三星堆遺跡と黄金
1986年に、中国の四川省三星堆で発見された三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、未だに解明されない謎が数多くあることから、多くの歴史ファンの好奇心をくすぐっている。
これまでにも本サイトでは三星堆遺跡の謎の出土品について、いくつか解説してきた。
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三星堆遺跡の出土品の多くは青銅器であるが、黄金の物品も数多く出土している。
今回はその中でも貴重な出土品である「金杖」について解説しよう。
三星堆遺跡 黄金杖とは
この「黄金の杖」も、中国政府によって国外に持ち出し禁止の「国家一級文物」に指定されている。
1986年の発掘調査の際に発掘され、年代は西暦前4000年から西暦前3600年であると推定されている。
長さは1.42メートルで重さは500グラムで、木の杖に7ミリの厚さの純金の装飾が施されている。出土した時点で中の木はすでに腐って炭化していた。
この黄金の杖は歴史的価値もさることながら、その高い技術も注目されている。
三星堆遺跡で発見された黄金の物品の素晴らしい点は、黄金が非常に薄く加工されているということだ。この時代にこれほど薄く黄金を加工できる技術があったことが非常に驚くべきことなのである。しかもその薄く加工した黄金の上には、図案が非常に細かく彫られている。
この黄金を薄く作る手法は三星堆文化の独特なもので、漆木器や青銅器などが薄い黄金で包まれて装飾品として仕上げられている。この手法は商王朝時代の影響を受けたと考えられている。
通常、遺跡で黄金の物品といえば、人が身につける装飾品が連想される。これほどの技術を持っていた三星堆文化であれば、製作はお手のものだったはずだ。
ところが耳輪や首飾りなど、人が身につける黄金の装飾品は出土していないのである。
金杖の図案
金杖の上部46センチあたりから、非常に興味深い図案が刻まれている。
図案は大まかに分けて三つの部分に分かれている。
一番下の部分には二人の人間が彫られており、王冠をかぶっている。その耳は大きく垂れて耳飾りをつけており、少し吊り上がった目は大きく見開いている。この人物は特別な身分だったことが窺い知れる。
その上の2つの部分は同じ図案である。
合計4匹の魚と4匹の鳥が彫られている。魚の目のあたりから突き出た槍は鳥を貫いている様に見えるが、その鳥は鷹だと推測されている。
そして、魚と鳥というモチーフから、一人の人物が浮かび上がったのだ。
図案の意味するところとは?
三星堆遺跡から出土した「金杖」は、宗教や政治の権力を意味しており、杖の主人は大きな権力を持っていた人物に違いない。
そして研究の結果、古蜀国第三代王と言われる「魚鳧(魚鷹)」が、この金杖に関係のある人物であったと推定されている。
※古蜀とは古代の蜀のことであり、詳しくは以下参照
古蜀の最初の王は「目が縦」だった?
https://kusanomido.com/study/history/chinese/77475/#i-2
興味深いことに、この魚と鳥、そして矢の図案は四川省成都の金沙遺跡の出土品にもみられる。この魚と鳥は庶民が用いた図案ではないそうだ。一つの民族や国家のシンボルとして用いられたという。日本でいうところの家紋のような物かもしれない。
この金杖には、魚と鳥のモチーフの図案が2回彫られているということから、二つの社会的なグループを意味していたのではないかとされている。
三星堆遺跡で発掘された黄金の杖は、その技術の素晴らしさだけでなく様々なメッセージを現代へ届けてくれている。
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