清朝時代の宮廷
中国の清朝時代、皇帝が暮らす華やかな宮廷には多くの女性や宦官が仕えていた。
女性たちは皇后の座を狙い、他人を蹴落とすなど策を講じた。
もし成功すれば皇帝の子供を産み皇后の座を手に入れることができる。だが失敗すれば、失脚し皇帝の寵愛を受けることもなく、宮廷内で一生を終える。
それならまだ良いが、もし皇帝や皇后の怒りを買ってしまったら処罰され、命を落とすことになる。
宮廷内では血を流すことは不敬とされていたので、血を流さずに苦痛を与える刑罰が考案された。それは刑罰という名の拷問で、罪人をとことんまで追い詰めて死なせるものだった。
桶刑
桶刑と呼ばれたその酷刑は、肉体的にも精神的にも罪人を痛めつけるものだった。
起源は古代ローマにあると言われる。
桶の中に(罪人の体の大きさに適したもの)入れられて、頭だけ出した状態で座らされる。
もちろん鎖をつけられ、逃げられない状態である。
この刑の恐ろしいところはここからだ。
身動きできない状態で放置されるのではなく、罪人たちは正常に食事を与えられ、飲み物も提供される。だが身動きできないため排泄物は桶の中にするしかない。長い時間その状態でどんどん排泄物が蓄積していくと、どうなるだろうか?
蛆虫がわいてくるのはもちろん細菌もどんどん増えてくる。最後には自分の排泄物で体全体が浸かってしまうのだ。そうなると激しい悪臭の中で細菌に感染して命を落とすという。
時には罪人の顔に甘いものを塗って、蜂や昆虫などをおびき寄せて、罪人を精神的にもとことん苦しめた。
宮女の為に作られた酷刑
次は宮女の誰もが恐れ、執行されると聞くと多くは自殺したという一つの刑罰を紹介しよう。あまりにも残酷なため、生きてそれを受けるよりは、先に死んだ方がマシだという。
それは「墩鎖刑」と呼ばれた。中国語で「墩 : とん」とは、分厚い石や木を表す。
まず分厚い木で作られた、人が1人ギリギリ入ることのできる箱が用意される。
その箱には四つの穴が開けられていて、手足と頭を出すことができる。出した状態で鎖をつけられ自由を奪われる。ただし罪人は外から与えられれば、食べたり飲んだりできる。
箱の中では立つことはもちろん、体を動かすことすらできない。体を縮めた状態で中へ入れられる。
呼吸するのも困難で、排泄も正常に行うことはできない。
鎖で繋がれているため、正常な血の循環も行われず体の各部が麻痺してくる。徐々に体の各部が腐敗し、最終的には死に至る。
身動きが取れず無力な罪人は、体の機能が一つづつ衰えていくのをじわりじわりと体感していくのである。
全く希望のない中で食べ物や飲み物を与えられたところで、なんの意味があろうか。
おそらく最後まで精神を正常に保つことなどできなかったであろう。
人権などの概念がなかった時代。原始的な封建社会においては女性の罪人はこのような扱いを受けていた。
これも歴史の事実である。
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