現代社会において犯罪の捜査は、科学的な手法に基づいて行われています。
指紋やDNA鑑定などの科学技術を駆使し、客観的な証拠に基づいて真犯人を特定していきます。
しかし、科学技術が発達していなかった過去の時代では、どのようにして犯人を探していたのでしょうか。
今回の記事では、戦国時代における独特の裁判方法である「湯起請(ゆぎしょう)」と「火起請(ひぎしょう)」について紹介したいと思います。
この2つの手法は現代人から見ると、非合理に感じられる判断基準に基づいています。しかし、当時の時代背景からはやむを得ない手法であったとも言えます。
科学的手法がない時代の裁判を知ることは、過去の知恵を学ぶ上でも有意義ではないでしょうか。
湯起請について
湯起請は、室町時代に行われた裁判です。 一般的な手順は以下の通りです。
1. 神社の前に被告人を連れてくる
2. 釜の中の水を沸かし、その中に小石を入れる
3. 被告人に熱湯の中から小石を取り出させる
4. 2日後に被告人の手に火傷があるか確認する
5. 火傷がある場合は有罪、ない場合は無罪と判断される
殺人や盗みなどの事件が起きた際、湯起請はよく実施されたようです。
たとえば、ある村で殺人があった際には周辺住民の全員に湯起請をして、火傷が最も大きかった住民を犯人だと断定しました。
湯起請がとくに多かったのは、室町幕府6代将軍・足利義教の時代です。義教はくじ引きによって将軍になったため、家来の支持が得られにくい状況でした。
そこで湯起請を使って反対派の家臣を追い出し、自分の権力を強めようとしたのです。
火起請について
火起請は、戦国時代から江戸時代初期に行われた裁判の方法です。
一般的な手順は以下のように行われました。
1. 対立する両者から1人ずつ代表者を選ぶ(身分の低い者が選ばれることが多かった)
2. 代表者同士が直接、灼熱の鉄(鉄火)を握り合う
3. 長く鉄を握っていられた方や火傷が少ない方が勝ち
4. 負けた代表者は処刑され、勝った代表者の身分が上がる
たとえば、2つの村で境界線をめぐって争いが起きた時は、それぞれの村から代表者を1人選んで火起請を行いました。
鉄火を握る代表者は「解死人」が行いました。争い事が起きたときのため、村では犠牲になる人を養っているのです。
火起請に負けた代表者は、とても残酷な扱いを受けます。神を騙した罪で斬首されたり、引き回しの刑に処せられたのです。
また土地の境界争いで火起請が行われたケースでは、負けた代表者の遺体をバラバラに切断し、境界線に埋葬することもありました。遺体の埋葬場所は「鉄火塚」と呼ばれ、現在も残っているケースがあります。
つくばみらい市「鉄火塚」
中世、近世の日本で行われた土地の境界や水利権を巡る争いでの神判の一種、「火起請」の行われた地。「眞田丸」作中でも鉄火起請出てましたね、鉄棒は市教育委員会に保存されているそう。
遠くに見えるは筑波山〽 pic.twitter.com/RrjVBe5l4y— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) March 12, 2018
一方、勝利した代表者には大きな特権が与えられました。解死人という低い身分から開放され、負傷しても村人の世話を受けられるようになりました。子孫にも一定の権利が認められたと言われています。
火起請に関する記録史料は、湯起請ほど多くは残されていないことが分かっています。期間的にも湯起請の約100年に対して、火起請はそれよりも短かったようです。
勝つために小細工を仕掛けたり、度胸試しとして実施されたり、本来の目的から外れた行為も散見されました。そのため、江戸時代中期以降は次第に行われなくなります。
火起請は、湯起請の問題点を改善するために導入されました。湯起請はリスクが低いため不当に利用されがちで、犯人が特定できないケースが多くありました。一方の火起請はリスクがとても高く、結果がはっきり出せるメリットがありました。
戦国時代には見せしめの意味合いがあり、また幕府の権力基盤が弱かった江戸時代初期に火起請は活用されたようです。
「偶然性」という要素を取り入れることで、社会の秩序と安定を確保しようとする目的があったとされています。
非合理性のなかにある合理性
湯起請と火起請は、現代の視点から見ると非合理的な裁判方法に思えます。しかし、当時の時代背景から考えると、そこには隠された合理性が存在したのです。
科学的な捜査能力がなかった時代では、とにかく犯人を特定する必要がありました。犯人を放置すれば社会不安が高まってしまうため「神の判断」を利用してでも、犯人を判断せざるを得なかったのです。
また「偶然性」を利用することで、結果を追認せざるを得ない状況を作り出し、反発を防ぐ効果があった点にも合理性が見出せます。
古代ギリシアのポリス(都市国家)でも、くじ引きを政治に取り入れていました。たとえばアテナイでは、公職者を選ぶ際にくじ引きを行い、権力者の影響力を避ける工夫がなされていました。
偶然性を活用することで権力闘争を回避し、中立性を確保しようとしていたのです。
非合理な印象が強い裁判方法も、時代背景に合わせた合理性の表れと見ることができるのです。
当時の時代状況ではやむを得ない選択であり、表面的には非合理に見えても、隠された合理性が存在したといえます。
この記事へのコメントはありません。