中国史

秦の中国統一を数百年早めた名将・蒙恬 【漫画・キングダム】

蒙恬の魅力

秦の中国統一を数百年早めた名将・蒙恬

画像:蒙恬 public domain

紀元前221年、は550年に及ぶ戦乱を終わらせ、中華統一を果たします。

ある歴史学者が、秦の中華統一に関して面白い主張をしています。

歴史が順当に進んでいたならば、中華統一は紀元0年から200年の間に起きるはずであった

というものです。

つまり秦は「歴史のスケジュール」より200年から400年早く、中華統一を実現したことになります。

その理由は一体何でしょうか。様々な要素があると思いますが、その一つに優秀な人材が秦には溢れていたことが挙げられるでしょう。

今回の記事では、中華統一を成し遂げた秦の優秀な人材の中から、蒙恬(もうてん)を取り上げたいと思います。

秦国王である嬴政(のちの始皇帝)に仕えた蒙恬は、中華統一に貢献した将軍の一人です。さらには中華統一後、北方の遊牧民である匈奴を討伐し、万里の長城の築城を指揮しました。

しかし始皇帝の死後は、秦国の権力闘争に巻き込まれて自殺してしまう、という悲しい末路をたどります。

漫画『キングダム』では、大将軍を目指す主人公・(李信)のライバルとして登場。感情的な信の性格とは正反対で、戦況を冷静に捉えて戦に勝ち進んでいく姿は、多くの読者に人気があるキャラクターです。

蒙恬の生い立ち

蒙恬が活躍した時代は、古代中国の春秋戦国時代になります。
この時の中国は、戦国の七雄(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)と呼ばれる7カ国が、中国の覇権をめぐって争っていました。

紀元前250年頃、蒙恬は武将として名高い名家(蒙氏)に生まれました。蒙氏の起源は斉ですが、祖父である蒙驁(もうごう)の時代に、秦国に移り住みました。父は蒙武といい、やはり秦の将軍として活躍した人物です。

蒙恬は学識が高く、最初は文官(官僚)として秦に就職し、訴訟や裁判の仕事に携わっていました。

漫画『キングダム』では豪快な父・蒙武とは異なり、知的な雰囲気を醸し出していますが、そもそも官僚だったという経歴が本作にも影響しているかもしれません。

秦の中国統一を数百年早めた名将・蒙恬

画像:蒙恬の父である蒙武 public domain

蒙恬の活躍

官僚として秦で働いていた蒙恬ですが、その後、父である蒙武と同じように将軍としての道を進んでいくことになります。

紀元前225年、蒙恬は李信の副将として楚を攻めました(城父の戦い)。

このとき秦は戦国の七雄である7カ国の内、3か国(韓→趙→魏)を滅ぼしており、残りは3か国(楚、燕、斉)でした。

楚との戦いにおいて、最初は連戦連勝でしたが、楚の奇襲に合い、大敗をしてしまいました。

その翌年(紀元前224年)、同じく秦の将軍・王翦と父・蒙武が60万もの大軍を率いて、楚を滅亡させています。

城父の戦いで大敗を喫した蒙恬ですが、本来ならば責任を取らされ、命を失ってもおかしくありませんでした。

しかし紀元前221年、嬴政は再び蒙恬にチャンスを与えます。

嬴政は、斉の討伐メンバーに李信と共に蒙恬も加えたのです。この抜擢に見事に応えて、蒙恬は斉を討ち滅ぼし、中華統一を成し遂げました。

中華統一後、蒙恬は北方の領土の防衛を任されることになります。紀元前215年、30万もの大軍で、遊牧民の匈奴を攻め、北に追いやっています。

その後、匈奴の侵入を防ぐために「万里の長城」を建てて、始皇帝も大いに評価しました。この時期、始皇帝の長男である扶蘇も蒙恬に合流し、共に匈奴の防衛に当たりました。

蒙恬の末路

秦の中国統一を数百年早めた名将・蒙恬

画像 : 始皇帝像 publicdomain

紀元前210年、始皇帝(嬴政)は死去します。

これを受けて始皇帝の部下であった趙高李斯の二人は共謀して、始皇帝の末子・胡亥を皇帝に即位させます。即位の時、胡亥はまだ21歳だったので、実際は趙高・李斯の操り人形でした。

