中国史

古代中国の美人メイクとは 「地雷メイク、美白、フェイクエクボが流行った」

中国人の化粧

TikTokなどで、中国人の女性が素顔からメイクする過程を撮影した動画をよく見かける。
一見ぱっとしない素顔が整形並みに美しくなり、もはや原型を留めていないほどである。

特に中国の化粧・加工の技術が素晴らしいと感じるのはウェディングフォトである。

筆者の中国人の友人の1人は、服装はカジュアルで髪も短髪、メガネをかけて腫れぼったい一重で肌のお手入れもほとんどせずボーイッシュなイメージだった。

そんな彼女が結婚したというので写真を見せてもらうと、それはもはや誰かわからないほどの化粧・加工ぶりであった。

中国古代の化粧とは

日本でも平安時代の女性のメイクは「顔を白く塗って、ちょこんと書いた眉と口」のようにとても特徴的である。

「美」の感覚が現代とここまで違っていたのか?と気付かされる。

平安時代の美人は顔が大きくてのっぺりしていた。

中国の古代劇などを見ていると、派手な衣装に派手なメイクで美しい女性たちが沢山登場するが、実際はどうだったのだろうか?

今回は中国の「中國妝容之美 (中国の美)」という本を参照してみてみようと思う。

古代中国の美人メイクとは

画像 : 中國妝容之美 ※博客來

この本では、古代の女性の化粧が取り上げられ、現代のメークアップアーティストにより古代のメイクが再現されている。

そのあまりの美しさには目を奪われる。

古代中国の美人メイクとは

画像 : 再現された古代メイク ※中國妝容之美

まず、古代中国のどの時代も女性たちは「以白为美」と言って白い肌を好んだ。

男性も白い肌の女性を好んだという。

漢代の女性は特別に白い肌を好み、眉は真っ直ぐ平で細く曲がっていた。漢民族文化は厳かな優雅な雰囲気のものが好まれた。

唐朝になると「開放の時代」と呼ばれ、さまざまな方面で文化が発展した。日本も遣唐使を派遣し、文化的交流を行なったことは有名である。

時代背景と合わせて女性の化粧も新しいものが取り入れられた。

女性は額に小さな花を描くか小さな飾りをつけた。そしてチークをいれ、唇の両端に小さな点を描き「フェイクえくぼ」を作ったのである。

そして唐朝が最も栄えた時代には強烈な化粧が流行り、口紅で顔に色々な化粧を施したという。

古代中国の美人メイクとは

イメージ画像 : 唐朝時代のメイク

有名な詩人・李白は言った。

女性が笑うと、その顔はまるで赤い玉盤のようだ」※玉盤は翡翠を使った皿のこと

チベットからやってきた「血暈メイク」も流行ったという。現代でいうところ地雷メイクといったところか。引っ掻き傷のように目の上下にいくつものラインを入れ、舞台メイクのようだった。

そして唐の後期になると、顔の上につける装飾品はますます多くなった。

昆虫の羽根や羽毛、宝石を顔にあしらい始めてますます派手になっていった。
文化発展の時代ということもあって、少数民族や外国文化の影響を受けたメイクが流行ったのである。

最後に興味深い記述があった。現代のメイクと古代のメイクでは大きな違いがあるという。

現代は目を強調し、大きく見せるために様々な工夫を凝らす。

画像 : 壁画の東方美人

ところが古代のメイクは、大袈裟に目を誇張することはなかったという。

口紅を使うことは好んだが、真ん中にちょこんと描いて唇を表現する「唇珠」というメイクだったり、唇の内側にほんのり口紅をいれ、まるで唇を噛んで流血したように見せる「咬唇粧」というメイクだった。

主張しすぎないメイクは、東方美人の原点なのかもしれない。

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 古代人はどうやってお尻を拭いていたのか? 【古代中国のトイレ事情…
  2. 【砂漠に眠る絶世の美女】3800年前のミイラ「楼蘭美女」が語る消…
  3. 毛沢東 〜中華統一の英雄にして最悪の独裁者
  4. 兵馬俑は生きた人を使って作ったのか? 「始皇帝の陸墓」
  5. 赤壁の戦いについてわかりやすくまとめてみた
  6. 中国史上唯一の女帝・則天武后はなぜ女帝になれたのか?
  7. 皇帝の生活は楽じゃなかった? 皇帝の1日について調べてみた
  8. 中国が歴史上行った残酷な処刑、拷問方法

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

日本の混浴文化が消えたのは、幕末に外国人がジロジロ見たせいだった 【若い娘以外は醜い】

日本の公衆浴場は混浴で、浴場から帰る時は男も女も素っ裸で歩いている。これは、幕末期に日本を訪…

立花宗茂【秀吉に絶賛された西の最強武将】

立花宗茂の生い立ち立花宗茂(たちばなむねしげ)は、永禄10年(1567年)8月に豊後の大友氏…

鬼平・長谷川平蔵はなぜ悪党の検挙率が高かったのか?【火付盗賊改方】

鬼平(おにへい)こと長谷川平蔵(はせがわへいぞう)は、作家・池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」により一躍…

最高神ゼウスの兄弟関係について調べてみた《ギリシャ神話》

ゼウスとはゼウスといえば、ギリシャ神話の中で最高神とあがめられる、全知全能の神である。全…

「明治維新を陰で支えた死の商人」 トーマス・グラバー

討幕へ貢献した トーマス・グラバー明治維新の功労者と言えば、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝…

アーカイブ

PAGE TOP