中国の処刑や拷問は、他国に類を見ないほどの残酷な行為を行ってきた歴史がある。
その背景には、他の一族をいかなる方法をとっても滅ぼしてしまわなければ、自分の一族が滅ぼされてしまうといった過酷な歴史があった。
中国は歴史の中で幾度となく支配している民族が入れ替わり、そのたびに国や社会基盤も大きく変わっている。
代表的な民族と国は
・漢民族の漢
・騎馬民族の元
・満州人の清
などである。
彼らは敵対する民族を根絶やしにし、意にそぐわない政敵は残酷な方法を用いて苦痛を味合わせてきたのである。
今回は中国で本当に行われてきた残酷な処刑、拷問方法を調べてみた。
中国の処刑、拷問方法
鴆毒(ちんどく)
鴆毒とは毒殺の事で、毒殺は世界各国で暗殺に用いられてきたポピュラーな方法である。
中国の鴆毒と言う処刑方法は「鴆(ちん)」と呼ばれる伝説上の鳥から抽出した毒を用いる方法であるが、鴆が本当に存在したのか定かではない。
鳥類の中で毒を生成する鳥は少なく、現在パプアニューギニアの「ピトフーイ」という鳥が確認されていて世界中で6種類いるようだが、鴆とされる鳥は発見されていない。
実際は、様々な毒物を混合した物を焼いて立ち上る煙を鶏の羽根に燻らし、毒素を羽根に染み込ませ、その羽根を酒に浸しておくと完成する毒薬の「鴆酒(ちんしゅ)」を使っていた。
毒殺は意外と相手を暗殺するのが難しい方法であり、映画やドラマのワンシーンでよく見る「臭いで気づく」「少しの飲み物や食べ物の味の異変に気付く」といった事で対象者に気付かれてしまう事も実際にあり、対象者によって有効な致死量も違う(身長、体重によって致死量が変わる)ので未遂で終わる事も多かったようだ。
炮烙(ほうらく)
炮烙は、油に浸した銅製の丸太を火で炙り続け、その上を罪人に裸足で歩かせて処刑する方法である。渡りきれば免罪、釈放するという名目であった。
罪人は熱さに絶えながら必死になって丸太を渡ろうとするが、油で足を滑らし身体中を焼く事になってしまう。
銅製の柱に罪人を縛り付けて熱する方法もあったようだ。
この処刑方法は殷の「紂王」と妃の「妲己」によって娯楽目的で行われたと封神演義の中に記述があり、この光景を見た2人は抱き合いながら笑い転げたと言われている。
後に、あまりの残酷さから周の「文王」が廃止させている。
腰斬(ようざん)
腰斬は殷の時代から用いられており、読んで字のごとく罪人を腰の部分から巨大な刃物で少しずつ切断する処刑方法である。
処刑用の台に腹ばいに寝かせられた罪人を巨大な斧の様なもので腰の部分から切断していく。切断されても即死することはなく恐ろしい激痛が10分から数十分続き、その後出血多量により罪人は死亡する。
激しい激痛を伴う処刑であった事から、主に重罪人に用いられた。
この処刑方法は、清の時代(1734年)の「雍正帝」が残酷な処刑方法として廃止にしているが、20世紀の「国共内戦(中華民国と中国共産党による内戦)」時も用いられ、中華民国の革命家・劉胡蘭はこの方法によって処刑されている。
宮刑(きゅうけい)
宮刑は、男性の性器を切断する刑罰であり、子孫を残すことが出来なくなることから血統や家系を重視する中国の文化においては大変厳しい刑であった。
そのため宮刑は死刑に次ぐ刑として位置づけられている。
宮刑に処されたものは宮廷で王族の世話役や側近になることがあり、そのような人達のことを「宦官(かんがん)」と呼ぶ。
宦官は非常に重宝されていたようで、理由は性器を失った事によって男性としての性欲がなくなり宮廷の人間との性的問題がなくなる事が大きかったようである。
宦官になった人の特徴として「体つきの女性化、髭が生えなくなる、声が高くなる」などがある。
元々は刑罰であったが、宦官になることは一般庶民が出世する数少ない方法のひとつとなり、自ら宮刑を申し出たり性器を切り落とす者まで現れたという。
歴史書「史記」で有名な「司馬遷」は、匈奴(北方の騎馬民族)との戦争に敗戦した武将「李陵」が処罰される際、彼をかばった。
後に李陵が匈奴の兵を訓練しているという誤報が流れ、過去に李陵をかばったことが原因で司馬遷は「宮刑」に処されている。
凌遅(りょうち)
凌遅刑は、中国の歴史上において最も残酷な処刑方法として世界に知れ渡っている。
五代十国時代に法制化され、中国では最も重い刑罰であった。
罪人は手足を拘束され身動きが取れない状態にされる。そして刃物で罪人の皮膚を薄くそぎ落としていき、皮、肉、骨まで達することもあったようだ。
薄くそぎ落としていく事によって、長時間苦痛を味合わせていく。
この時代は、漢民族以外の少数民族が中国を支配しており、少数派が多数派の国を治めるために恐ろしい刑罰が必要であった。
そぎ落とした肉は、漢方薬として世の中に出回ることもあったようだ。
1905年に公式に廃止されたが、チベット地方で1910年頃まで行われていたという記録もある。
水拷問
水拷問は、中国の拷問方法の中で少し特殊な方法である。
これは対象者の額に水滴をたらし続けるという拷問で、一見こんな方法が拷問なのかと思うかもしれないが、不規則に滴り落ちてくる水滴を額に浴び続けることにより、徐々に精神に異常をきたし、最後は発狂してしまうという。
最後に
中国の拷問は、特に古代の時代と異民族が支配しだした10世紀以降が最も激しかったようだ。
日本人には民族の意識があまりない。それは日本が単一民族で長らく構成された国家であり、日本人は同じ血が流れているというアイデンティティを持っているからである。
中国は異民族との戦いの歴史であったことから「異民族=違う生き物」のような感覚があったのであろう。
「やらなければやられる」というのが大陸国家の基本であり、日本人はその意味では幸運な民族だったのかも知れない。
やばい拷問ですね・・・
やばい拷問ですね・・・
とても怖いです。
面白いですね、、
何!
怖っ
中国ってえぐ、、
中国怖すぎ、、
中国怖すぎる
でも天安門事件で発狂するのおもしろいよなw