趙高・李斯は自らの権力を固めるため、有力者たちを排除しようとします。趙高は始皇帝の文書を改ざんし、扶蘇と蒙恬に自殺するように命じました。

これを受けて、扶蘇は抵抗せずに自殺してしまいました。

蒙恬は監獄に閉じ込められ、拷問を受けています。そして、2代目の皇帝・胡亥からも自殺を促す命令が届きました。

蒙恬はこう言ったそうです。

何も悪いことはしていないし、何の過ちも犯していない。なのに、なぜ死ななければならないのか

始皇帝が死んだ同じ年(紀元前210年)、蒙恬は毒を飲んで自殺しました。40歳あたりだったと推定されます。若すぎる死でした。

蒙恬の死後、弟である蒙毅も趙高によって殺害され、蒙氏一族は皆殺しにされました。

このように中華統一後、そして始皇帝亡きあとの秦は、醜い権力闘争に溺れてしまいました。

そして紀元前206年、秦は首都の咸陽を攻められ、滅亡しました。

秦の中国統一を数百年早めた名将・蒙恬

画像:蒙恬の墓 public domain

蒙恬のエピソード(本来だったら、処刑?)

楚の戦い(城父の戦い)で蒙恬は大敗を喫したことは先ほど確認しました。本来であれば、蒙恬は粛清によって命を失ってもおかしくありませんでした。しかし嬴政は斉の討伐メンバーに蒙恬を抜擢し、チャンスを与えました。

こうした流れを見ると、嬴政(始皇帝)は蒙恬を高く評価していたことが分かります。そして蒙恬は、嬴政に恩義を感じてか、中華統一後も匈奴を打ち負かして万里の長城を作るなど、始皇帝(嬴政)のために働きました。

もし紀元前210年に、始皇帝が死ななければ、蒙恬も自殺に追い込まれることはなかったはずです。そうなっていれば、中国の歴史はまた大きく変わっていたかもしれません。

「万里の長城」の是非

画像:万里の長城 public domain

『史記』を書いた司馬遷は、蒙恬が築城した万里の長城をあまり評価していません。

司馬遷の主張をまとめてみます。

「万里の長城は、山を崩し、谷を埋めて、道路を切り開いた。本当に労力が必要とされる仕事で、蒙恬はこの仕事を民に押し付け、酷使させた。まだ中華統一からそれほど時間は経っておらず、社会はまだ不安定で、民は疲れていた」

「蒙恬はこうした民の心を理解するべきだった。そして自分たちの社会を安定させることを優先すべきあると、始皇帝に進言すべきであった」

蒙恬は自殺する直前、なぜ自分が死ななければならないのか、と嘆いたそうですが、最後にはこのようにも言っていたそうです。

「もしかしたら、私は死に値するかもしれない。(万里の)長城を築いたときに、多くの民が酷使され、犠牲になった。そのバチがあたったのだろう」

補足になりますが、『史記』を書いた司馬遷は、前漢の3代目皇帝である武帝に仕えています。前漢は秦滅亡の後、再び中国を統一した王朝です。そのため、この書物の目的は武帝、そして前漢の功績を讃えることです。

つまり『史記』の主張はこうなります。

「以前の秦は間違った政治をしたから滅んだ。だから前漢が中国を再統一し、正しい政治を行っているのだ」

こうした背景があるため、『史記』は前漢以前の人物や政治を悪く言う傾向があることは押さえていた方が良いと思います。

さいごに

以上、蒙恬の人生を振り返ってきました。

派手なエピソードがない蒙恬ですが、持ち前の知性を活かし、堅実に成果をあげていった将軍です。

楚の戦いで大敗したときは嬴政(始皇帝)に救われ、嬴政のために一生懸命に仕事をしました。

しかし、その末路は悲しい結末でした。

万里の長城を作ったとき、始皇帝を喜ばすことを優先させてしまった結果、民の心を蔑ろにしてしまったことが原因かもしれません。

(参考文献)渡邉義浩(2019)『始皇帝 中華統一の思想 「キングダム」で解く中華大陸の謎』集英社

 

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村上俊樹

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