蜀の誇る名脇役 廖化(りょうか)とは
三国志には数々の名脇役が登場するが、名脇役の代表格として目立たないながらも蜀の主戦力として長い間活躍したのが廖化元倹である。
廖化は、蜀の武将として建国から滅亡までの長い間貢献しているが、正史でも演義でも派手な活躍はしていないため「名将」というイメージは薄い。
それでも、何度も戦場に赴き、激動の三国時代の最後まで生き抜いた事は紛れもない偉業である。
今回は、隠れた名将である廖化の生涯に迫る。
関羽に仕える
廖化の初登場は正史と演義で異なる。
時系列的に登場が早い演義では、関羽千里行の終盤に周倉とともに黄巾賊の残党として登場する。(周倉はある意味廖化以上に有名で存在感があるが、こちらは架空の人物である)
この時は元黄巾賊という肩書きを関羽に嫌われ、周倉以外は置き去りにされているため廖化は一旦ここで関羽と別れている。
普通の物語ならこのままモブとしてフェードアウトするところだが、廖化は知らぬ間に関羽に拾われており、麦城で危機を迎えた関羽を救うため蜀まで援軍を要請しに走っている。(関羽との出会いがモブ扱いだったため、麦城で初登場する作品も少なくない)
一方の正史では、劉備の荊州時代に関羽の幕僚として登場するが、当時は廖淳という名前だった。(廖化という名前が登場するのは248年であり、むしろ老年期の名前だが、ここでは基本的に世間一般で知られる「廖化」で統一する)
荊州を巡る争いで関羽が戦死すると、廖化は呉に降伏しているが、隙があれば蜀に戻ろうと思っていた。
そんな廖化の想いに呼応するように劉備も関羽仇討ちの軍を出したため、廖化は「廖淳(自分)が死んだ」というデマを流して呉を脱出する。
脱出の際に母親も一緒だったとの事で、簡単に敵将を逃がした呉のセキュリティの甘さが気になるが、狙い通り蜀に戻った廖化は劉備と再会してそのまま夷陵の戦いに参戦する。(但し、廖化に大した戦果はなく蜀軍は夷陵で大敗している)
劉備死後の活躍
蜀の被害は大きく、劉備も白帝城で病死するが、廖化は生き残り、無事に蜀へと生還する。
演義では蜀の武将として諸葛亮の北伐に従軍するが、作戦決行時に名前が呼ばれる事は多々あるものの、やはりこれといった戦果はない。
ただ、廖化は孔明の作戦を破綻なく遂行して(そして生き残って)おり、人材難の蜀に於いて貴重な存在だった。
なお、演義では廖化に追われていた司馬懿仲達が逃げ道と逆方向に捨てた兜(作品によっては冠の場合もある)に騙されて、廖化は司馬懿を取り逃がす失態を演じている。
ほぼ唯一の見せ場が後々まで語り継がれる失態というのは気の毒に感じるが、これは演義による創作であり、読者や孔明をがっかりさせてはいない。
廖化が活躍するのはむしろ孔明の死後からで、姜維率いる蜀の主力として魏軍を撃ち破る活躍を見せている。
姜維の北伐で国力を削られた蜀は苦戦を強いられるようになるが、数々の同僚が戦死する中で廖化は最後まで生き残り、蜀の最後を見届けた。
長寿武将の代表格
蜀の滅亡まで生き残った廖化だが、264年に魏まで送られる最中に病死する。
廖化は当時としてはかなりの高齢だったためいつ病気になってもおかしくはないが、蜀の滅亡を見届けるように生涯を終えたのは偶然とはいえ何か運命のようなものを感じさせる。(廖化の生年は標記されていないもののの、70代だった事を示唆する発言があるため、戦場の最前線に立ちながら天寿を全うしたのは「奇跡」というしかなかった)
正史に書かれた内容で廖化の年齢を考察すると、晩年に70代だった事を考えると、没年から逆算して180年後半から190年代であり、関羽に仕えていた時期に20代だったと考えたら辻褄が合う。
それだけなら三国志の武将として長寿を全うした稀有な存在という話で終わるが、演義では黄巾賊の設定が加わっているため、黄巾の乱から蜀の滅亡までの80年間、中国の歴史を目撃した事になっている。
何故廖化に黄巾賊の設定を加えたかは不明だが、その設定のため三国志演義の時代を生き抜いた歴史の「生き証人」となっている。
三国志で歳を重ねてから活躍する武将といえば黄忠が有名だが、生涯現役で70年以上の人生を全うした廖化も「元気な老将」と呼ぶに相応しい存在である。
それを証明するように、ゲームの『三國志』シリーズでは、90歳を過ぎでも前線で活躍する頼もしい武将としてプレーヤーに貢献してくれる。
廖化の本当の「価値」
長い人生を蜀に捧げた廖化だが、目立った実績がないため「地味」というイメージが付き纏う。(前述したゲームでも飛び抜けた数値はないため、有能な武将だがやはり地味である)
但し、何度も書いている通り戦乱の時代を最後まで生き抜くのは「運」だけでは不可能であり、それは与えられた作戦を破綻なく遂行し続けた証明でもある。(廖化は姜維の反乱も生き延びており、病死したのはその後の出来事である)
中国のことわざに人材難を嘆くものとして「蜀中に大将なし。廖化を先鋒にする(蜀中無大将、廖化作先鋒)」というものがあるが、それでも見事に大役を果たすのが廖化であり、長い間魏の脅威であり続けた「隠れた名将」だった。
この記事へのコメントはありません。