中国史

「永遠」を求めた始皇帝 ~【始皇帝陵と兵馬俑】

始皇帝の名前の由来

戦国時代に終止符を打ち、中国を統一した嬴政(えいせい)は事実上中国全土を統一する立場となった。
そしてこれを祝い、また自らの権勢を強化するため政は自身のために新しい称号「始皇帝」という立場を設けた。

最初にして最上の位という意味である。
「始」には「最初(一番)」の意味である。後に即位する王たちは「皇帝」の称号を受け継ぎ、代を重ねる毎に「二世皇帝」「三世皇帝」と名乗ることになる。

「皇帝」は神話上の三皇五帝から皇と帝の2文字を合わせて作られた。ここには始皇帝が黄帝の尊厳や名声にあやかろうとした意思が働いている。
さらに漢字「皇」には「光り輝く」という意味があり「天」を指す形容語句としても用いられた。「帝」は「天帝」「上帝」のように天を統べる神の称号だが、やがて地上の君主を指す言葉へと変化した。

始皇帝

始皇帝

始皇帝はどの君主をも超えた存在として、この2文字を合わせた称号を用いたのである。
つまり、「始皇帝」は歴史上一人であり唯一無二の存在なのだ。

始皇帝の生い立ち

始皇帝の父は秦の公子(異人)だった。後の荘襄王となる人物である。しかし、父は祖父孝文王の20人の子供たちの一人にすぎず妾の子であった。

妾であった母も祖父からの寵愛を失って久しく二人の後ろ盾となる人物もいなかった。そして、異人はの人質となるが秦王となる可能性がほとんどなかったため冷遇されていた。

それに目をつけた韓の裕福な商人、呂不韋(りょふい)により目をつけられ、呂不韋は偉人へ支援金を出資し評価を高めた。

その後、呂不韋の妾を気に入って譲り受けた異人は西暦前259年の冬に男児を授かり「」と名付ける。後の始皇帝の誕生である。

人物像

始皇帝の風貌については、
鼻は高く尖っていて目は切長、胸は鷹のように突き出ていて、声はヤマイヌのようだ
と「史記」に記されており威厳のある出立をしていたことが窺える。恩を感じることは滅多になく虎狼のように残忍だったという。

焚書で思想の統一を図ったり、巨大な陵墓の建設や万里の長城建設など、想像を絶する権力を持っていたことが秦の遺跡からも分かる。

人質の子という背景を持ち不遇の幼少期を過ごし、父の死後13歳という若さで皇帝の座についたが、実権は母と呂不韋に握られていた。
そんな境遇から成り上がり、最後には中国統一を成し遂げるというエピソードが今でも多くの人々を魅了する理由の一つであろう。

永遠の命

始皇帝は「永遠の命」にとても執着していた。
不老不死の体に憧れて「伝説の山、蓬莱山にある長生不老の霊薬を見つけてこい」と命令した記録が残っている。

始皇帝

不死の妙薬を求めて航海に出る徐福(歌川国芳画)

そして徐福という人物が3000人の若い男女と技術者を従え、東方に船出したという記述が残っている。あくまで伝説であるが海を渡り日本に渡ってきたという説もある。

言い伝えや伝説によると、当時は水銀に不老不死の効果があると信じられていたため、始皇帝は水銀を含んだ薬を飲んでいた。それが死因の一因になったとも伝えられている。

兵馬俑

始皇帝

兵馬俑 形が完全に残っているものは博物館に保管されている※筆者撮影

中国の西安に兵馬俑坑があり近年でも発掘が行われている。兵馬俑とはそもそも、死者と共に埋葬された兵士や馬をかたどった像のことである。

西安の兵馬俑では、数千の兵馬俑が出土しており状態も非常に良い。世界遺産に指定されており毎年多くの観光客が訪れる。

最初に発見されたのは1974年である。
農民の楊さんが自分の所有する果樹園で井戸を掘っていた。鋤に硬いものが当たったので掘り出してみると陶器でできた人間の頭部だった。それが兵馬俑発掘の始まりだった。

全体では8000体以上あると見られている。元々はどれも鮮やかな色で塗られた兵馬俑は等身大で細部に至るまで細かく当時の兵士が再現されている。装具の違いなどで軍における様々な役割や位を表していて顔の形も身につけているものも全て異なっている。これが8000体以上あるというのだから驚きだ。

2200年前にこれだけのものを作るには莫大な資源と労働力が必要だったに違いない。一説には70万人の労働者と40年の歳月がかかったとされている。
秦朝が成し遂げた軍事的・芸術的功績の偉大さを物語っている。

始皇帝

兵馬俑 圧巻の風景※筆者撮影

兵馬俑 多くは発掘中である※筆者撮影

兵馬俑坑は始皇帝の墓?

実は兵馬俑坑は始皇帝の墓ではない。

始皇帝の墓は「始皇帝陵」であり、兵馬俑から1.5キロほど離れた場所にあるがまだ発掘調査がなされておらずレーダー探査のみである。なぜ現在も発掘が行われていないかというと技術不足が理由とされている。例えば前述した「兵馬俑」も発掘した瞬間は色鮮やかであったが外気に触れるとたちまち色が失われたという。

他には盗掘防止のために自動発射の弓装置があるという言い伝えや、100トンの水銀が流しこまれており中に入ると水銀中毒になってしまうという説もある。

水銀の河や海がある」「天井には宝石で描かれた星がまたたいている」など伝説として語り継がれてきたが、今までの調査により実際に始皇帝陵の中に宮殿のような空間があること、そこに水銀の反応があることが確認されている。

始皇帝

秦始皇帝陵

近年では漫画「キングダム」で興味を持った人も多いと思うが、始皇帝の数奇な人生と彼の残した多くの遺跡、兵馬俑は20世紀最大の発見の一つと謳われ、出土以来、新しい知見と驚きをもたらし続けている。

始皇帝が空前の規模で築き上げた「永遠の世界」は、これからも私たちを魅了してやまないだろう。

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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