中国史

【最も美しい死刑囚】20歳で処刑された中国少女「陶靜」が選んだ愛と死

中国における死刑

イメージ

犯罪や薬物問題は長年にわたって社会の深刻な課題であり、現在も変わらず大きな影響を及ぼしている。

日本でも薬物の問題は根強く、逮捕者が後を絶たない状況が続いている。

一方、中国では薬物犯罪に対する処罰が非常に厳しく、特に麻薬の密売には死刑が適用されることが多い。これは、アヘン戦争を経験した歴史的背景から、薬物に対する強い警戒心が社会に根付いているためである。

今回紹介するのは、そんな厳しい状況の中で「最も美しい死刑囚」として知られる陶靜(タオ・ジン)の事件である。

波乱の青春期

画像 : 陶靜(タオ・ジン)の最後の食事 flickr ©All rights reserved

陶靜(タオ・ジン)は1971年、雲南省徳紅台金浦族自治州瑞麗県に生まれた。

家庭は決して裕福ではなく、両親は不仲で絶えず喧嘩が繰り返され、幼い彼女は愛情を受ける機会が少なかった。
心の安らぎを得られなかった彼女は、次第に自立心が強まり、反抗的な一面を見せるようになっていった。

思春期を迎えると、陶靜はその美しい容姿で学校中の注目を集めるようになった。
学業においても決して成績が悪かったわけではなく、クラスでも上位に入るほど優秀だったという。

高校2年生の時、彼女はクラスメイトとの恋愛に夢中になり、関係は次第に深まっていった。
当時の彼女の地元では若い恋愛が一般的であり、17、18歳で結婚することも珍しくなかったため、陶靜も恋人と将来を考えていた。

しかし、この関係は学業に影響を及ぼし、大学受験に失敗する結果となった。

陶靜はそれでも彼氏と一緒に新しい生活を始めようと決意していたが、突然の別れが訪れる。
彼氏は音信不通になり、後日届いた手紙には大学に進学できなかったことへの失望が書かれていた。

彼との別れによって、陶靜は深い心の傷を負うことになった。

美容院の経営と乱れた生活

失意の中で高校を卒業した陶靜は、一部の報道によれば兄夫婦の援助を受け、小さな美容院を開業したという。

若く美しい彼女は注目を集め、多くの男性が彼女の店を訪れた。
しかし、彼女の生活も少しずつ乱れていった。

喫煙や飲酒に加え、怪しげな人物たちとの交友関係も増えていった。そして、彼女の運命を大きく変えることになる出会いが訪れる。

(ヤン)という麻薬密売人が、彼女に近づいてきたのである。

運命を変えた楊との出会い

画像 : イメージ

楊は、甘い言葉で魅了し、徐々に陶靜の心を掴んでいった。

幼少期からの愛情不足や失恋の痛手から、彼女は楊に対して強い依存心を抱くようになり、次第に「彼のためなら、どんなことでもする」と思うようになっていった。

しかし楊は、彼女を麻薬密輸の道具として利用するつもりであった。

まず楊は、陶靜が妊娠しないように病院で避妊リングを装着させた。それは、下半身に薬物を隠して運ばせる目的もあった。

そして、彼女自身も薬物の虜になっていったのだった。

犯行におよんだ陶靜

陶靜が初めて麻薬密輸を試みたのは、イミグレーションを通過しようとしたときだった。

体内に隠された薬物は484.2グラムという大量のもので、緊張のあまり挙動が不自然になったため、警察に目をつけられたのだ。
その結果、彼女はあっけなく逮捕され、取り調べを受けることになった。

警察は初犯であることを考慮し「共犯者を明かせば、刑が軽減される可能性がある」と伝えたが、陶靜は楊との約束を守り、口を開くことはなかった。

彼女は自分の命よりも愛情を優先し、愛する男性の名前を決して明かさなかったのだ。

そして、裁判の結果、死刑判決が言い渡された。

死刑執行前の最後の願い

画像 : 运输毒品犯 陶静 flickr ©All rights reserved

死刑執行が迫る中、陶靜は警察から最後の望みを尋ねられた。

そこで彼女は、驚くべき願いを伝えた。

「体内の避妊リングを取り除いて、清らかな体で最期を迎えたい」

この願いは異例のものであったが、聞き入れられ、彼女の願いどおりの処置が行われた。

死刑執行の日、家族たちと最後の面会の機会があった。
陶靜は、泣いている兄に「泣かないで」と告げたが、年老いた母の姿を見るとついに感情を抑えきれず、嗚咽を漏らして崩れ落ちた。

そして、20歳の若さで彼女の命は銃声と共に絶たれた。

彼女は母親へのメッセージを遺し、「親愛なるお母さん」と書かれたメモが最後の言葉となったのだった。

教訓として語り継がれる物語

陶靜の事件は、中国の厳しい麻薬取締りの現実を浮き彫りにし、愛情に盲目となった若者が選んだ道がいかに危険かを教えている。

彼女が命を賭して守ろうとした愛情は、果たして価値のあるものだったのだろうか。

その問いは、今も多くの人々の心に残り語り継がれている。これは美談ではなく、人生の選択における慎重さを教えるための教訓とも言えよう。

参考 : 『史上最美女毒犯20岁被处决 老黄说史』『陶静 抖音百科』
文 / 草の実堂編集部

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 10月 27日 11:44am

    死刑のハードルが低い分麻薬関連の犯罪を隠蔽する為の殺人が増えそうで死刑適用には慎重にならざるを得ない、薬物関係の殺人事件も発生しているのも事実ではあるのだが…。

    1
    0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 『アメリカの殺人老婆』 ドロシア・プエンテ 「デスハウス(死の館…
  2. 【伊達家の謎】美しく聡明だった五郎八姫が再婚しなかった衝撃の理由…
  3. 古代中国の信じられない「母乳料理」とは 【湖南省では今も食べられ…
  4. 【昭和聖代の大不祥事件】 桐生火葬場事件 ~100人以上の遺体の…
  5. 【関ヶ原の戦い】 名将・大谷吉継の首はどこにいったのか? 「唯…
  6. 「マカオのエッグタルトとその歴史」 アンドリュー・W・ストウの遺…
  7. 【ナチス】に立ち向かったデンマークの少年たち 「チャーチルクラブ…
  8. 鬼の助産婦・石川ミユキ 「赤子を100人近く殺害した寿産院事件と…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【太宰治の怒り爆発】昭和の文豪たちの壮絶な悪口合戦 「刺す、大悪党だと思った」

悪口は誰しも、口にしてはいけないと理解しつつも、時に衝動的に発せられてしまうものだ。昨今では…

東京六大学野球 その応援団、第一応援歌について調べてみた

2014 10 28 東京六大学野球 立教 vs 明治 4回戦日本の国技(違うか?)野球…

南極の氷の下の古代文明の集落跡 「氷に覆われる前の南極」

オーストラリアの2倍の面積を誇りながらも、全土の約98%が平均2kmもの厚さの氷で覆われた南極大陸。…

「別班」になるための試験内容とは? 【日曜劇場『VIVANT』】

日曜劇場『VIVANT』の第6話が放送されました。ドラマのラストシーンでは、風力発電事業の入…

3代執権・北条泰時も頼りにした大金持ち達〜 有徳人とは?

1230年(寛喜2年)~1231年(寛喜3年)にかけて大飢饉が起こった。鎌倉時代を通し最大の…

アーカイブ

PAGE TOP