この世界に人種は様々です。「我々日本人と外国人」との違いといった本は沢山あります。
違いを追い求め、人間をどこまでもさかのぼっていった最後の分かれ道、「ネアンデルタール人」と私たちの祖先について調べてみました。是非、お付き合いください。
ネアンデルタール人は私たちの直接の祖先ではない
まず、ネアンデルタール人を経由して私たちになったのではありません。
私たちは、私たちの種からできたのが私たちなのです。歴史認識のない50万年前にさかのぼっていきます。
地球には20種類以上の人類の仲間がいました。その中で最後に滅びたのが「ネアンデルタール人」。そして、1種類の私たちは生き延びることができました。人類学者は語ります。
「一般に信じられているのとは反対に歴史は繰り返さない。歴史は1回だけ起こり、ずっと辿っていく。2度とそこには帰らない。」
生き残った者だけを見れば、生命はたえず進化を続けてきたと考えてしまいがちになってしまいます。だが、地球誕生の物語には筋書きもなければ当然の成り行きもありませんでした。
それでは、何故、私たちは生き残ったのでしょうか?
これは、結論から言います。少しがっかりすると思いますが、まぐれで生き残りました。
大陸の移動、山脈の隆起、海岸線の後退、氷床の拡大。気候の変動といった環境の激変によって多くの種が死に絶え、その度に新しい種が生きる場所を獲得しました。種が滅びた瞬間に新しい種が生まれる。その1つである「ネアンデルタール人」は、ヨーロッパとアジアの地で30万年の間、命を繋ぎました。
私たちと「ネアンデルタール人」の出会い、誕生の軌跡
ネアンデルタール人との出会いは4万5千年前、色々な憶測はあります。が、私たちとは一度すれ違い一緒に住んでいたのです。
唐突ですが6500万年前、ユカタン半島にて小惑星の激突、恐竜絶滅までさかのぼります。この絶滅から生き残ってきた動物たちの中からやっと2300万年前に類人猿が出現します。
彼らはアフリカの大地で生まれた。そう、我々の故郷はアフリカなのです。その頃のアフリカは巨大な島でした。1900万年前、アラビアプレートとユーラシアプレートの激突。アフリカ、アラビア半島、ユーラシア大陸の島が際どく繋がります。その頃の地中海には、大きな穴が開いているだけの水の無い景色が広がっていました。
2000万年前、彼らは、ただの木の上で暮らす生活者でした。森の隅に生きる、牙も爪ももたない弱者としての存在で最適生息地の周辺に追いやられた敗者でした。
アフリカは豊かな森でした。しかし美味しい完熟した果実、木の実など実っている森の中心部には他の獣、牙や爪をもった生き物が占めていました。
絶望からの奇跡!
その頃、類人猿は強者から身を守るために木の上で生息していました。食べ物も完熟とは程遠い地面に落ちた他の獣が見向きもしない青い実と木の実を採る為、木の上と地上の往復を始めます。
落ちた物を拾う生活が彼らの股関節を柔らかくします。このことが後の環境変化に有利になっていくのです。その行為が人類全体の大きな希望を拾うという、弱者の生命力と生存率を増していきました。そして500年前、我々とチンパンジーが分岐しました。5万から7万5千頭ぐらいが生息したと推測されています。
その頃のアフリカの環境は、現在のサハラ砂漠には緑の大草原が広がり、1本の大きな川が流れていました。海には流れていなかったナイル河と湖の存在があり、地中海も海ではなく3000mほどのえぐられた深い峡谷でした。ゆっくりと海の水は増え始め、水と通じ地中海に向かって雫となって滴り始めました。そしてある瞬間に崩れ、大西洋側から水が流れ大きな滝となって現在の地中海が誕生したのです。地中海が出来た事によって気候が一変し、熱帯雨林に覆われたアフリカのサハラ一体がゆっくりと森が縮み草原から砂漠になっていきました。
この環境の激変により生息していた生物に食糧難という苦難が襲います。しかし、人類には準備は整っていました。そう、柔らかくなった股関節です。歩行の準備だけはしていた為、草原の移動が速くなりました。
そしてラミダス猿人という初期人類が440年前に出現。ここから人類の種が生まれ絶滅と進化が起こります。同じ時期、同じ地域に何種類もの種が存在していました。
アフリカに初期人類、ルーシーが見つかる事によって話題にもなりました。(CNNニュース)彼らは二足歩行で旅をする人類でしたが、まだ、私たちの先祖ではないのです。
ホモ・エレクトスとホモ・サピエンス
178万年前、私たちの元祖的な存在である「ホモ・エレクトス」が出現します。成人で身長は140~160ほどで現生人類よりも少し小柄で、脳の容量は現代人の75%ほどでした。
このホモ・エレクトスの亜種、または近縁種から私達の祖先でもあるホモ・サピエンスが登場します。ホモ・サピエンスには私たち現生人類の他にネアンデルタール人も含まれます。
ホモ・エレクトスは分離していったホモ・サピエンスとの生存競争に破れ絶滅します。ホモ・サピエンスとホモ・エレクトスが直接出会って争ったというわけではなく、道具を使うことに長けていたサピエンスが自然と生き残っていきました。
ホモ・サピエンスもいくつか種があり、その中でネアンデルタール人と現生人類の直接的な祖先(ホモ・サピエンス・サピエンス)は同じ時代を生き、交配もしていたようです。
超小型原人「フローレス原人」も存在
2003年、我々の仲間の骨がインドネシア・フローレス島で見つかりました。身長が1mほどしかなく「ホビット」と呼ばれています。
1万8千年前まで生きていた痕跡がありました(最新の研究では10万~6万年前とも)。(参考記事)
ファンタジーな話ですが邪馬台国(日本)について書かれた魏志倭人伝の中に侏儒国という小人ばかりの国が、邪馬台国の南にあると記述されています。
又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。
距離的には種子島が該当するので種子島説を主張する方も多いようですが、インドネシアも日本の南側ですので想像を膨らませてみるのも面白いかもしれませんね。
ホビットは童話や映画やゲームにも登場しています。様々なものに登場しているのを見ていますと、本当に人類の中で目撃した者がいたかもしれません。
最後に
4万5千年前、アフリカをでた現生人類は「ネアンデルタール人」と再会します。ポルトガルからアルタイ山脈、ユーラシア大陸で栄え、筋肉質で非常に体格の良いネアンデルタール人は何故、滅んでいったのでしょうか?
現生人類が滅ぼした説や、現生人類との交配、混血が進み種として消えてしまった説(現代人に遺伝子が数%残っている)が今は主流となっています。
彼らは主な食料であるマンモス、トナカイ、イノシシなどの大型の肉を捕獲できるほどの体力、体格を備えていました。埋葬の文化があり言葉も持っていて、仲間意識も彼らにはあったとされます。知能もホモ・サピエンスより優れていた可能性もあり人類種のなかでも完成された種であったはずです。
滅びの理由として一つあげるのであれば、個体として完成されすぎていたのではないのでしょうか?飛び道具の痕跡はなくマンモスの対抗も接近戦であったと考えらます。まさに、ハイリスク・ハイリターンです。
私たちの祖先は弱さ故に生き残るための知恵、「集団」、「言葉」、「道具」などを発達させていきました。コミュニケーションを主とした集団による力です。ネアンデルタール人は個として完成されすぎたため滅びの道を辿って行ったのかもしれません。
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