「妖怪」とは、日本で伝承される民間信仰において、人知を超える怪奇現象、あるいは、それらの現象を引き起こす不思議な力を持つ存在のことである。
神話の時代から現代に至るまで、日本では数多の妖怪伝説が語られ、記録されてきた。
『日本妖怪大辞典(著・水木しげる/村上健司)』には、1592もの妖怪が紹介されている。
今回は、そんな数多の妖怪の中から厳選したユニークな5体の妖怪と、怨霊化した実在の人物を2人を紹介したい。
ユニークな妖怪5選
・うわん
うわんは、江戸時代の絵巻物『百怪図巻(作・佐脇崇之)』に、名前と姿だけが描かれている妖怪である。
この絵では、体中に鋭い毛がたくさん生え、歯は真っ黒、指が3本しかない、上半身裸の男のような姿で描かれている。
突然「うわん!」と叫んできて、その時に同じように「うわん!」と言い返せないと、命を取られてしまうという。(※参考 『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』)
一体何が目的なのか全くわからないが、万が一うわんに出会ったときのために、すかさず「うわん!」と言い返せるよう、訓練しておいた方がよいかもしれない。
・蟹坊主
蟹坊主は、突然寺に現れて住職に問題を出すという蟹の妖怪であり、日本各地で伝説が残されている。
そのうちのひとつ、山梨県東山梨郡万力村(現在の山梨市)の、蟹沢山長源寺に伝わる説を紹介したい。
その昔のある日のこと、長源寺に一人旅のお坊さんが訪ねてきた。
お坊さんは住職に向かって、「両足八足、大足二足、横行自在、両眼大差。」と問いかけたが、住職が「難しくてわからぬ」と答えると、お坊さんは如意(読経の時に使う棒状の道具)で、住職を殴り殺してしまった。以後、長源寺では住職が変わるたびに同じことが何度も起き、とうとう寺には誰も居なくなってしまった。
そこで、そのお坊さんの正体を見破ろうと、一人の高僧が長源寺に住み込んだ。すると案の定、件のお坊さんが現れ、「両足八足、大足二足、横行自在、両眼大差。」と問いかけてきた。
高僧が「さてはお前、カニだな!?」と答えると、お坊さんの姿は消えて大蟹が現れ、逃げて行ってしまった。
現在でも長源寺では、大蟹の爪痕が残った大石など、蟹坊主伝説にまつわるものが見られる。
クイズ好きな蟹だったようだが、答えられなかったときの罰があまりにも重すぎる。
如意を持った謎の人物が、突然クイズを出してきたときは要注意である。
・尻目
尻目は、江戸時代に描かれた『蕪村妖怪絵巻』で紹介されている、尻の真ん中に目がある妖怪である。
全裸で手足を地面につけ、侍に向かって尻を突き出し、見せつけている様子が描かれている。
この妖怪の顔には目も鼻もなく、尻の穴にある唯一の目が稲妻のように光るらしい。
ちなみに、蕪村妖怪絵巻では「ぬっぽり坊主」という名前で紹介されており、「尻目」という名前は漫画家・水木しげるが命名したとされている。
悪いことをする妖怪ではなさそうだが、現代ならすぐに現行犯逮捕である。
・手洗い鬼
手洗い鬼は、江戸時代に描かれた『絵本百物語』で紹介されている大きな鬼である。
その体は民家の何十倍も大きく、入り江に足をかけて海に向かって腰を曲げ、海水を使って手を洗う様子が描かれている。
絵に添えられた解説によると、讃岐国(現在の香川県)高松から、丸亀にかけての入り江で三里(約12km)にわたって山をまたぎ、手を洗った鬼とされている。
また、手洗い鬼は、さらに巨大な「大太郎坊(だいだらぼう・ダイダラボッチ)」と呼ばれる妖怪の手下だという。
これだけ大きければ敵なしとも思えるが、手を洗うということは、感染対策にも気を配っていたのだろうか。
・薬缶坂
薬缶坂は、東京都豊多摩郡(現在の杉並区の一部)にある、薬缶坂という坂に出没する妖怪である。
この妖怪は、薬缶の姿をしており、夜に出没する。
人間が近づいて立ち止まるとじっと動かない。しかし、しばらくすると毛むくじゃらの手足を出して立ち上がり、踊り始めると言われている。
実は薬缶にまつわる妖怪は意外と多く、長野県や新潟県にも「薬缶吊る」という怪異の伝説がある。
「薬缶吊る」の伝説は、突然木の上から薬缶がぶら下がってきたり、遠くから薬缶を転がすような音だけが聞こえるといった、怪奇現象のような内容が多い。
対して薬缶坂は、人前で踊り始める。
日本には多くの妖怪伝説があるが、こんな楽しそうな妖怪もいるのである。
怨霊になった実在の人物2選
・菅原道真
菅原道真は、全国にある天満宮の祭神であり、有名な学問の神様である。
平安時代、道真は宇多天皇や醍醐天皇に重用され右大臣になったが、左大臣の藤原時平によってウソの密告をされ、大宰府に左遷されて没した。
道真は死後に怨霊と化し、藤原時平は道真の祟りで死んだと言い伝えられている。
その後も、以下のような不可解な出来事が多発し「道真の祟り」だと恐れられた。
・道真失脚の首謀者の一人とされる源光が、狩りの最中に事故で溺死
・醍醐天皇の息子や孫が次々と病死
・天皇の住む清涼殿に雷が落ちて、道真の左遷に関わった人物が何人も死亡
・雷事件を間近で見ていた醍醐天皇も3か月後に死亡
これをきっかけに道真は「雷神(天神)」になったとされ、道真を祀るために北野天満宮が建立された。
しかし、それでもまだ怨念は治まらず、北野天満宮は内裏が3回も焼けたという。
そこで一条天皇が道真に太政大臣の位を送ったところ、道真の祟りはようやく収まった。
このように、祟り神や怨霊として恐れられた道真公だが、次第に学問の神様として崇められるようになり、現在では毎年、受験生たちが合格祈願に訪れている。
・平将門
平将門は、平安時代の下総国(現在の千葉県)出身の武将であり、死後は怨霊になったと伝えられる人物である。
将門は関東で巨大な勢力を作り、関東の独立を図って「平将門の乱」を引き起こしたが、敗れて戦死した。
伝承では将門は並外れた力を持ち、その体は鉄のように強固で、どんな武器でも傷をつけることができなかったとされている。しかし、唯一の弱点であったこめかみを矢で貫かれ、命を落としたという。また、将門は首を切り取られた後も3か月にわたり生き続け、「切られた我が体はどこにあるのか。頭と繋がって、もう一度戦をしよう」などと語り、空を飛んだとも伝えられている。(※参考『平将門伝説の歴史』)
将門の首は塚に埋められたが、その後は祟りが起こり、天変地異が相次いだ。
そして恐ろしいことに、将門の祟りは近現代まで続いている。
関東大震災の後、東京都千代田区にある将門の首塚を発掘調査したところ、関わった人間が相次いで死亡すると言う怪現象が起きた。
また、第二次世界大戦後、空襲の焼け跡の整備のため将門の首塚を取り壊そうとしたところ、事故が多発して死者まで出たという。
そのため、現在でも東京都千代田区には、ビル群に囲まれた将門の首塚が残されている。
しかし、2020年から2021年にかけて行われた首塚のリニューアル工事の際には、特に問題が起きることなく、将門公はお怒りにならなかったようだ。
なお、平将門は現在、東京都千代田区の神田明神で、除災厄除の神様として祀られている。
参考文献
『日本の妖怪伝説大事典』著・朝里樹
文 / 小森涼子
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