークを代表する童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805〜1875年)の作品には、虫歯を題材とした幻想的な短編が存在する。

ここでは、その一編『Tante Tandpine(歯痛おばさん)』を紹介しよう。

(意訳・要約)

『Tante Tandpine(歯痛おばさん)』

※これは、ゴミ箱の中から見つかった、最近亡くなった学生の手記という体裁をとっている。

叔母は、私に会うたびにお菓子をくれる優しい人で、詩人を志す私を応援してくれている。
ただし、ひどい虫歯に悩まされており、周囲からは「歯痛おばさん」とあだ名されているらしい。

私は最近、騒音の激しい古びた家に引っ越したが、ここでの生活は意外にも快適で、詩作の意欲も湧いていた。

ある冬の日、猛吹雪のために叔母が帰れなくなり、一晩泊めることになった。
叔母はすぐに眠りについたが、私は風と家鳴りの音で寝つけずにいた。

そのとき突然、歯痛を司る魔女が現れ、「詩を書くのをやめろ。さもなくば歯に激痛を与える」と脅してきた。
私は恐怖のあまり、「もう詩は書きません」と叫んでしまい、その直後、激しい歯の痛みとともに意識を失った。

翌朝、叔母は「天使のように眠っていたわ」と微笑んだ。

あの魔女の正体は、果たして叔母だったのだろうか。
この出来事について私は、詩ではなく散文として書き留めておく。
もちろん、世に出すつもりはない。

このように虫歯の痛みは、神話や信仰、伝承の形をとって語り継がれてきた。

そこに宿る物語は、今もなお私たちの想像力の奥底で疼いている。

参考 : 『古代オリエント集』『黄金伝説』『アンデルセン童話集』

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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