思想、哲学、心理学

かつて「小説」は取るに足らない書物だった 〜作者は報いを受ける?小説の意外な歴史

現代では「小説」は文化として定着し、多くの人が楽しむ身近な存在になっています。

しかし歴史を振り返ると、小説の位置づけは現在とは大きく異なるものでした。

かつて小説は、国家の歴史や公的な記録とは明確に区別され、価値の低いものとして扱われていました。
教養人が積極的に読むべきものではない、と考えられていたのです。

では、なぜ小説はそのような扱いを受け、どのような経緯で今日のような文学ジャンルに変化していったのでしょうか。

今回は、その背景をたどっていきたいと思います。

江戸時代に明確になった「小説」観とその背景

画像:紫式部 public domain

日本における物語文学の位置づけについて、簡単に触れておきたいと思います。

日本の文学史上、最初の「小説」といえるのは、平安時代に紫式部が執筆した『源氏物語』です。

その後、鎌倉時代になると『平家物語』などの軍記物語が登場しますが、これらも広い意味では「小説」の範疇に含まれる文学作品といって差し支えないでしょう。

そして江戸時代に入ると、仮名草子や読本といった物語文学が盛んになり、明治時代には、いわゆる近代小説が誕生します。

実は、小説がどのような価値観のもとで扱われてきたのかという問題は、江戸時代になってより明確に姿を現します。

「小説」は「読むに足らない書物」とする朱子学の教え

画像:朱熹 public domain

中国では、民間に伝わる逸話や俗説を記した書物を、「稗史」などと呼び、小説と同じ系統のものとして位置づけていました。

この「稗」はイネ科植物の「ひえ」のことで、「ちいさい」「こまかい」といった意味を持ちます。

中国後漢の正史の一種『芸文志』には、「稗史」について「街談・巷語、道聴・塗説する者が造る所なり」と記されており、国史・正史とは明確に区別されています。

つまり小説は、街中で語られた噂話や、道端で聞きかじった話をもとに作られた物語のようなものであり、当時は取るに足らない文章とみなされていたのです。

このような見方は、中国史に深く根付いた儒教の理念に基づいています。
日本でも飛鳥・奈良時代に律令制が確立すると、儒教が国家理念として採用されました。

その後、鎌倉時代には、南宋の朱熹(しゅき)によって体系化された新しい儒学である朱子学が伝わります。

さらに時代が下って江戸時代になると、徳川幕府は幕藩体制を支える身分秩序を維持するため、上下関係を重んじる朱子学を積極的に取り入れました。

江戸時代には、5代将軍徳川綱吉の時代に元禄文化が、そして11代家斉の時代になると化政文化が花開き、仮名草子や読本といった小説や物語が成熟していきます。

しかしそこで足かせとなったのが、朱子学における「小説」への評価であったのです。

それを端的に表しているのが、江戸中期に書かれた『雨月物語』の序文でした。

画像:上田秋成の肖像(筆・甲賀文麗)public domain

筆者の上田秋成は『雨月物語』の序文で、おおよそ次のような趣旨のことを述べています。

「水滸伝(すいこでん)を著した羅貫中(らかんちゅう)は、子孫三代おしの子が生まれ、紫式部は源氏物語を著して、一度は地獄にまで堕ちた。それは思うに、彼らがありもしない嘘の物語を書いて世の人々を迷わせた所業の報いを受けたというべきであろう。(中略)私の場合は自ら顧みても根拠のない拙いものというよりほかになく、人の心を惑わす罪はあり得ない。従って、子孫に兎唇や鼻欠が生まれるという報いをうけるはずがないのだ。」

つまり、秋成からすれば「小説」は嘘だらけの話で、読む人々がその嘘に惑わされるゆえに、それを書いた羅貫中や紫式部は報いを受けたと述べているのです。

江戸時代後期、小説の理念は勧善懲悪だった

画像:滝沢馬琴 public domain

朱子学の教えでは、人間にとって最も正しい行いは「正直」であるとされていました。

そのため、虚構によって成り立つ小説は、書くことも読むことも本来は慎むべきものと考えられていたのです。

儒教の世界では、国家の歴史や政治の理念を論じた経書のような書物が重んじられ、いわば「大きな説」として尊重されました。

それに比べて、小説のような雑多な読み物は「小さな説」として一段低く見られ、教養ある人々は積極的に触れるべきものではないとされていました。

しかし江戸時代の後期になると、読み物は広い階層に広まり、娯楽としての需要が高まっていきます。

そこで、小説が社会的な正当性を得るために求められたのが、「善を勧め、悪を懲らしめる」という道徳的役割でした。
この考え方が、文学理念としての「勧善懲悪」へと結びついていったと考えられます。

小説の目的や価値は、善を勧め、悪を戒めることにある。
その理念を体現した作品として、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などが挙げられるでしょう。

このように、私たちが日ごろ親しんでいる小説は、もともと朱子学では好ましくないものとされ、その語源には「取るに足らない」という意味合いが含まれていました。

今日では当然のように受け入れられている小説文化も、かつては蔑まれ、忌避すらされた歴史を背負っていたのです。

※参考 :
井沢元彦著 『学校では教えてくれない江戸・幕末史の授業』 PHP文庫刊 他
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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