耳鼻のない女傑 夏侯令女
男社会の古代中国に於いて、後世まで名を残す女性は珍しい。
今回は、愛するものを守るために戦った夏侯令女(かこうれいじょ)の壮絶な生き様を紹介する。
人気ゲームのプロフィールと謎の多い生涯
三国志ファンは世界中にいても、ゲームのユーザーでなければ大半の人が聞いた事がないであろう夏侯令女だが、やはりというか、歴史書の記述も少ない。
彼女の紹介をする前に、まずは『三國志14』のプロフィールをご覧いただきたい。
曹爽の従弟・曹文叔の妻。
【演義】父親は夏侯令。つまり夏侯令の女(娘)とされる。若くして夫に先立たれ、子がなかったため父親から再婚を勧められるが、自分の耳を切って拒絶。曹爽一族が滅ぼされた後、ふたたび再婚を勧められると、今度は鼻をそぎ落として拒んだ。貞節を司馬懿から感心され、養子を取って後継ぎとすることを許された。
【正史】夏侯文寧の娘で、名は令女。曹文叔が死ぬと再婚を迫られることを恐れて髪を切った。その後、耳鼻を落とす展開は演義と同様。
コーエーテクモゲームス『三國志14』より引用
途中から何やら物騒な描写が並んでいるが、実際に夏侯令女の歴史書に残された記述はこれだけである。(実のところ「令女」が名前なのか字なのかも分かっていない)
さらに、彼女の父親である夏侯文寧も、歴史書にほとんど登場しない人物である。
魏の名族である夏侯家の人間である事は確かだが、夏侯惇との繋がりがあるという説や、張飛の妻となった夏侯氏(夏侯姫)と繋がりがあったとする説など、その出自は謎である。(※夏侯姫は名前の伝わっていない夏侯淵の弟の娘)
結婚と惨劇とクーデター
魏の二代目皇帝の曹叡がこの世を去ると、後を託された人物の一人である曹爽(そうそう ※曹真の息子)が、実質的に魏の権力を握った。
この曹爽の従弟である曹文叔(そうぶんしゅく)に夏侯令女は嫁ぐのだが、上記のプロフィール通り曹文叔は早くにこの世を去り、夏侯令女は彼との間に子を授かる事が出来なかった。
こうして未亡人となった夏侯令女だが、彼女はすぐに舞い込むであろう再婚の話を恐れていた。
そして夏侯令女は、髪と耳を切り落とすという、狂気としか思えない行動をとったのだ。
「髪は女の命」というが、当時の中国は特にその意識が強かった。長くて邪魔そうに見えても女性が髪を切るという事はなく、夏侯令女の行動はまさに「覚悟」を示すものだった。
さらに、耳を切り落とす行為は通常刑罰で行われるものであり、夏侯令女は自ら罪人同然の身体になってでも再婚に対する拒絶の意思を示したのである。
結局、夏侯令女は曹爽に引き取られる事になるのだが、その曹爽も司馬懿との権力争いに敗れ、249年に司馬懿のクーデターによって処刑されてしまう。
「ボケ老人のフリして政敵を粛清」 司馬懿による血塗られたクーデター 高平陵の変
https://kusanomido.com/study/history/chinese/sangoku/65087/
唯一の頼りであった曹爽が殺され、居場所がなくなった夏侯令女は再度実家に戻らざるを得なくなるが(※正確には曹爽の身内として、夏侯令女にも被害が及ぶ事を恐れた叔父によって呼び戻された)案の定、ここでも結婚の話が舞い込んで来た。
夏侯令女自身も心の中では「結婚の話を受けるべきである」と思っていたようで、泣きながら「それが正しい事なのでしょう」といくらか軟化させたような態度を見せる。
家族たちは「今度こそ娘が再婚する」と思い胸を撫で下ろしたが、翌日になっても夏侯令女は布団を被ったまま姿を見せない。
娘の様子を確認しようと布団を剥がした母親が見たのは、なんと血まみれの状態で「鼻を失った」夏侯令女の姿だった。
狂行の理由
凶行に及んだ夏侯令女の苦痛と覚悟は、誰にも想像しがたいものであっただろう。
ある者から「既にあなたの旦那も、彼の一族もいなくなったのに、何故あなたは自らを傷付けてまで再婚を拒むのですか?」と狂行の理由を聞かれると、夏侯令女は以下のように答えたという。
慈悲深い心を持った者は、栄枯盛衰によって誠実さを変える事はないと聞いた事があります。(栄えているから近付こうとする事も、衰えたからといって離れる事はしない)
旦那を亡くした時、曹家の力はまだ強いものでしたが、私は彼のために再婚せず生きるつもりでした。曹家が衰退したから再婚しようという選択肢は私にはなく、そんな恩知らずの獣のような真似はしたくありません
夏侯令女が守ったもの
自らを傷付けてまで亡き夫への愛を貫いた夏侯令女だが、彼女の言葉を聞いた司馬懿は感動し、夏侯令女の養子縁組を許可し、その者を曹家の一族として後を継がせる事を認めた。
養子なので実際の血の繋がりはないのだが、夏侯令女の行動によって曹文叔、更には曹爽の一族は復活した。
彼女の決意と覚悟は、古代中国の男社会においても異彩を放つものであろう。
歴史書に僅かな記述しか残されていないにもかかわらず、夏侯令女の強烈なインパクトは時代を超えて語り継がれ、彼女の名は今なお人々の記憶に刻まれている。
参考 : 『正史三国志』『三国志演義』
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